7/8土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「生理中の女性は不浄として隔離された」とする「月経小屋」の本当の目的


<筆者・さゆ>

1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~差別は、悪いことではない

3土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~女性差別を問題化する目的とはなにか?

4土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~わいせつの概念拡大(支配設計の強化)に相撲は邪魔。

5土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?前編

6/8土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか? 後編

本記事は、上記記事の続き<その7>です。


<筆者・さゆ>

本題の相撲の話に戻します。

土俵という、相撲取りが相撲するところを「女性は上がれない」としたのは、{しきたり}にすぎません。

我々は、子供が大切にしているおもちゃを大切にしてあげるように、我々は相撲協会が大切にしている{しきたり}を大切にしてあげればいいのです。

その大切にしていることを、認めても、誰も迷惑しないのです。

誰も迫害も「生活への圧迫」も受けないのです。

この「土俵女人禁制」の騒動を見て、私が一番最初に感じたことは以下です。

「他者が大切にしているものを、大切にする心を持とうよ」と私は思いました。

「女性を土俵に上がらせろ」と、男女共同参画を掲げて、支配設計に加担する人達に対してです。

相撲の{しきたり}とは神道だ、なんだかんだと、様々な歴史と時代背景などの理由があるようですが、単純に言えば、こどもが大切にしているおもちゃのようなものです。

子供は、使い古した、価値がないようなものに執着し、それを特別なものと、差別化し、大切にします。(私は幼児の時、自分のにおいのついた洗ってはいけないタオルと一緒に寝ていました。)

その子供がとても大切にしているものは、大人からみたら汚い、無価値なものでも、その子にとって見たら大切なものなのです。

その大切にしてるものを我々も大切にしてあげたいと思いませんか?

汚いタオル、壊れたおもちゃでも、捨てたら大事件なのです。

その子にとって何より大切なものなのです。

それをあなたは捨てますか?

これと土俵女人禁制は同じようなものと、捉えればいいのです。

相撲をしてる者達が、女人禁制にして、「これが男たちの世界だぜ~えっつへへへ(*´ω`*)」と差別化して、価値を生み出そうとしている。

その「男達の世界だから」という「魅力」に対して、周りは、大切にしてあげれば良いのです。

一緒に楽しめばいいのです。

それを壊して、土俵に上がりたがる女は、「ルールを壊してやった」という、自己顕示欲を満たしたい卑しさを感じます。

その土俵女人禁制の{しきたり}は、女性蔑視を目的としているわけではないのです。「記事<その1>参照」

ただ男の真剣勝負という相撲の気概を「女性は土俵に上がれない」とすることで、表しているのです。

むしろ、相撲取りにとって、毎日、女性がいない土俵に向かい合っていれば、女性をより尊く、そして貴重に感じ、大切に扱うことができるでしょう。

男女ともに異性が踏み込めない領域があることは、良い作用をすることもあるのです。

その例としては「月経小屋」があります。

よく、「月経小屋」を、「生理中の女性は不浄として、女性は隔離されていた。」として、それを「女性差別だ。」という人がいます。

しかし、この月経小屋は、「生理中の性行為や、女性に労働をさせない」為に、つまり女性の体を守る為、それが出産、妊娠に悪影響であるからこそ、作られたのではないでしょうか?

昔は、生命力の強い子を産めなければ、すぐに死んでしまっていた。

だから、生理中の女性の体をいたわるために、生命力がある子を産むために、男性や、労働から女性を離す制度を作ったのではないでしょうか?

つまり、女性の為、安全な妊娠と出産の為にそのような小屋を設けていたと、私は考えます。

「体に良くない」と分かっていても、自由であれば、どうしても生理中に性行為をしてしまう。または、農作業(下半身を踏ん張る体勢)など、体に障るような力仕事などをしてしまう。

中には、性行為がしたいが為に、女性自ら小屋から抜け出したり、男性が性交に夜誘いだしたりするものが出てくる。

だから、「生理中の女性は不浄で、生理中の女性は汚い存在なんだ」と男性たちにも言うことで、生理中の女性の体を守ろうとした。

私はこう考えます。

つまり、この「月経小屋」は、女性差別するどころか、女性を守る、それは同時に子孫を守るため(当時の子供の死亡率は高い)に機能していたものでしょう。

ですから、現代の、非正規雇用で男性の賃金を押し下げ女性を労働力化、働く女性を「輝く」と政府が大衆洗脳したり、共働きの常態化、貧窮化、若年の性行為への犯罪化のほうが、よっぽど女性へのいたわりがない社会であると言えるのです。

また、生理を不浄と位置づけられていた理由として「血は不吉だから」という理由を上げる人がいます。しかし、血に対する、「常識・反応」を今の常識と当てはめると、当時の風習に対する認識からずれた結論が導かれるでしょう。

死体を日常で見る機会は皆無、決闘が決闘罪になり、仇討ちが殺人罪になり、狩猟がごく少数、傷だらけの人も歩いてない現代と、それらが当たり前にある、明治以前の人との「血への捉え方」が同じはずがないでしょう。

血を見る機会がない現代人の「血」へのイメージと、明治以前の人たちの「血」へのイメージは、前者は血を見る機会がほぼないが、一方昔の人は、糞尿や汗や体臭、死体、血などが、もっと多くみじかに合った時代ですから、血くらいで不浄などと考える人は、宗教上の決め事など、特別な理由を持つ人たちの中だけだったと考えるの自然なのです。

現代の常識で、昔を比べては正しい解釈はできないのです。

つまり、「常識の書き換え」という概念がない人物が、歴史など扱っても、何も見えてこないのです。

女性の生理現象であり「生理」は、糞尿や汗と涙、射精と同じように、人類にずっと続いているのです。

これらの考察に結びつく根底には、「女性と男性は両者とも昔から、同じく尊かったであろう」ということです。

こうしなければ、日々の生産性や平穏が保てなくて当たり前でしょう。男女はどちらにとっても必要な存在なのですから。(この点は後述。更に解説)

社会全体で、女性の価値と権力を押し下げていたことは、男女ともに損をすることですから、そんなことは行われていたとは思えません。

その「社会全体で、女性の価値と権力を押し下げる」ことが行われたのは、1898年(明治31年)に制定、民法において規定された「家族制度」からです。

そこから、女性は一歩下がる者、おしとやかに、それが男性に好かれる女性、という常識の書き換えをし、女性の価値と権力を押し下げ、女性差別を「社会全体に対して」作り出していったのではないか?と思っています。

日本の家父長的家制度について – 高崎経済大学

女性の社会的地位を社会全体として押し下げたのは、明治以降であり、文明開化(西欧化・家族制度)が、家族の中のヒエラルキーを作り、女性の力を抑え付けた。

つまり、女性差別を作り出したのは、明治維新なのです。

支配設計を強固にするために(NWO)、まず男性の社会的地位を上げてでも、女性の力を押さえつけ無ければいけないとは、女性の力の凄さを感じる一方、江戸以前の女性の社会に対する本当の力、影響力はどれほどのものであったか。私は今、興味がわいているところです。

ーーー

土俵に話を戻して、まとめます。

<その8>につづく


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