6/8土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか? 後編


<筆者・さゆ>

1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~差別は、悪いことではない

3土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~女性差別を問題化する目的とはなにか?

4土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~わいせつの概念拡大(支配設計の強化)に相撲は邪魔。

5土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?

本記事は、上記記事の続き

<その6>です。

ーーー

その5で、「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?の例を挙げてきましたが、「貧困だから教育を受けられない」という学校賛美のプロパガンダも同じことです。

学校に行くか、行かないかではなく。

どのような教育を受けるかが重要でしょう。

しかし、学校に行けないのは「かわいそう。子供に教育を!学校に行かせるべき。」と言って、異文化の奴隷教育を強いるわけです。又は学校に行かないことに対して、保護者責任を問うて虐待親かのように扱ったりするわけです。

学校に行かずとも、家の手伝いや、自然に触れていることも勉強です。

学校に行かなければ、読み書きができないわけではありません。学べないわけでません。

勉強を教えられるのは、教員免許を持っている人だけではありません。

文科省下の学校教育だけが、学びではないのです。役所が決めた教育方針が、知能・知性ではないのです。

その土地その土地で長い年月をかけて形成した文化形態に沿って生きている人を、自分たちとの違いから、「かわいそう、救わなきゃ」(服や砂まみれの見た目や住居で判断して。)などと団体に煽られ、自身の行動が人を救うことになるんだと疑わず、結果的には自分の社会で当たり前とされている支配設計による社会通念と価値観の押し付けをしに、発展途上国に行くのです。

それが、国際ボランティアや国際援助、慈善事業などの実情で、その善意は、社会洗脳された者たちの自己肯定と善意を満たす為に、価値観の押し付ける行為であり、NWOを進めているにすぎず、文化を破壊している、はた迷惑なことなのです。

ようは、奴隷と気づいていない奴隷が、自由な人に対して、奴隷の良さを広報して、奴隷を増やしている作業なわけです。

さらに、言い換えれば、「ゾンビが、健常者に噛みついて、ゾンビを増やしている行為」そのものです。そのゾンビは、健常者の為にゾンビにしてあげてる感覚です。

ゾンビは、先進国の稚拙者であり、健常者は、昔からの文化形態に沿う生活をしている人の方なのです。(それがメディアの横行によって前者がマスになって後者が少数でおかしい人かのように、減らされてしまいました。例えば、老人に対するダウンタウンなどの扱いは正に、伝統を過小に扱う排他的態度の一般化に寄与しているのです。)

(もし、原住民の役に立ちたいなら、原住民になり、その者たちと家族とならなければいけない。そこまでできても、うまくいっていた循環を壊す可能性が十分にある。例えれば、ウニの捕獲量を上げようとウニの天敵のラッコを殺したら、ウニはおろか海洋物全体の取れ高が減ったような現象が、生活形態にも起こる可能性がある。)

さらに他の例を挙げれば、日本でキリスト教を普及し、西洋の常識をここ日本で植え付けてきたクリスチャン、と同じです。男性のふんどし姿、女性の半裸は「野蛮」など。(これは江戸時代中期くらいまではなんら普通の光景であった。記事その4参照。)

それを西洋人は世界各国で行ってきました、アメリカの先住民、インディアンに対しても、どこでも同じです。

他文化の人達に対して学校にいくべきと、奴隷教育だとも知らずに、家庭から子供奪うことを説得し、子供を行政に預けさせることによって、支配設計に順応する奴隷を作ることに貢献しているわけです。

(この場合、親子分断、そして生業の破壊で、街に働かせる流れを作り出すことで、貨幣の価値の増大、地域文化形態の破壊をすることになります。「都市の形成」)

その最たるや、現代日本で今、実際に行われている、学校になじめない類の生徒の精神病レッテルと、精神薬の強制投与でしょう。(これが小中学校などで実際に行われている)

日本などの先進国は、それほど奴隷製造のシステム(義務教育)が進み、確立しているのですが、そこまで支配設計が進んでない国(発展途上国・誰にとっての途上か?つまり支配設計)は、「かわいそう」として、学校を作り、教育を受けさそうなどと言って、じゃあ、何を教えるのかと言えば、結局は支配設計を理解し、支配規範(社会通念)を理解する為の知能を持たせるために機能し、支配設計に外れない人間作りの為に行われているのです。

その土地、その土地の独自の文化を考慮し、その土地に合った教育などしません。一律です。

結局、学校教育は、支配設計を理解させる為の人作りに機能していることになっているのです。

支配設計(社会通念、社会常識)が理解できければ、統制が取れないから、大衆にある程度の理解力は必要というわけです。

つまり、人と社会の均一化は、奴隷社会、奴隷文化、奴隷を作ることと同一であり、それこそが、支配設計の為の手段なのです。均一化する方向性は、常に権力者の都合なのです。

グローバルスタンダードを謳い、差別撤廃!という社会風潮は、支配設計の為の起こされているのです。

例を挙げて何度も述べてきたように、善意から派生した価値観の共有という、異文化への強制が、他文化を破壊する社会設計が成されているのです。

次の<その7>では、本題の相撲の話に戻し、「まとめ」です。


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