アムール州で日本人の妻、クラヴディアさんが死去

Photo: amur.info
アムール州で日本人、蜂谷弥三郎さんの妻、クラヴディヤ・ノヴィコヴァさん(94)が死去した。地元の新聞が伝えた。報道によるとクラヴディアさんは数人の知人に看取られたが、日本への訃報の伝達はロシアの主要なテレビ放送局の報道を通して行われている。
「ヴェスチ」紙によると、クラヴディアさんは今から半世紀前に捕虜となった日本人の蜂谷さんと出会った。
クラヴディアさんは資金使い込みという身に覚えの無い罪を着せられ、コルィマに追放され、蜂谷さんもスパイ容疑を着せられ、収容所を出た後も帰国の許可が下りないままシベリア暮らしを余儀なくされていた。不幸な過去を持つふたりは知り合い、アムール州のプログレス村に移住を決めた。二人はそこでトマトを栽培し、蜂谷弥三郎さんは、ヤーコフ・イヴァノヴィチというロシア名を得て、女性向けの理容師として働き出した。
蜂谷さんは日本に妻、久子さんを残してきていた。久子さんは夫の名義で開いた銀行口座に貯金し、夫の名義で家を建てて帰りを待っていた。そして50年もの歳月が流れ、やっと久子さんの夢が叶った。国境が開かれると、クラヴディアさんは自分から蜂谷さんに外国渡航用の旅券を作り、資金をドルに換金すると、愛する人の首に温かいマフラーを巻いてやり、妻久子さんと娘久美子さんの待つ日本へと蜂谷さんを送り出した。蜂谷さんは娘の写真を50年もの間、スターリンの写真の隣に飾っていた。
蜂谷さんの帰国後、クラヴディアさんは4度も日本を訪れた。クラヴディアさんはヒロインとして扱われ、彼女についての本が出版され、映画も撮られた。クラヴディアさんは蜂谷さんを日本に送り出してから17年をロシアで生きた。毎土曜日、蜂谷さんはプログレス村に電話をしていた。蜂谷さんはクラヴディアさんの訃報を知ると、クラヴディアさんに宛てた手紙をプログレス村に送り、彼女への愛と感謝を表した。
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伝わり広がっていく
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さゆふらっとまうんど
涙
わたくしも、かくありたい。
True love