4土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~わいせつの概念拡大(支配設計の強化)に相撲は邪魔。


1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~差別は、悪いことではない

3土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~女性差別を問題化する目的とはなにか?

本記事は、上記記事の続き

<その4>です。


この騒動の目的は2点あります。と言いました。

前回の<その3>で1つ目の理由を解説しました。

そして今回は、2つ目の「2・相撲の淘汰、又は相撲ルール変更」を解説します。

今社会は、わいせつの概念を広げる方向に進んでいます。


強制わいせつ「性的意図」不要 最高裁 47年ぶり判例変更

強制わいせつに、「性的意図を不要」とする判決が出たのです。

そして同年。「強姦罪」を「強制性交罪」と罪名を改正しました。

「強制とはどこまでが強制か?」ということが注目されている正にその時に、です。

強制わいせつに性的意図を不要とすることは、他者の体に触れること自体の犯罪化そのものです。

さらに以下のように、他者の体に触れる仕事である、マッサージ師や鍼灸師などのわいせつによる逮捕でも見られるように、「社会はわいせつの概念を他者に触れること」という定義づけにしたがっていることが見て取れるのです。

支配者層はダブルスタンダードを生み出して片方のスタンダードに一本化にし、またダブルスタンダードを生み出し・・・と繰り返すことで社会を変えていく ~マッサージ店で客の体触って逮捕

今後も他者に触れることを悪とする常識の書き換えが行われる。~銀座の整体院でわいせつ 有名整体師&施術中「恥ずかしいポーズ」鍼灸師の男逮捕

これを支配設計の観点から見れば、支配設計が格段に強化され、さらにシンギュラリティ(他者に会わずネット空間だけで交流)にも近づくことから、「他者の体に触れる行為の犯罪化」をやりたがっていることは明白なのです。

つまり、強制わいせつに「性的意図を不要(接触の禁止)」としたい社会の流れに、ふんどし姿でぶつかり合う(触れ合う)、相撲が当たり前にあると、支配設計が進まない段階にあるから、淘汰したい、またはその興行の形を変えさせたいというわけです。

このように、わいせつの概念が拡大されている現状があるわけですが、これは彼らが今、集中的に社会敷設しようと事件化しているから私は、この件を熱心に分析しているのですが、「わいせつ」について過去の歴史を遡って見た時、その概念拡大は現代特有の事例ではありません。

明治から、2018年現在までじわじわと、メディアと行政一体となった、「社会設計と大衆洗脳」を伴って、わいせつの概念が広げられているのです。

その証拠に、明治までは、女性でも、上半身裸という場はよくあった光景なのです。現在はあり得ない事であるのは皆さんご存知の通りです。

例えば、「女相撲」。そして、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で注目を浴びた「海女さん」など、また田園風景の中の「農婦さん」など、女性は半裸(上半身裸)で行っていました。

他にもまだまだそのような光景はあるはずです。

今はタブーとなっている女性の裸体ですが、当時のそれらは上半身裸が普通でした。当時の写真など、ネットで見れます。勇ましく、かっこいいです。

昔の海女さんは殆ど素っ裸だった

いやらしさなどありません。

つまり、女性の上半身(おっぱいや肌)に、性行為を連想させる概念自体が当時の人には、ないのです。(上半身裸が普通であるジャングルなどに住む部族なども同じ。)

それらは景色の一部です。

現代で言う、我々の「顔」と一緒です。(だから「顔も隠す常識を作ろうとしている」という私の考察はなんら突拍子もないことを言っているわけではないのです。バーチャルユーチューバー動画参照

しかし、当時のそれらも明治政府が1871年に「裸体禁止令」を出し淘汰されだしたのです。

又翌年「違式詿違条例」が施行。

ーーー

裸体や混浴を禁止する「違式詿違条例」が明治5年(1872年)に東京

・禁止内容
外国人の批判―野外での大小便、裸体、人糞肥料、混浴、肩肌脱ぎでの農作業
(日本人の自己規制―男装、女装、入墨など)
ーーー
 もちろん当時も、「羞恥」という感情はあったでしょう。

つまり、何に羞恥を感じるかという、人の「反応」が社会環境によって全く違うということです。

「社会環境が人を作る」ということは、そうゆうことなのです。

これについては「家庭は、社会の中にある」という動画で解説しました。

たった100年前では、わいせつの概念は、今と全く違かったわけです。

というより、わいせつなんて概念無かった。

今から30年前には「ストーカー」なんて概念がなかった事と同じです。

もちろん社会設計の目的は、わいせつという概念を作って、大衆内ルールを強化する為です。
普遍性の中に、希少性を作り、枯渇させ、ルールを作り、大衆支配の道具にする。
その為に社会設計と大衆洗脳をしているのです。

江戸時代。混浴に代表されるような、日本女性と日本男性の肌の距離感に西洋人はびっくりしたようで、日本でも、西洋と同じように「わいせつ」という概念を作り、大衆ルールを作るために、上記のような支配ルールを敷いたわけです。

一方、当時の日本人の感覚としては、男女ともに裸体は日常にあるので、特に欲情したり、興味を駆られたりしていなかったようです。

>「彼らは自分の隣で入浴する者の裸を《見る》ことはなかった」「《見れ》ども心に留めずなのである」と解説した。

つまり、秘匿とすることで、秘匿化したからこそ、それはどんどんと重要性、希少性が増していくのです。

しかもその秘匿にしていることは、生物の普遍上必要なものであり、ないと生活、身体、精神共に、軋轢が生まれ、そのルール化した者、つまり法の外にいる者の言いなりになる。

これが私が以前よく言っていた、「生物の普遍にルールを作り出す(常識の書き換えと立法)ことが支配設計を作るうえで重要なポイントである」と言っていたことです。

何にルールを作れば、大衆に対して一番大きな影響力を持てるか?

それは大衆にとって絶対にそれが必要なもの、変えられないもの。

それは「生物の普遍」を握るということです。

それを考える上で、土地や水、食物を奪うことはわかりやすいが、「常識、他者との関係性、性、思想、志向、思考、心、趣味」を奪われているとうことを、私は皆さんに知って欲しいのです。

これが世界大戦後の世界で起きていることの「主」の中でも、社会に一切顕在化されていない超重要なことなのです。

それを実現する為の支配者層のツールは、「メディアと行政」なのです。それを動かす燃料は「金」と「不法行為の許容」です。

「裸体禁止令」などで、裸体を見る機会が減った大衆は、それらが貴重なものになり、印刷技術の向上でいわゆる「ヌード雑誌」「エロ本」などへと、その当たり前にあったものへの寂しさを紛らわす媒体が商業化したということです。

つまり、わいせつとは、社会設計によって権力者によって作られているのです。

文明開化(西欧化)で、わいせつの概念を作り、それをどんどん拡大させて支配設計を強固にしているのです。

現代社会では、女性が上半身裸で歩いていることは、もはや「ありえない。おかしい。」という人作りは完成しました。

それがさらに発展して、男性でも上半身裸で歩いていることは、海などの限定されてた場所以外、おかしいとされる常識へと広がりを見せた社会環境が作られています。

それら限定された場所以外で半裸でいることは(駅などの公共の場)、「ぎょっとする」大衆反応が作られたのです。

正に以下の、「刺青を見せびらかせた疑いで逮捕」なるものも、この社会環境が、この罪を肯定しているのです。

浅草の三社祭を妨害「全身入れ墨見えるふんどし姿」暴力団員逮捕の目的と「やくざ」について

そして、祭りであっても、つまり場所を限定していても、そして男性であっても上半身裸はダメであると、次の段階にさしかかっていると、みえます。

ですから、相撲の「半裸+触れる」という行動、これは常に前進する支配設計(ここでは、わいせつ概念拡大)にとって、邪魔な段階に差し掛かったのです。

現代の相撲問題に戻ります。

このように明治に「違式詿違条例」によって「わいせつ」という概念を作り、2017年11月29日「強制わいせつに性的意図を不要とした」わけですから、どんどんわいせつの概念を広げている。

その概念の拡大に対して今、裸でぶつかり合う、触れ合っている姿を見る機会(大相撲)を無くしたい利害が支配者層側にあるのです。

また、同時にメディアが連日、わいせつ関連のニュースを扱い、問題化しているのです。

全くの同時期に、レスリングのパワハラを扱っているのも、同じ理由です。こっちは服を着ていますから、重要度は相撲より低いが、これも淘汰したいでしょう。(シンギュラリティの為のスポーツの淘汰も内包)

先ほど挙げたH雑誌なども書店から無くす動き、「AV強要問題」これらなど、今後さらにわいせつの概念拡大と性犯罪の概念拡大、共に重罪化が成されるでしょう。(エロはネットの中だけの社会環境へ。シンギュラリティ)

性行為の淘汰の為です。

又これは性犯罪者を熱心に取り締まるというよりも、「あれもこれも性犯罪とする為に、性犯罪の概念と定義を広げて、結果的に性犯罪者を増やす方向に社会が動く」ということが問題なのですから、誤解しないでください。

虐待親が増えていることと全く同じことです。

前編「愛の鞭ゼロ作戦」とは、子供を産み育てることを困難にする社会設計の為に行われているより

これも具体的に言えば、「虐待する親が増えているのではなく、虐待の定義を拡大し、虐待に当たる事例を増やしているから、結果的に虐待親に当たる人を増やしている」というのが正しいのです。

それはわいせつの概念拡大の最終目的、「性交自体の淘汰」の為です。

そして「性交自体が淘汰」されると、「妊娠が、完全に医療になる」のです。

「セックスはしてはいけない、子供が欲しい夫婦は病院に精子を持っていく。」これが未来では主流になる。

社会活動を再開します。

「わいせつ」の概念を、次の段階(性的意図を不要)へと進めるには、相撲を無くしたいのです。

だから、相撲に力を無くすために、八百長問題もそう、行事のわいせつ事件もそう、今回の土俵の女人禁制もそう、相撲業界への悪イメージを振りまくことで、相撲淘汰へ向けて弱体化させようと社会がしているのです。

支配設計に邪魔である。ということです。

前回作った動画「フリーおっぱい」は正に、支配設計の観点からすると、ユニークで、支配設計へのダメージを与える行動だったのです。

最後に。

私はハッキリと、相撲の存続を望むことを宣言します。

なぜなら、相撲は、我々現代日本人を、明治維新、そして世界大戦で区切ることなく、1350年前の土俵ができる前からの日本の姿と現代を繋いでくれる、日本の伝統、日本文化だからです。

我々と先人を繋いでくれるものだからです。

我々の心に、先人の息吹を感じさせてくれるものだからです。

西洋に乗っ取られた日本に残る、数少ない遺産「相撲」を残すべきです。

それはもちろん、現在の形でです。

髷も、まわしも、土俵も、様式も、女人禁制もです

それは我々日本人の心に、先祖を残すことになるのです。

次の記事は、「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?
ということを掘り下げて解説していきたいと思います。

<その5につづく>


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4土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~わいせつの概念拡大(支配設計の強化)に相撲は邪魔。」への1件のフィードバック

  1. 甘えび

    Twitterで、さゆさんがこの相撲の事と、カーシェアの事をツイートした時、全く思いもしない予見
    だったので、しばらく呆然としていました。・・・・そういうことだったのか・・・・・・と

    さゆさんは、わかっていると思いますが、

    私は、ほぼもれなく記事に対して「いいね」を押すのですが、昨日、以前の記事を見返していて
    「いいね」を押して見たら、押せたのです。4,5日前以前のはほとんど押せました。
    ということは、リセットされて改竄されています。だから、いつもこんな少ない数字です。

    だから、気にせず(最近、こちらにこられた方も少ない!とか思わず) 行きましょう!!
    自分を信じて!

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