子供に死体の画像を見せるのはいけないことか? ~動画後記 「長老と私達」


見せて謝罪「小学校授業で「湯川・後藤人形」見せて謝罪 」動画を昨日アップしました

動画で考えを吐き出して考え直し、客観視することで考えが深まると同時に、コメントや他の偶然と呼ぶにはあまりにもタイミングよい情報を得て、発見や興味が移り変わり思索は積み重なります (それが情報発信する利点です)

今回もそうです

「私は子供に死体の画像などを見せるのは、それぞれの生活環境や精神成熟の個人差があるから、タイミングと相手を見なければいけない」と言いました

現代の社会環境と照らし合わせて総合的に判断して、それが今でも間違った意見だとは思いませんが

不十分です

死への考え方、死体に対してどのような心構えでいるか?その死体をどう受け入れるか?

それら事象への反応や目撃の経験。
それを家族や社会、地域、教育者が子供達に寄り添いながら

「どのように、与えるか?」

それが重要であって

それを「見せない」「排除する」「経験させない」「気分が悪くならないか過剰に配慮・保護」「気分が悪くなったことは弱さや、幼稚ではなく当たり前」「精神病と決める」

という今の世の中の風潮は、間違っています

全員同着、順番をつけない なども同じこと

失敗させないということは、何もさせないということと同じです。

ざっくりした例になりますが、子供達に必要なのは教委の謝罪会見ではなく、ジブリアニメに出てきそうな、部族の長老のおじいさん、おばあさんです。 ↓ イメージ

o0630042411399101526 彼らが子供達の精神的な支えになり、子供達の心の波をどっしりと受け入れる 底知れぬ懐を持ってて強さと許容と愛が内包している。

言うまでもありませんが、彼らは私利私欲など一切ない世界を他者の為に生きています
彼らの存在は地域社会の安定に不可欠です

そのような受け皿を、「挑戦と共に置く」ことが重要で、受け皿があれば失敗し放題、どんどん経験値が上がり大人になる つまり、決して挑戦と経験の芽を摘んでしまわない事です

しかし受け皿がないと、失敗したら心のよりどころがない、大きなショックを引・き・ず・っ・て・しまうから、失敗しないようする、つまり挑戦しない、それは、なにもしないということです

今の教育の風潮は子供達から経験と挑戦を奪っているのです
なにもさせないようにしているのです

これは間違った方向であり、この風潮は故意に愚民化の為に教育現場に持ち込まれている
この流れが今回の報道に言えるのではないでしょうか

死体画像を見せることも、受け皿がしっかりしていれば、良い経験になるのです
いや、そんな消極的な言い方ではいけません、その両者が彼ら、子供達には必要なのです

つまり私は死体を見ることの精神的ショックを引・き・ず・る・事を「失敗」と表現し、それを乗り越えることは必要な大人の階段であり、その為の環境が不可欠であると言っているのです

念のために言っておきますが、死体を見て何も感じないことが「成功」ではありません

問題とすべきことは「心を切り替える術」です
嫌な気持ちから、自分の本来の魅力的な心の世界へと引き戻すことです

嫌な気持ちを無くすこと・消すことではありません
「死体=嫌なこと」 これを変えれるわけでは決してありません

「引きずる」と念を押したのはその為です

瞬間的な問題 瞬発的な問題 つまり時間的な問題なのです

その方向性を示してあげることが必要です
それを単純に「慣れ」と言う人もいるでしょう

しかし「慣れ」ではありません、必要なのは「心を切り替える術」です

繰り返しますが「死体=嫌なこと」 これは変わりません!

そして受け皿は、なにもジブリの長老だけが担えるのではありません

環境・食・医療・環境・家族・教育・社会・政治・世界・自然・文化・教養・健康

その総合的なバランスです

つまり我々が作らなくてはいけません

小学校の授業で「湯川さん遺体画像」を処理せず使用 ~真実を伝えていた可能性も

【これら報道の目的は明白です】湯川・後藤画像 春日井の小6社会科授業「遺体」見せる 二回目 

【三回目】今度は中学校。湯川・後藤人形見せて謝罪

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子供に死体の画像を見せるのはいけないことか? ~動画後記 「長老と私達」」への11件のフィードバック

  1. prometheus

    「これは見てよろしい、これは見てはいけない」と大人側が勝手に独断と偏見で決めているわけですからね。「子供のため」とか言いますが実際は大人にとって都合が悪いので見せたくないという事がほとんどですから。

    ここはね、子供さんに登場してもらって大人に勝手に「これは見てよろしい、これはいけない」と決められてしまって情報統制されてしまていることについてどう思うのか訊いてみた方がいいと思います。

    まあ禁止されるよ余計に見たくなるというのが人情ですけどね。何も書かなければ誰も気にしない壁の穴に「のぞくな!」と書いた紙を貼っておくと通りかかった全員がのぞいていくという。

  2. 凶育反対

    これも愛知・名古屋をはじめとした中京圏の小学校が特に顕著なのですが
    安倍晋三が馬鹿の一つ覚えのように言う「たくましい子」とは裏腹に
    過剰なまでに神経質となり潔癖性を押し付け何でもマニュアル化し
    「安全面から・衛生面から『必ず』○○させて下さい」と強要する小学校が
    安倍晋三が偽総理として復帰して以降の2013年度以降本当に増えて来ています。

    まるでエスカレーター式の私立小学校みたいな概念を
    全国津々浦々の公立小学校に当て嵌めようとしてきます。

    例えば体育の授業の時の事細かな格好の強制やこの時期のマスクの強制など、
    それぞれの子供の個性や体質に合わせて、家庭の考え方を尊重してと言う
    希望する子及び家庭はではなく、あくまでも全員に強制させる二元論で押し付けています。

    結局これも詰まる所、何か起きれば安倍晋三が導入させた
    学校評価制度で評価が下がってしまう事を恐れ学校側は
    このような方針を打ち出してしまうようになっているのですよね。

    安倍晋三の言う「たくましい子」とは心身ともにたくましいと言う意味ではなく
    ブラック企業や徴兵制に耐え得るよう、どんな理不尽な事を言われてもやらされても
    文句も言わず口答えしないと意味に他ならず規範意識や道徳にしても同様です。

  3. 為谷邦男

    さゆさんこんにちは。
    次は高校でしょうか?
    高校であったら、見せた教員はさらに
    多くいるのではないのでしょうか。

    僕もそのひとりです・・・
    ではありません。
    見せていません。

    なぜなら、見せる必要はないからです。
    見せる以前に、生徒の方が勝手に見ていますから。(笑)

    ヨルダン軍パイロットの焼死殺害動画に関しては、

    「先生、見ましたか」

    と、いち早く言われました。
    しかし、その時点では僕はまだ見ていませんでした。

    僕が話すことで、関心を持ち、それで自ら
    さゆさんのブログへ行ったり、検索したりして情報を得る。

    しかし、このように関心を持っている生徒はほんの一部でしょう。
    大方の生徒は関心がないことでしょう。
    でも一部の生徒にでも、伝わっていることは、
    確実であり、うれしいことです。

    【小さな種まき大きな収穫】

  4. tokumei

    動画でコメントを取り上げて下さりありがとうございます。残酷な画像を見て怖い思いをした子供をどうやってケアしていくかについて改めて考えてみたいと思います。子供の時に戦争の話を聞いて怖い思いをした後どうだったかを振り返ってみます。そうするとケアに近いようなことも平和学習の中にちゃんとあったように思います。(今はどうなったわかりませんが)80年代から90年代の広島では、平和学習が頻繁に行われていました。保育園で先生がみんなに絵本を読んでくれる時間があったのですが、すでにこの時から何冊かのうち一冊は戦争系の絵本でした。今思い返せばこれが平和学習の始まりですね、絵本から慣らすという…。とくに「おこりじぞう」は結末が怖すぎでした。小学校になると教室の後ろに「学級文庫」と呼ばれる本棚があり、その中にはもともと据え置きであった本や、クラスメイトが寄付した本が並んでいました。学校なので基本漫画はダメなのですが、「はだしのゲン」だけはOKでした。唯一の漫画だからか、結構人気でして休憩時間になるといつも誰かが読んでいるのでなかなか読めなかったのを憶えています。一番残酷な2巻3巻あたりが特に人気でした。10巻は本棚に残っている事が多かったのであまり人気がなかったのかなと思います。私もつまらないと思ったのか10巻だけパラパラとめくってちゃんと読んでないのでいまだに結末はわかりません。夏休みの登校日は生徒を体育館に集め戦争の映画を見るか、戦争体験者をゲストに招いて語りを聞くというのが恒例でした。今記憶に残っているのは女性の話です。被爆で命は助かったけど足を負傷して、麻酔なしで切断したという話は今でも憶えています。遠足・社会見学・子ども会の行事と何回も資料館に行かされるので、中学生の時に社会見学の行き先が資料館だったとき「またか」という感じでした。

    ・・・で、こんなことを幼少期から何度も繰り返すわけですが、なんでみんな平気だったかと考えたら、教え方がよかったのかなと思います。県全体の方針なのかもしれませんが、平和学習がくどいんです。この数の多さが1つのポイントで、忘れささない。おそらく他県より多いと思います。学習の機会が多い分、次第に特別感が薄れていきました。同じ写真を何度も見ると、普通になってくる…「あ、これ知ってる」みたいな感じで。一回目聞いて爆笑した話も繰り返し聞くと同じように笑えなくなるのと同じような感じかな。はじめて見る写真はその都度ビビるんですが、それも2回目以降見ると同じ道を辿ります。絵本、アニメ、子供向けのものから始まって語りを聞く、写真、資料館と段階的に教えられたようなきがします。これもいきなり衝撃を与えない配慮の1つだと思います。最後のポイントは学校や保育園といった大人(教師)を含めた大勢の友達の中で情報を得ることにより恐ろしさが多少和らぐのではないかなと思います。そして学校で教育する場合、残酷な話や映像を見せられたら、見せられっぱなし、聞かされっぱなしではなく、その後に必ず各班で見たもの聞いたものについてみんなで話合い、班長が話しをまとめて発表するなどみんなで共有するようにします。そして最後に感想文を書くということも必ずやります。私は感想を言い合う時間が嫌いだったのですが、今思えばこの作業が意外に大事なことだったのではないかと思います。時々精神病になった人達が克服の為に「自分の体験や思っていることをみんなに話す」という治療法をやっている場面をテレビなどで目にしますが、あれと似たような役割を果たしていたのだと思います。見聞きした残酷なことをそのまま放置せずに共有させることでうまくバランスをとっていたのかなと思います。

    もっとも当時の学校が心のケアを意識してそういう流れで教えたのかはわかりませんが、結果的にはそれでよかったような気がします。何故なら今でこそ「トラウマ」とか「ストレス」という言葉が散乱していますが、これらの言葉を私の子供時代はあんまり言わなかったような気がするからです。そういう概念がなかったなら、学校側は心のケアなんか考えて教えてなかったのかもしれません。ただ「戦争は悪い」ということを教えたかっただけかもしれません。痴呆の人に対して今でこそ「認知症」という病名で表現しますが、昔は同じ症状でも「あの人はクルクルパーになっちゃった」とか言ってましたから。昔は結構おおざっぱです。ひょっとすると「心の傷」とか「ストレス」といった発想がなかったから堂々と子供に写真を見せていた可能性もあります。

    核家族や共働き、一人っ子が多い現代では家族が子供の心をケアするというのは難しいかもしれません。だからこそ教師やクラスメイトと共有する方が、より安全に死や戦争に向き合えるのではないかと思います。避けようとしてもどこかで遭遇するものなので。もし子供が自宅のパソコンなどで大人の知らない間に偶然残酷写真を見てしまったら、気の弱い子は凹むかもしれませんし、おかしくなるかもしれません。さゆさんの言われるように家に一人でいる境遇の子などはきっと恐ろしい思いをすると思います。一人で残酷なものを見た子供がその事を誰にも話さない事も考えられます。もし一人閲覧がキッカケで子供がおかしくなった場合、周囲の大人は子供の変化は何が原因でそうなったのか特定できないかもしれません。これが学校の授業で閲覧してその後子供に変化があった場合なら原因の特定も簡単です。そして目的意識をもった先生がそばにいて残酷な画像を見たのであれば、きっと先生は「なぜそのようなことが行われたのか」とか、「そうならないためにはどうしたらいいのか」といった説明もきちんとされるでしょうから子供も怖いながら納得すると思います。戦争の写真であるならば「これは戦争のできごとで、今は平和だからこうはならないんだよ」と一言いってあげるだけでも違うと思います。

    昔と違って今はネットで残酷な写真や動画が簡単に見れます、従って子供一人の時に遭遇する前に、早いうちから少しずつ教育によって触れる機会を設けた方がいいような気がします。今回の教師のように「見たくない人は見なくてもいい」という配慮のもとに行われるのであればなおよいと思います。残酷なものを見せることを避けるわけでもなく、かといって広島の平和学習のように有無も言わさず見せるわけでもない。平気な子供と弱い子供、それぞれに教師が合わせながら教えているので、この教師は最善を尽くしていると思います。

  5. 凶育反対

    tokumei様

    広島の小学校での平和学習は今も行われていますね。

    ただ安倍晋三の教育破壊以降、
    (教育基本法、学校教育法が改悪された2007年度以降)
    そして安倍晋三が偽総理として復帰して以降の2013年度以降、
    頻度としては段階的に減って来ているように見受けられます。

    80~90年代頃の平和学習と今現在の内容の変化までは分かりませんが
    確か数年位前に市内ではなく備後だったと思うのですが悲惨な写真を見た事で
    不調を訴える子が出たと言うニュースがあったかと思います。

    安倍晋三の教育破壊以降、西日本を中心に基本的には
    何処の都道府県も教育破壊が深刻化しているのですが
    特に広島の小学校は以前から制服問題
    (特に備後は頭の上から足の先まで全く同じ格好を強制する小学校ばかり)が
    保護者の間でも憂慮され続けていたなど様々な問題を抱えていました中、
    全国トップレベルで教育破壊が深刻化している地域となっています。

    特に備後、その中でも福山は全国最悪レベルです。

    かつて平和学習を推し進めていたのは部落解放同盟など左翼系の部落勢力が
    中心で70年代から2000年代前半位まで(安倍晋三の教育破壊が行われる直前)
    君が代斉唱や国旗掲揚の反対などで学校に解同が押し掛けて来たりして
    校長が自殺すると言う事件が何件か起きていました。

    しかし安倍晋三の教育破壊以降、同じ部落勢力でも民主党系の解同に変わって
    今度は自民党系の自由同和会の部落勢力が起用されその広島本部のある福山で
    悪名高き厳罰ゼロトレランスマニュアル「生徒指導規程」を発足させ
    広島県内全ての市町村の公立校に生徒指導規程を取り入れさせました。

    また安倍晋三の教育破壊の片腕の八木秀次も備後の尾道の出身で
    その関係からか安倍晋三は尾道の小学校に視察に来ています。

    特にこの福山や尾道と言った備後を中心に今の広島の小学校は平和とは逆に
    まるで北朝鮮の軍隊ような一糸乱れない行進や整列、号令など行い
    戦時中の小学校の白黒写真のような軍事演習さながらの形相となっています。

  6. no name

    さゆふらっとまうんどさん、はじめまして、私がはじめて死体をみたときは、13歳でした、そのとき感じたことは全く嫌な気持ちとかではなく、なぜか不思議な気持ちになりました、生きているときとのギャップや、人はなぜしぬの?というような疑問や悲しみや色々な感情が渦巻き複雑化した心理状態でした、そして人の死はグロテスクで気持ち悪いとかではなく、誰にでも訪れるもの、そしてとても悲しいものだといえます、トラウマになりそうなものと言えば殺された人というより殺した人の行動の方がよほどショッキングでしょうから、今の世の中の風潮はそのような着眼点が少しズレていると思います。そしてあなたの動画を最近見始めました、頑張ってください!

  7. tokumei

    凶育反対様

    広島がここ数年でそんな変わり方をしていたとは驚きです。写真が原因で体調を崩した子がいたんですね。私達の世代では聞いたことがなかったので意外でした。コメントを読んで昔とは変わったんだなということが伝わってきました。8月6日にしても昔は朝から晩まで戦争を伝えるテレビ番組ばかり放送していたのに、ここ数年それが減ってきました。そういえば「戦争体験者が減ったことにより、今の子供達は戦争の話に触れることが少なくなった」・「原爆が落ちた日にちや時間を言えない子が増えたから問題である」というような事をテレビで特集していました。これらのことから「昔とはちょっと違うな」という空気は感じていました。福山や尾道の実態を読んで、学校がおかしな変えられ方をしていることは始めて知りました。校長の自殺のニュースはかろうじて記憶に残っています。平和学習の裏に左翼系の部落勢力がかかわっていたことなど、こういったことまで目を向けていなかったので、詳しく教えてくださりありがとうございます。知人で学校関係者の人が何人かいますが、職場の話というと「最近の子供はレベルが落ちた」とか、その手の話(ほとんど愚痴)なので、学校と縁のなくなった私としては教育現場やシステムが現在どうなっているのかまったくわかりません。教育破壊という言葉をきいてもピンとこなかったので「ゆとり教育よりマシなのかな?」程度に思っていました。軍隊演習さながらの形相というのは嫌ですね。ということは他の地区に飛び火するのは時間の問題でしょう。しかし保護者などはそれをみて何も思わないのでしょうか?私はその方が怖いです。モンスターペアレントなら抗議しそうなんですけど。

    平和学習が減ったことについて私が思うことは、私はあのレベルの学習であれば減っても大して問題ないと思っています。私は平和学習が大嫌いでした。「~かわいそう」とか「~戦争は悪いことだと思います」的なお決まりの結論に持っていこうとするからです。そういうのが残酷なことより嫌でした。私は「はだしのゲン」の1巻で主人公一家が戦争に反対したことで、同族から非国民扱いを受けるシーンにムカついていたので、戦争を後押しした国民も自業自得と思っていました。戦争を決めた上層部よりも大多数の国民の態度が気に入りませんでした。戦争に加担した人間が、全ての責任を上層部に押し付け「自分達は従わされただけ」とか「かわいそう」とか「戦争は悪い」とか善人ぶるのが一番卑怯だと思います。こう思うのは今でも変わっていません。もし卑怯な一般市民を援護してしまったら、その卑怯な一般市民に弾圧された権力に屈しなかった国士が浮かばれません。授業といえども「国が悪い、権力が悪い」と上ばかり非難して、「虐げられた国民は被害者だ」みたいな方向に話をもっていかれると、カチンときます。

    小4の時「うしろのしょうめんだあれ」という戦争アニメを見てその感想を書かされました。そのアニメでは子供達が戦争になったことを知って喜ぶ場面があったのですが、それについてある生徒が「戦争がはじまったことが嬉しそうだったからよかったと思います」的なことを書いて、それに対し先生が激怒したことがありました。書いた生徒を立たせ「〇〇君がこんなことを書きました。」とみんなの前で内容を読み「嬉しそうだからよかったなんてとんでもない、悲惨でかわいそうと思えないのはよくない」的なことをみんなに言いました。かなり昔のことなんで細かくは憶えていないのですがだいたいそういう感じで友達が吊るし上げられていました。
    お調子者でバカ正直な奴だったので、印象に残ったシーンを見て「子供が喜んでいる=よかった」と悪意なくそのまま書いただけなんだと思いますが、先生の逆鱗に触れてしまいました。子供だった私でも彼は喜んだ子供達が「その時嬉しかったからよかった」と書いただけで、別に「戦争したことはよかった」と書いたわけではないことが受け取れました。しかし先生は戦争の話で「嬉しい」という言葉が使われたことが許せなかったのだろうと思います。
    「子供達が戦争を喜ぶところが今と違いますね」でもいいし、または「戦争を喜ぶ考えがよくないですね」とか発展させて考えて欲しかったけど、その先生は戦争を喜ぶシーンについて一歩踏み込んで考えることを一切しませんでした。戦争を後押しした市民が気に入らない私は、このような市民を非難しない平和学習がさらに嫌いになりました。一応「思ったことを書きなさい」と言われたのですが、正直に書いたら場合によってはこういう目に合います。
    言われるがまま深く考えずに従ったから戦争になったのに、それを反省し学習する場面でもまた期待に沿うような何も考えてない感想文を書かなければ怒られる。…反省がない。こんなことを何時間やってもなんの効果もない気がします。「戦争は悲惨、だから戦争はいけない」ここで思考停止なのです。

    今は世界の構造や戦争のカラクリを知ったので、そこに一切目を向けようとしないこれまでのような平和学習が前よりもくだらなく感じます。やるのであれば発展性のある学習をしてほしいものです。これは子供の学習に限らず平和に関する全ての活動に対してそう思います。広島の平和に関する取り組みは、鶴を折ったり、被害者の話を聞かせたり、時には歌を歌ったり、デモをしたり…それもいいかもしれませんが、肝心なところが抜け落ちています。冷たい言い方だけど、被害者同士が「かわいそうだね」とお互いの傷を舐め合うだけのような取り組みでは、加害者や戦争で利益を得ようとしている連中にとっては痛くも痒くもありません。かわいそうな話は散々見聞きしたので十分です。今必要なのは「何が原因でそうなったか」「騙されて戦争に巻き込まれないようにするにはどうするべきか」といったことを考えることだと思います。大切なのは戦争開始や原爆投下の日時を言えるようになる事ではありません。
    平和学習は時間が減ってもいいから真実を教える授業にしてほしいところですが、これから授業でそういうことを教えるのは難しくなるんでしょうね。

  8. 凶育反対

    tokumei様

    こちらこそ当時の平和学習の詳しい実態を教えて下さいまして誠に有難う御座いました。

    私も元から様々な問題がありました広島の教育が特にこの近年の変貌振りについて
    解せない部分、不可解な部分がいろいろあったのですがRKブログのコシミズ先生の
    RK言説に出会い「極左→極右」「極左=極右」の構図を知り氷解した次第でした。

    広島では長年左翼系の解同として日の丸君が代の強制反対など学校の押し掛け
    校長を自殺に追いやるなどしていた部落勢力が安倍晋三の教育破壊以降、
    似非右翼と化し自民党の自由同和会に鞍替えし続けているようなのです。

    宮沢洋一SM担当大臣(岸田文雄害務大臣はその親戚)の宮沢一族や
    都議会セクハラヤジの塩村文佳は共に福山の部落と言う話もあり
    さらにホロコースト記念館まである福山は特に酷い状態です。

    尾道は因島を吸収合併する際、私服でした因島の小学校に
    住民の猛反対を無視し制服を強制させました。
    あと本来は同じ吉備国であり今でも岡山との関係が深い東瀬戸都市圏である
    この福山をはじめとした備後では平和学習でも広島市内の原爆よりも
    福山大空襲に方に力を入れていると聞いた事があります。

    80~90年代の頃の広島の小学校は広教組全盛期の頃で教員の方も
    平和学習の教え方をはじめ広教組の言いなりになっていた事は恐らく間違いないかと思います。
    恐らく「アメリカ(ユダ金)が悪い」と言う方向の授業には
    行かせなかったように思います。

    広島でも当の原爆投下された中四国で最大都市で政令指定都市である
    安芸の広島市及び広島都市圏については転勤族なども多いので
    備後などと比べると教育環境はまだ比較的まともと言われております。
    実際広島市内については90年代から200年代前半までに
    制服の撤廃(私服化)に成功した小学校がある程度存在しました。

    ただ安芸でも東広島、呉、坂など安芸東部は備後と同じように
    私服であっても学校のきまりが酷過ぎる小学校が多いです。
    呉は小中一貫教育に適応出来ない児童を転校させて排除し
    成果を捏造して安倍晋三の教育破壊にゴマを擦っています。

    仰るように軍隊化(運動会などをご覧になればその実態が分かり易いです)は
    安倍晋三の地盤である隣の山口にも既に飛び火しておりまして
    安倍晋三の地元の下関そのものよりも田布施を中心とした
    防府・周南・下松・光・柳井・和木・旧玖珂・旧由宇など
    周南周東方面で深刻な状態になって来ています。

    当然ながら保護者などに間でも疑問に思い怒りを感じていらっしゃる方もいるのですが
    そのような方々は大抵共産党の集会などに駆け込んでしまうパターンが多いようです。

    市議会議員など末端の共産党議員などにはまともな方もいらっしゃるらしいとの事ですが
    近年何故このような状態が起きているのか、この原因が安倍晋三の教育破壊である事に
    気付いていらっしゃらない保護者の方々がまだまだあまりにも多過ぎる状況です。

    あと同じく原爆を投下された長崎も平和学習はありますが
    他にも大分や高知などでも行われていますね。

  9. tokumei

    凶育反対様

    呉は小中一貫教育に適応出来ない児童を転校させて排除し…すごいですね、そこまでするんですか。時代錯誤もいいところです。学級崩壊で先生がいいように振り回されていると聞かされた話が嘘のようです。そんな軍隊みたいになるのならまだ学級崩壊の方がマシです。

    今ふと思ったのですが、道徳の時間で平和について学ぶ機会は多かったのですが、その反面「部落」とか「同和」についてはほぼノータッチでした。ここでこの言葉を頻繁に目にして思い出しました。これらについて多少は学んだのですが、扱いの低さから一般の日本人には関係ない問題だと思っていました。しかしコメントを読むと、部落や同和といったものが広島にも影響をあたえているみたいなので、どちらかというと知るべき事だったのではないかと思います。平和学習を強調してこちらに注目させることで、部落や同和について学ぶ機会を意図的になくしたのでは?と思ってしまいます。

    ちなみに私が受けた「同和」「部落」についての学習はこうです。クラスのみんなにプリントが配られて、そこには「部落出身者の女性が結婚するときに反対されて自殺した」話が紹介されていました。他にもそういった実話が書いてあったのですがそれは忘れました。先生がそれを読んで、「こういう人達は結婚するときまで自分が部落出身とわからないこともある」とか「時には就職に影響したりする」とか説明を加えました。最後に「出身など本人に責任のないことで差別するのはよくないことです。こういう差別をなくす社会にしなければいけません」と締めくくりました。
    そもそも「部落」「同和」とは何なのか、何故差別されるのか、差別する側は何が不満で差別をするのか、といった基本的な事はまったく説明はありませんでした。当然それについて質問した生徒がいましたが、先生は答えになってないような回答をしていました。先生自身もよくわかってなかったんじゃないでしょうか?とにかく歯切れの悪い授業だったのを覚えています。いきなり「世の中にはこういう人達が存在するんだ、見かけたら差別しないで接しましょう」と言われても???です。これで何がわかりますか?学習する側としても、対象を明確にしないところが嫌でした。情報がそれで止まっているので、部落・同和とは「エタ・ヒニン」の類なのか、それとも違うのか全くわかっていません。だから「部落・同和問題=差別問題」ととらえていました。
    しかしですね、これが団塊の世代より上の人達になると反応が違うんです。時々会話の中で「部落」という言葉を使っているのを聞いたことがあります。しかも結構差別心丸出しなので、嫌っているんだなという印象は受けます。だから私も部落の正体について聞いてみるのですが、これまたよくわからない答えが返ってきます。記憶にも残らないくらいです。単に家柄や血筋が気に入らないだけのようにも見て取れます。だとしたら若い世代にとってはどうでもいい感覚です。例えば嫌う理由が「外国人だから日本の風土やマナーを乱すから気に入らない」とか「変な宗教を信仰していて、宗教の教えを押し付けてくるから嫌だ」とかだったらまだ「なるほど」と思える。でももっともらしい理由も答えられないのに嫌う神経がよくわかりません。嫌っている人達も本当に理由がわかって嫌っているのか微妙なところです。「ノリ」だったりして。
    以前70代の男性が話していたことなんですが、広島では原爆手帳の不正受給者が数多くいたみたいです。全然違うところにいたのに被爆したことにして手帳をもらう人がいました。被爆地にいたという承認が必要みたいなんですが、部落出身者の人が依頼者からお金をもらって承認になってあげたそうです。お小遣い稼ぎ程度なのか、大規模にやっていたのかは知りませんが。こういう表でできない仕事をするから嫌われるのかな?とも思ったりするのですが、それをいいように利用していた日本人もいるのでどっちもどっちです。
    私もRK氏の話を聞いて、部落というものを以前よりは多少わかったような気がしますが、それでもわからない部分が圧倒的に多いです。「ホモ・カルト・朝鮮・部落」でしたっけ?このなかで部落が一番わかりづらいです。でも陰謀のどこかで登場するので、知っておかないといけないと改めて思いました。

  10. 凶育反対

    tokumei様

    当時の同和教育の実態についても教えてくださいまして誠に有難う御座いました。

    小中一貫教育の実態は中学校のような校則を幼い小学1年生にまで押し付ける
    学童期の子供の実態を無視した鬼畜行為であり適応出来ない子がいて当然の状況です。

    私は部落の起源については飛鳥~平安期のエミシ征伐で捕虜となった東北のエミシが
    俘囚として各地に配流されたという説を概ね支持しています。

    軒並み180㎝以上ばかりと言う体格の良さや戦闘能力の高さから
    追捕使(現代の警察)として登用されたと言われています。

    薩摩の隼人の反乱を抑えるために熊本に沢山配流された話もありますが
    特に海賊が横行する瀬戸内海沿岸地域は
    その取り締まりのために特に多く配流されたと言われています。

    山口の田布施や広島の部落もこれが原型ではないかと思われます。

    そのエミシ俘囚を警察力として統括する立場である追捕使は佐伯と言われ
    広島市佐伯区や岡山の和気町に吸収合併された旧佐伯町、
    大分の佐伯市と言った地名や瀬戸内海沿岸地域に佐伯姓が多いのはそのためです。

    東日本、特に関東では現地住民とエミシ俘囚が混血し
    坂東武士として確立してしまった例も多くそのせいか部落も少なく
    近世においては同和地区に公共施設を建てるなどして消滅させた例が多いです。

    ただここからが重要なのですがコシミズ先生の講演会の動画でもありましたが
    豊臣秀吉の文禄慶長の役の時の朝鮮人捕虜を部落に加えたと言う説も濃厚で
    西日本の同和地区の多さ及び部落関係者の多さはそのためとも言われてますね。

    当時の広島は毛利の本拠地でしたので相当な数の朝鮮人捕虜が
    部落に加えられたのではないかと思われます。
    また近世以降、朝鮮人が自ら同和地区に流入したといった話もあります。

    あとエセ同和行為についてもその実態は未指定部落や
    在日勢力が関わっているのではないかと思われます。
    普通の人間の考えでは組織まで作り上げ自治体に脅迫するなどまず有り得ないからです。

    団塊世代以上の方々がとりわけ部落に敏感に反応するのは恐らくその祖父祖母の世代
    (明治~大正期)が最も部落差別が起きていたからではないかと思います。
    あとは団塊世代の方々が子供の頃は広島に限らず部落解放同盟が
    もっとも活動的だったらではないかと思います。

    ユニクロの柳井をはじめ服飾関係や岡山や愛知の尾張一宮の繊維産業、
    徳島の藍染などにも部落関係が多いとされていますし
    東瀬戸(岡山・香川・広島の備後)など繊維産業が地盤の自治体は
    小学校での制服問題など安倍晋三の教育破壊以降、
    容赦なしに服装や髪形などの事細かなきまりなどを押し付けてきます。

    極論を言ってしまえば革製のカバンであるランドセル自体が同和利権なのですよね。

  11. tokumei

    凶育反対様

    いつも詳しく教えていただいてありがとうございます。とてもわかりやすかったので何度も読み返してしまいました。
    自分の知っている地域がでてきたので、今まで得た部落の話の中で一番感じが掴みやすかったです。
    混血したり色んな要素が交じり合っている上に、タブー扱いすることが部落をわかりにくくする原因ですね。
    部落は少数だと思っていましたが、この話を読んだら意外に大勢いるのではと思うようになりました。
    これを学生の時に聞きたかったですね。

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