1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき


宝塚市長、土俵下で「悔しい。変えていくべき」

  • 土俵下であいさつする中川智子市長(6日、兵庫県宝塚市で)

 兵庫県宝塚市で6日に開かれた大相撲春巡業で、中川智子市長が「女人禁制」とされている土俵でのあいさつを認められず、土俵下から「女性だからという理由で認められないのは悔しい。伝統を守りながらも、変えるべきものは変えていくべきではないか」と訴える一幕があった。

 中川市長は昨年4月に同市で行われた春巡業でも土俵下からあいさつ。その際は疑問を持たずに受け入れたが、今月4日、京都府舞鶴市の巡業で多々見良三市長が土俵でのあいさつ中に倒れたことが報道され、「男性市長は土俵に上がっている」として、日本相撲協会側に5日、土俵上でのあいさつを要望。しかし、「伝統に配慮してほしい」として土俵下でのあいさつを求められたという。


“角界の常識”に薬なし! 人命よりも女人禁制を優先 市長倒れ…救命女性に「土俵から下りて」

4/6(金) 16:56配信

夕刊フジ

 女人禁制のしきたりも、人命には代えられないだろう。大相撲春巡業が4日、京都府舞鶴市の舞鶴文化公園体育館で行われ、土俵上であいさつをしていた多々見良三市長(67)が突然倒れた。不測の事態を受けて、女性たちが土俵に上がり必死に救護活動を行ったが、2度驚かされたのが、場内に流れた「女性は土俵から下りて」という仰天アナウンス。状況を把握し適切な対応を取れない角界の体質に、もはや付ける薬はない。

 「女性の方は土俵から下りてください!」

観客席から複数の女性を含む警察官、スタッフらが土俵上に駆け寄り、女性らが心臓マッサージなどを行うその最中、行司らがマイクで複数回、注意した。このアナウンスに場内は騒然となって批判の声が上がり、その後、ネットでも大炎上した。

土俵上は古くから女人禁制が慣例で、大阪府の太田房江知事は2000年、春場所の土俵上で優勝力士に自ら「大阪府知事賞」を授与することを希望したが、日本相撲協会側から女性であることを理由に断られた例がある。だが、今回は1分1秒が人命に関わる事態だった。

猛烈な批判がわき起こるなか、八角理事長(54)=元横綱北勝海=は深夜11時過ぎになってコメントを発表。「とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます」とした上で、「応急処置の最中、場内アナウンスを担当していた行司が『女性は土俵から下りてください』と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くおわび申し上げます」と、陳謝したが時すでに遅し。

相撲協会の暴力体質が問題視されるなか、改めて“角界の常識は世間の非常識”を印象づけた格好だ。

かつて横綱審議委員を務めていた脚本家の内館牧子氏が「男だけ、女だけの文化があっていい。何でもかんでも男女共同参画にする必要はない」と擁護したのとは次元が違う話。病院に搬送された市長はクモ膜下出血で命に別条はないが、1カ月の入院・加療が必要だという。(久保武司)


土俵脇で…中川智子宝塚市長「悔しい」 協会へ申し入れ書送る意向も巡業部長は困惑

4/7(土) 6:02配信

デイリースポーツ

 大相撲春巡業は6日、兵庫県宝塚市で行われ、主催者側に土俵に上がってあいさつすることを拒否された中川智子市長(70)が土俵脇であいさつし、ファンや日本相撲協会に「差別」を訴えた。相撲界では土俵上は古くから女人禁制とされ、女性が上がれないしきたりがある。

 土俵脇に用意された台上から「女性ということで土俵の上であいさつできないのは悔しいです、つらいです」と声を上げた。会場は拍手と大きな声援の一方、「上がるな」など否定的な声もあった。

市長はその後、市役所で会見。近日中に日本相撲協会側に申し入れ書を送る意向を明かし「(土俵の)上でも下でもいいので(男女とも)同じ場所で平等に扱ってほしいと、議論してほしいと申し入れる。返事を文書で頂きたいと思う」と要求した。

4日の京都・舞鶴巡業では男性市長があいさつ中に土俵上で倒れ、救命女性に対し、行司が場内放送で土俵から下りるよう指示する問題があった。とはいえ、人命救助とは全くの別問題。春日野巡業部長(元関脇栃乃和歌)は「今まで通りやっている。女性蔑視ではない。なぜ去年は言わなかったのか」と困惑しかなかった。


<筆者・さゆ>

2018年4月4日、大相撲舞鶴場所で挨拶に立った「多々見良三市長」が、くも膜下出血により
土俵上で倒れた。

市長を救命する目的で、女性が土俵に上がった際「降りてください」とアナウンスしたことや、その2日後の6日、宝塚市の女性市長が土俵の上でスピーチできないということを、メディアは熱心に「差別だ!」と、報道した。

この「女子が土俵に上がれないことを、差別とする問題化」は、1978年「わんぱく相撲東京場所」の荒川予選地区の5年生の部で準優勝をとげ、蔵前国技館での決勝戦に出場するはずが、相撲教会に女人禁制を理由に断られたことから、当時労働省婦人少年局長の「森田眞弓」が「なぜ、女は土俵に上がれらないのか。不浄だからか」と相撲協会に詰め寄ったことから始まったようです。(全国大会に女子が出られないことは最初から協会側は謳っている。)

その後、何度もこの種の「なぜ土俵は女人禁制なのか?差別だ!」と主張する問題化が社会で起きているようです。

このように社会が起こしている「土俵に女性を上がらせろ!」という声に対して、そもそもの疑問は、「なぜ、土俵に女性は上がっていはいけないという、{しきたり}に対して、上がれないのがおかしい、女性差別だ!」と言う必要があるのか?ということです。

・女性は、土俵に上がらないと、生活に支障があるというのでしょうか?
・女性は土俵に上がらないと、スピーチできないのでしょうか?
・公務上、話しの内容よりも、土俵に上がることが重要なのでしょうか?

結果的には、女性が土俵に上がる「必要性」の議論よりも、「差別だ!」と主張をする事のほうが重要になっているようです。

「差別を問題化するための市長の公務」に結果的になっています。

「土俵」という超限定的な相撲取りが取り組む場に、女性が上がれない{しきたり}に対して、そこに上がれないことで、どうゆう不利益が「女性側に」あるというのでしょうか?

もしもその不利益が、日常生活に悪影響を及ぼすのなら、「女性が土俵に上がれるようにするべきだ」と私は思います。

しかし、その「女性が土俵に上がれない」との主張の目的が、「女性差別」を無くすということなら、上がれないままでよいと思います。

なぜなら、女性が土俵に上がれなくても、何ら生活を営む上での不利益はない。且つ、土俵に上らなくても公務は行えるからです。

そしてシンプルに、「興行である相撲を運営する側(相撲協会)が、土俵を女人禁制に決めた」それだけで、女性が上がれないとするには、十分だからです。

その女性が土俵に上がれないことは、一興行団体の相撲協会側が過去にした決め事であり、その内容は女性の尊厳を貶める事では決してありません。

そんなことで、女性の尊厳が貶められたと感じる人がいるのなら、女性を過小評価し過ぎです。

相撲という見世物に対して、魅力や価値を見出す為に、差別化して、ルールを作り出す。

見世物である相撲を他の興行と差別化し、特別な存在にする為に、その見世物を運営する当事者が、決めたルールがあってもいいのです。

相撲は過去からずっとそのような{しきたり}で行われてきた。
土俵はそうゆうしきたりと、昔決めた。

冒頭で紹介した1978年のわんぱく相撲の女子での問題化の際、

>官僚側の「女性不浄視が理由なのか」という問いに対し、当時の伊勢ノ海親方らは「土俵は練磨の場であり、そもそも選ばれた者しか上がることはできず、女性蔑視は無関係である」と答えた。

と、「女性蔑視は無関係」と言っている。

この理由だけで、「女性が上がらないという説明として」十分なのです。

決め事をに対して差別だと主張することは何だってできます。

例えば、サッカーの試合で、選手が子供たちと手を繋いで入場する「エスコートキッズ」を老人への差別として、「老人と入場させろ!」と言っているようなものです。

なんでも差別だと主張出来るのです。

相撲の1350年の歴史の中で、過去に先人が土俵は女性が上がれないものにすると決めた。だから、女性は上がってはいけない。それを我々は受け入れればそれでいいでしょう。

運営する当事者である、協会側が作ったルール。それでいいのです。

これは法律でも、社会設計でも、ないのです。

一つの興行のルールです。

どんなルールであっても、そのルールの影響は運営者に返ってくるのです。

そのリスクにも、メリットにもなる「決まり事」を考えて判断するのは、当事者が決めるべきことです。

その決まりことでのデメリットとしては、女人禁制の土俵で行われる相撲を見たくないという人も出てくるかもしれない。
一方、メリットとしては、男だけの世界だからこそ、魅力が増幅して感じる人も出てくるかもしれない。

そのリスクも、メリットも考えた上での決め事で、得をするのも損をするもの当事者たちなのです。しかも、彼らが作り上げる世界を我々は受け入れるも、拒否するのも自由。

そんな中、なぜ、一興行である、大相撲に「差別撤廃!」と社会的圧力をかける必要があるのでしょうか?

我々は、強制的に相撲を取らされたり、強制的に見させられるわけではないのです。

業界を繁栄させたい者と、ルールを作る者が一致しているのですからそれでいいでしょう。

その利害が一致してない人がとやかく言うことは、歴史背景や現場を知らないことによって、思わぬ大切なものを破壊することになるでしょう。

何度も言いますが、この件は一つの興行の{しきたり}に過ぎないのです。

他の興行と差別化する為に、土俵を作り、神事的行為を織り交ぜて神聖なものにしたり、工夫して、相撲は今の形になり、その一つが女人禁制であるというだけです。

ちなみに「女人禁制は、女性差別、撤廃しろ」、という側は、土俵に上がれない理由が「女性は不浄だから神聖な場所に女性を上げさせないのだろう」とか言っているようです。

他にも、「男の勝負の場に女性が上がると男性の気を紛らす」などの理由が言われていますが、こっちのほうが、実際の勝負事である現場の人間(力士)の精神に関係しそうです。

しかし、前者のように、女性は不浄だから、女人禁制であるなんて、相撲協会は説明していません。先ほども言ったよう関係無いと言っています。

つまり、差別と言いたいものが、「女人禁制」の歴史の一部を切り取って、土俵女人禁制反対の根拠にしているのです。

これは先ほどの「エスコートキッズ」で言えば、「エスコートキッズ」をするなんて、サッカー協会運営は「ロリコンを推進している!」と言っているくらい馬鹿げている反対の根拠なのです。

ちなみに、この例は、「強制わいせつから性的意図を不要とし、育児ルールを強化している現代社会」から未来の社会設計を見れば、未来の人たちがこんなバカげたことを言い出し、「子供の商業利用、手を繋ぐことがわいせつ」などと言い出すことは、未来に行われてもおかしくない話です。

はい。

相撲というたかだか、一興行に、「なぜ、女子も上がらせろ!」という必要があるのでしょうか?

誰も、被害者も、困っている人もいないのに。

つまり、男女差別問題以外の、他の目的があるとしか考えられません。(その目的は後述)

<その2に続く>


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1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき」への1件のフィードバック

  1. tub

    完全に共感します。
    女性が男性の土俵に上がることが男女平等ではなく、女性は女性の土俵を持つことが男女平等です。
    陸上百メートル競走など、男女別々の競技が男女平等の姿ですね。

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