5土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?前編


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<善意を支配設計に利用される例>

男と女は、体の構造が違うことは当たり前です。

それどころか、同じ人間は、一人としてい・な・い・ように、人は全員、「差」があるのです。

その差を埋めることは、性差を均一化した人間(同性愛推進)を作り、均一化した社会(NWO・支配設計)を形作ることに他なりません。

それを肯定する手段が「差別問題」と「グローバルスタンダード」の本性であり、「NWO(支配設計)」への手段なのです。

その支配設計(大衆を支配する為の社会設計)の為に利用されているのが、「差別撤廃」というプロパガンダなのです。

「差別は根絶しなければいけない」とする為に、極端に迫害されている一部の女性の例を挙げて、それが社会全体で行われているのように解釈して、全体に影響を及ぼす変革材料にしているのです。(現法で取り締まれるのにもかかわらず新設)

また、発展途上国を、先進国のような奴隷社会(支配設計が進んだ国)に変えるために、異文化から見たら、かわいそうなことと思えても、当事者にとっては普通の生活の一部であるのにもかかわらず、「守れ!救え!迫害されている!」として「差別を止めさせるべき」という大衆洗脳が行われて、発展途上国は先進国の手によって支配設計へと誘導されているのです。

例えば、アイヌ人には「ポン・ション」という名がいるらしいのですが、その意味は、アイヌ語で「小さなウンコ」という意味です。

我が子になぜ、ウンコと名前を付けるかと言えば、「いい名で呼ぶと悪霊に取りつかれるとの迷信から」だそうです。

そんな{しきたり}を、「児童虐待だ!」などと言っていることと、今回の「土俵女人禁制反対」は、同じようなレベルでしょう。

そして、これは、たまたまウンコを否定的に見てる現代人とアイヌ文化は一致していたようですが、そもそも、昔の文献(50年以上前のもの)を見るときには、今回で言えば、その時代のウンコの概念(アイヌ人のウンコへの捉え方と現代人のウンコの捉え方)が同じかどうか、それを見定めたうえで、判断しなければ正しい解釈はできません。

「小さなウンコ」という名前の子がいたとして、もしかしたら、ウンコをとても大切に奉る民族がいて、ウンコという名前はいい名前である可能性も十分にあるからです。

今回は、「子供の成長の為にあえて、悪い名前を付ける風習」という点で、アイヌ人のウンコへの解釈はよくないものだったということです。

そのように多角的にものを見なければなにも見えてきません。

又、例えば「善意を支配設計に利用される例」としてよく利用されている例が、以下でしょう。

「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」

だからなんでしょうか?

その土地での、長年培われてきた独自の文化形成に対して、その内容と歴史を見ずに、ただ、これを自分の文化形態との「違い」から「かわいそうなこと」とするのは稚拙すぎます。

その人が稚拙であるだけならまだいいにしろ、その稚拙から派生した行動は、善意だったとしても、その土地と人と文化を破壊します。

「13歳で結婚してはいけない。14歳で出産してはいけない。13歳は恋を知らない。」これらはかわいそうなこと。

このように言っていると、見受けられますが、その根拠は何でしょうか?

支配設計の下に生きている我々日本人が生きる近代国家では、それがおかしいと思うような社会設計と常識の書き換えがが行われたけで、10代での結婚、出産は生物の普遍として、なんら大きくそれている、おかしいことではないのです。

その証拠に、日本に西洋的支配設計が入り込んでくる明治以前は、なんらそれらと同じ生活がそこにありました。

我々の先祖も、現代人がおかしいと思う常識の下に生きていたのです。

おかしいのはどちらでしょうか?

先進国の常識を、発展途上国に強いろうとしいる「国際NGOプラン・インターナショナル」に質問ですが、

では、「晩婚化が進められ、不妊が作られている日本と同じように、この子たちも22歳までは勉強で子供が作れなく、その先も共働きしなければ食べられないから、男女共に就職し、食べ物も、企業が作った添加物まみれの食を食べ、電波で情報交流し、30代で結婚したら、6組のカップルに1組が不妊治療を受ける、」という現代の日本の社会設計のように彼らの社会を変えることが正しいことでしょうか?

ここ日本に元々あった文化が破壊され、今普通になってしまった西洋的文化(現代の日本)を、普通の事とはせずに、広い視野を持った上で、他文化を見なければ、善意の行動であろうが、「支配設計を強固にし、歴史、文化、人を破壊し、奴隷をつくことに貢献する」ということになってしまうのです。

恋愛をすることが良いことで、恋愛結婚だけが正しいという風潮が作られていますが、それが、確実に晩婚化と、少子化を招いている事実があります。

つまり、恋愛結婚の推奨が子供を持てない人を増やしていることは事実です。

もし、浮気不倫というが概念がこれほど重罪化する社会でなければ、恋も。家庭も。両立できる生活が我々にあるということを付け加えておきます。

又、経済、ルックス、共に排他を生むように設計されている社会だから、持てるものと持てないものが生まれているのです。

他民族の風習へのグローバル化という点で、キルギス族やモン族の誘拐結婚も同じことです。

略奪婚が現実に!?~道端で拉致って結婚OKの、ベトナム・モン族の実態に迫る!~

次は、「学校教育を与えよとう善意を支配設計に利用される例」と、まとめです。
<その6>に続く
以下、私の考える現代における「差別」という言葉の定義。

<「差別」の定義を明白化する>

さ‐べつ【差別】

[名](スル)
 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

 

差別を辞書で引くと上記のように出てきますが、

差別が成立するには3点の要素が必要と私は考えています。

1、社会にその違いによる悪いイメージがある

2、その違いは、本人の努力によって変えることが出来ない

3、その違いによって社会的不利益がある

このような3点によって、差別の定義づけを限定する必要があるのは、「区別」「悪口」「いじめ」「差別でっち上げ、不当であることを主張し利益を得ようとする稚拙者(差別の利用)」などと分けて考える必要があるからです。

ですから、これらを混合して、なんでも「差別」と主張することは間違っているのです。


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