本物の音楽番組「音楽チャンプ」が異例の半年で打ち切られる本当の理由


関ジャニ村上「音楽チャンプ」3月末終了 テレ朝、異例半年で打ち切り

1/31(水) 8:00配信

スポニチアネックス

 関ジャニ∞の村上信五(36)が司会を務めるテレビ朝日「今夜、誕生!音楽チャンプ」(日曜後9・58)が3月末で終了することが30日、分かった。昨年10月8日のスタートから、わずか半年でのスピード打ち切りとなる。同局関係者は「視聴率の低迷など、さまざまな要素を総合的に判断した結果」と説明した。

【写真】司会の黒木瞳

 村上が女優の黒木瞳(57)とコンビを組んで司会をする音楽オーディション番組。次世代スターを夢見る挑戦者たちが自慢の歌やダンスを披露し、審査員の評価を受けながら頂点を目指す。昨年6月に特番として放送された後、村上にとって単独で4本目の司会番組としてレギュラー化された。可愛い見掛けとは裏腹に、厳しく判定するロボット採点機「チャンプくん」の出演も話題を呼んだ。

 ジャニーズの中でも最も勢いのある人気司会者を起用し鳴り物入りでスタートした大型番組の異例のスピード終了。同局関係者によると、理由は視聴率の低迷。日曜夜の激戦区で6%前後の数字にとどまっていた。昨年12月3日に9・5%(関東地区、ビデオリサーチ)を記録するなど明るい兆しが見えたこともあったが、プライム帯(午後7~11時)の番組としては「物足りない」(同関係者)と判断された。

 同局はスポニチ本紙の取材に対し「4月改編については現在未定です」としている。


<筆者・さゆふらっとまうんど>

テレビ朝日「音楽チャンプ」については以前、記事にしました。

その記事では「AIが人を評価することを大衆に慣れさせる為に番組内で人工知能(チャンプ君)が使われている」ということを指摘しました。

テレビ朝日「音楽チャンプ」という番組について ~人工知能による人への評価を当たり前化する大衆洗脳

今回、その「音楽チャンプが早くも打ち切り」と報道されたので、その本当の理由を書きたいと思います。

なぜ早期に打ち切りになったのか?

結論から言えば、この音楽番組が「本物の歌」を大衆に伝え、しかもその「本物の歌」を大衆に教えるべく、説明、説得してしまうことに機能していたからです。

その「本物の歌」が大衆に広まれば、シンギュラリティの達成の足かせになり、且つ大衆に支配者層にとっての「凶器」をひとつ持たせてしまうことになります。

「番組の構成が、大衆支配の社会設計上で大衆洗脳の方向性として間違っていた。」

それが、打ち切りになった理由です。

この番組は「本物の歌を歌う人を増やしてしまう育成」に、なっているのです。

私が言う「本物の歌」とは端的に言えば、「人の心を動かす歌」です。

その道筋を作っていたのは、歌い手(生徒)と審査員(教師)です。(もちろん製作者も)

私は活動休止中であるのにも関わらず、唯一この番組を取り上げ、記事にしたのは、それら道筋が素晴らしかったから、AIによる審査への批判とともに、称賛する記事を上げたのです。

その称賛は、「審査員」であることは上記記事で述べました。

菅井さん、そして森さんの発言は、人の持つ「歌の力」を最大限高める為に常に機能しています。(一番下にスクショ有)

私は、支配者層傘下のメディアでこれらのことが電波に乗せられて大衆に伝わっていることに、「今の時代に逆行した良い流れである。いいぞ!」思っていました。

その「逆行」については、【3点】あります。

それではなぜ打ち切りにするほどこの番組が大衆支配上で都合が悪いのかを、説明していきたいと思います。

ーーー

〇一点目は、私が過去に動画・記事で指摘していることです。

今社会は「シンギュラリティ」に向かって邁進しています。

「シンギュラリティ」の本当の意味は、大衆、そして社会を人工知能によって統治支配する為の社会形態の事です。

(人工知能の背後には人間である支配者層がいます。)

その社会設計はあらゆるところで行われていますが、その中でも「音楽や音声」でのシンギュラリティ化は、ボーカロイドの不自然な音声に人間の脳と耳を慣れさせることがその課題の一つです。

文字入力(台本・原稿)に対して、人(アナウンサー・ナレーター)を通さず、コンピューターを使って大衆に伝えられる社会形態を目指しているのです。

その為に、ボカロ文化がニコニコ動画を通して若者にムーブメント化されたのです。

支配者層は人工知能を使った大衆統治を画策している。 ~NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」を見て

昨今ではニュースが人間のナレーションではなく、「ボーカロイド」、または「ボーカロイドのような声を出す人間」に少しずつ変わっている傾向があります。

バラエティ番組のナレーションでも、あえて人間であるナレーターが、感情や抑揚を入れずに「棒読み」するナレーションが「おしゃれでかっこいい」という風潮が作られています。皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか?

人間の声ではなく、ボーカロイドの声に人の耳を慣らせる動きが今社会で起きているのです。

その流れに対して、表現や感情、思いが入った音声を「良い」とするのはシンギュラリティに逆行した動きなのです。

これがこの番組が大衆支配上に都合が悪い一点目です。

ーーー

〇二点目は、現在の世界のヒットチャート。世界で流行しているとされる音楽は、人間があえて、人間らしくない音楽的表現をする者がもてはやされています。

人が音楽の力を享受できない、音楽がトレンドとされているのです。

つまり、人間が作る音楽を、AIが作ることができる音楽に、「寄っているもの」が「良い」とされている風潮が起こされているのです。

具体的には、無機質なトラックや生声の加工はもちろんですが、「ピッチの正確性や、感情が入っていないもの、そしてハイトーン楽曲の呪縛」などです。

昨今の超有名なメジャーシンガーは、高音ボイスで音色が良くて、ただ声を出せば音楽になってしまう声の持ち主ばかりが評価されていることに皆さんお気づきでしょうか?

つまり、表現力は無視。音色の良さだけがVOが持つ魅力という歌い手であふれている。

ただ、リズム、ピッチ、が合っていて、その人が元々持っている独自の音色が合わされば、一応は音楽になっている。聞き心地よい。

そんな人がもてはやされています。

むしろ人間味を消すことが、完成度の高い音楽とされているのです。(ピッチとリズム修正。音圧呪縛。深いコンプでダイナミクスと抑揚の排除。)

そして、「ハイトーン楽曲の呪縛」とは、高い声が出せれば歌がうまい、という呪縛です。

つまり、「痩せていれば、奇麗な女性」「学校の勉強が出来れば頭が良い」みたいな短絡思考からなる通念です。

高い声を出せる人が歌が上手い人とされているのです。

本来最高音とは、サビにポイントで1,2音入っている程度で、全体的には地声のキーに寄った高さであるのが、抑揚や表現という点で、一番良く感情を表現できるのです。

しかし、昨今(90年代から特に)高いキーの曲がもてはやされ出しました。

具体的には、「低音やチェストボイスではなく、ミックスボイスで歌わないと良い歌い手ではない。」というくらい、ミックスボイス(高音の楽曲を歌うために必須の歌唱技法)が必須のような音楽ばかりがヒットするようになってしまっています。(これは特に男性に見られ、女性はキーの高音化というより音色を失っている。)

このハイトーン楽曲の隆盛は、歌の表現力、説得力を失わせるための流れと、私は思っています。

歌の中に存在する、数ある武器(技法)の中の一つであるミックスボイスが出来なければ歌えない曲ばかりが世にあふれているのです。

高いキーの曲を歌うと何が起きるのかと言えば、表現力、説得力、つまり「伝える力」が失われます。

高いキーの曲で、「伝える力」を保つためには、その人が元々持っている音色がその高いキーで、たまたま良くないといけません。つまり先天性が大きいのです。

又は、膨大な時間をかけてそのような課題を乗り越えなければ、いけないわけです。

しかし、歌を「表現」という観点から見ると、いくら練習して、精度が高いミックスボイスが出せても「伝える力」という点では、限界あると私は思っています。

つまり、もともと誰でも持っている「表現力」という歌の必須要素は、ピッチの問題でかき消されているのです。

歌い手は、情景や感情を声で表現して伝えることが、「本当の歌」の為の主要素であるのに、ハイトーン楽曲がその「表現力」を失わせている。

又、「ハイトーン楽曲の呪縛」がシンガーの歌唱中の思考を、言葉ではなく、ピッチを外さないように当てることばかりに執着させているのです。

昨今の歌い手は、歌詞や思いを伝えることではなく、「高いピッチを正確に、きれいに歌うこと」を目指させ、られているのです。

いわばこれは、現在の義務教育過程での勉強方式と同じようなものです。独自性はいりません。型にいかにうまくハマるか。という勝負なのです。

これは人間味の欠如であり、AIの蔓延の為に、人はAIにできることをさせられ、いずれAIにとって変わられる歌を、歌わせられているということです。

人間にしかできない人間の強みを失った、歌が流行歌とされているというわけです。

その方向ののバランㇲに少しずつ寄らされているということでです。

そのAIが判断できる、ピッチやリズム、奇麗な音色だけに焦点を当てずに、「感情!」と菅井先生が言うのは、無限の可能性を秘めた「感情・思い・歌詞」を歌唱で届けることこそが歌い手を一番輝かせ、一番大切なものであると、常々説いているのです。

何度も言いますが、「ハイトーン楽曲の呪縛」は、歌に表現力を失わせる流れなのです。

ちなみに、この「ハイトーン楽曲の呪縛」は、男性の女性化、つまり同性愛者の増産と推進にも繋がっています(人口削減)

一昔前。3.40年前の歌謡曲に比べて、今のj-popのキーが格段に上がっている理由はこのような理由があると私は分析しています。

加山雄三さんや、美空ひばりさんの時代と、キー、音色共に全然違います。

正に、人間がボカロ化している現象なのです。

そして、私は現代でも、本物の歌を歌う人をたくさん知っていますが、その人たちは日の目を浴びていません。評価されるべき人が評価されていません。

これまで書いてきた観点から見て、大衆支配の社会設計上で都合が良い人たち(音楽家)ばかりが日の目を浴びているのです。

それは民放でたまにある歌番組の顔ぶれや、実際の歌を見れば皆さんもわかるでしょう。(昨今、異常に音楽番組が減らされたのもシンギュラリティへのAI音声へ大衆を慣れさせる為でしょう。)

いくらうまくても、良い声でも、本当に優れた、強烈なメッセージ性と聴衆を変えるほどの歌唱を持った歌い手はいません。(歌詞の内容も重要)

それこそ正に、注目度というのは、大衆ではなく、一部の人間に作られている証拠なのです。

話がそれてしまっていますが、要は、ロボットにはできない人間が持つ本当の歌唱能力を持つ人が溢れ、それを評価する社会であったなら、いつまでたっても、原稿をロボットに読ませて、信憑性や真実味を帯びる情報伝達が大衆にできないのです。

だから、メディアや金の流れを使って「人間の音声での表現力を奪い、表現力が無いことを迎合する社会環境を作っている」ということです。

現在ロボットは、人間のような豊かな音色を出すことはできません。

だから、少しずつ、人間にできて、ロボットにはできないことに対して、社会環境から「人間に対して制限をかけたい」のです。

その方法は、寄せたい方向に「これが今はやっている」とすることで十分なのです。

つまり、メディアや金の流れを使ってそれは達成されます。

余談ですが、ロボットが人間のように豊かな音色を作り出すことができる為には、STAP細胞を使い、完全コピーされた、完ぺきなクローン人間を作り出せる技術がなければ無理でしょう。

完ぺきなクローン人間である必要は、胃、横隔膜から頭部まで、上半身のすべてを作れなければ無理だからです。つまりそれらが作れれば全身が作れるからです。

ーーー

冒頭に言った「大衆に支配者層にとっての凶器をひとつ持たせてしまう」ということについて話します。

これら2点の世界の動きは、正に、銃規制(武力のはく奪)や性の制限(人口削減)などの大衆の力を奪うための骨子と全く同じです。

最近私は以下のツイートをしましたが、それと同じで、「本物の歌唱を手に入れることにふたをする」、つまり「個人の持つ影響力にふたをする」流れなのです。

支配者層は、個人が持つ説得力と影響力を大衆から奪い、権力側に持たせたいのです。

権力迎合主義者を増やしたいのです。

つまり「社会環境や権力がある機関や組織、人が言っていることが正しい」と、自らの思考を放棄し、権力に従う人をマスにしたいのです。

だから「個人の持つ影響力」にふたをしたいのです。

本物の歌とは、人の心を動かす力を持ちます。

それは、上記自殺と一緒で、支配者層にとっては、大衆が持つ影響力の武器なのです。

つまり、その大衆が持つ影響力の武器をはく奪する為に、自殺を犯罪化し、歌唱から表現力を奪おうとしている、つまり、「個人の持つ影響力」にふたをしたいというわけです。

それは、銃から弾を抜くようなものです。

冒頭でも言ったように、私が言う「本物の歌」とは端的に言えば、「人の心を動かす歌」です。

それが大衆支配に邪魔であるから、社会設計、つまり金とメディアを使って音楽文化を大衆支配しやすい方向に誘導しているというわけです。

その流れに逆行して機能しているのが、正にこの「音楽チャンプ」であり、その要は、森さん、菅井さんの歌い手への教えになります。支配者層にとって、お二人がしていることは、銃に弾を込める作業なのです。(下にその一部のスクショあり)

これをメディアが放送するということは、出演している挑戦者(歌い手)だけでなく「大衆への教えを行っている」ことと同じ意味なのです。

ーーー

打ち切りの原因としてスポニチの記事では、「理由は視聴率の低迷。」と言っていますが、この番組の視聴率を上げるには、審査員である「森さん、菅井さん」をもっと低能なコメンテイターやタレントに変えることでしょう。

なぜならこれまで私が言ってきた通り、お二人の発言がメディアを牛耳る支配者層方針と逆行している。だから視聴率が低いとさ・れ・て・いるのです。

視聴率が低いとは、番組内容が「大衆支配の社会設計上、大衆洗脳の方向が間違っている。」ということです。

現在のメディアは、大衆支配への社会設計の為に大衆洗脳として存在しているのです。

そしてそもそもですが、「視聴率」とは、支配者層が目指す大衆洗脳の方向に番組構成を誘導する為に存在しているものであり、大衆のテレビ視聴の多少が反映されたものでありません。

以下の動画で言ったように、「視聴率」とは、大衆支配の社会構築上での大衆洗脳への有効性に対して付けられる番組制作者への「評価」であり、それは、一部の人間(支配者層)の都合で付けられている数字なのです。

打ち切りの原因の本当の理由は、「大衆支配の社会設計上で大衆洗脳の方向が間違っているから」であり、それがまずいから低視聴率にされて、打ち切られるということです。

支配者層にとって利のない番組が低視聴率とされるのです。

視聴率が高い番組は、大衆支配上のメリットが潜んでいると考えて間違えありません。

それがNWOが実現した戦後のここ地球で、至極自然な形なのです。

ーーー

「この番組は、審査員である、森さん、菅井さんを変えれば確実に視聴率は上がります。」

と前述しましたが、この番組の根幹は、このお二人です。

歌い手と、その歌に対するこのお二人のコメントがこの番組の主なのです。それが制作陣営の番組編成からも伝わってきます。「菅井の評価は?!」といってCMをまたいだりします。

このお二人がいなくなったら、もはや違う番組であり、逆に降板理由などに、注目が集まってしまいます。視聴者は、その理由を求めるでしょう。

その理由の本質を突いているのは、本記事以外にありません。

↓ ちなみに、こんな記事もありましたが、その「わけ」は「素人の非予定調和がおもしろい」なんて浅いものではありません。その目的は、私の前回の記事で言いました。

テレビ朝日「音楽チャンプ」という番組について ~人工知能による人への評価を当たり前化する大衆洗脳

この目的が番組内であまり機能していなかった。それどころか挑戦者のAIへのディスりを普通にカットしてないのも問題だったでしょう。

審査員のお二人の発言が見どころのこの番組が、現代社会における大衆支配の社会構築上都合が悪ければ、もうこの番組は打ち切るしかないのです。

そして、しかしながら、半年で番組が打ち切られることが異例としても、なぜわざわざ、一番組の打ち切りをスポニチが記事にしているかと言えば、やはり注目されている番組だからに他なりません。

私は実際は、社会に逆行したこの番組が、高視聴率であったことからも、打ち切らざるを得なかったとみています。

そうしなければ、大衆の耳が肥えてしまい、注目させたい音楽に注目が集められなくなるからです。

大衆が何を見て、何を聞き、なんの影響を受けるかをコントロールしたいのが、支配者層の仕事なのです。

だから大衆を本当の意味で教育することは、メディアには許されないのです。

そして生物の普遍性に沿った教えや学びというのは、人を引き付けるからです。

それは自然現象なのです。

ーーー

そして私は、大衆支配の社会設計上では、不利益な番組であることを認識していたので、「音楽チャンプ」の打ち切りを予期していました。

そう予期する上で、気になる点がありました。

それは、この番組のHPに記載されている放送日が、「毎週日曜日」と書いてあるのに、なぜか毎週行われていなかったからです。

2017年10月8日、2017年11月19日、2017年11月26日、2017年12月3日、2018年1月28日と一ヶ月に1~2回しか放送されていません。

これは、何かしらの圧力がかかっているのでは?思っていました。

HPに「毎週」と書いてあるわけですから。
だからこの打ち切りの記事をみて、「やっぱりな。」と確信し、本記事を書いているのです。

私は、ここにこの番組の存続と、審査員のお二人の発言を公共の電波に乗せるべきであると主張します。

それはこの番組が、人間の持つ歌の力の存続に繋がると確信しているからです。

人間が持つ甚大な能力のひとつ「本物の歌唱」を、この世界により多くの人材に対して残すべきです。

逆にこのような場の排除は、人間の持つ歌の力「本物の歌唱」の存続に対し、メディアは力を貸さないということです。

これに私は反対したします。

しかし、これこそが、メディアの本質なのです。

そしてなにより、自分の歌がわからなくなっていたこの私が、この番組のおかげで、歌というものの意味を思い出させてもらった一人だからです。

しかもちょうど、私の活動休止中の時期に、この番組が放送されました。
そのタイミングの合致なども相まって、関係者の方には感謝しています。

社会(支配者層)は、大衆支配の社会設計上、

人が感情を出す歌を歌うことも
他者を説得する歌を歌うことも
人の心を動かす歌を歌うことも
社会に毒されない人間が歌う歌も
大家族が見えてくる歌も
歌詞を魂と繋げて音楽に乗せることも

排除したいのです。

「大衆の影響力の武器」を、はく奪するのが支配者層にとって大衆支配する上で必要だからです。

その為に、この番組を打ち切る必要があるのです。

↓ このお二人の教えは、「一個人(歌い手)の他者に対する影響力を増加させるために機能している」のです。

大衆支配の社会設計に機能した放送局の中で、音楽チャンプは人が持つ歌唱の潜在能力を呼び起こす方向に機能している。

しかもそれを、大手民放が支配者層の電波を使って大衆に流布している。

これがこの番組が打ち切られる本当理由なのです。

メディア、行政という大権力が支配者層に握られていますが、「言葉と歌」、その超シンプルで、たった一人の人間が成しえる甚大なの力を塞ぎこみ、それを潰そうとしているのです。

歌唱の甚大な力は、何百年も前から音楽家のパトロンとして囲っていた支配者層ならよく理解していることでしょう。

本物の歌唱は、人を動かし、人を変える力を持っているのです。

これが人間一人の潜在能力なのです。

ーーー

〇最後に3点目です。

この番組を見ていて、「なぜ歌い手は、審査員の言葉で泣いているのか?」という疑問がある方がいるかもしれません。

この涙のわけが、私にはよくわかります。

彼らは、怒られて、悲しくて、点数が低くて、対戦者に負けて、増してやいじめられて、泣いているのではありません。

この感情を言葉にするのは大変難しいのですが、あえて、感情を狭める覚悟で文字にするなら、

歌い手(生徒)が己の人生をかけて追及していることに対して、同じベクトルを向いている人生の先輩である経験者(教師)が、厳しくも、愛のある言葉をかける。その指摘に気づきたかった、気づけなかったもどかしさと、自分に足りなかったものは、それだ!という確信。そして忘れてはいけないものを忘れていた自分への羞恥、且つ一秒でも早く気づけた喜びなどがうごめいているのではないとか、と私は思うのです。

私も、このお二人の発言で涙が出てくるのでわかるのです。

とても大切なことを言っているのです。

これが、「教育」であり「部活」なのです。

これが生徒と教師のあるべき「関係性」なのです。

この番組で、

生徒には、向上心、熱意、覚悟、素直さ。
教師には、厳しさ、愛、そして「他者に説くべき人生を歩んできた経験値と繋がっている今」があるのです。

どれかひとつだけでは不十分なのです。

すべてがなければいけません。

つまり、部活の淘汰、教師と生徒の関係性の悪化を作ることによって、教師を淘汰し、AIに変えようとしている社会構築に対してもまた、この番組は邪魔なのです。

現代社会では、教師と生徒の関係が良好ではいけないのです。社会は、教師のイメージを悪くして淘汰したいからです。

教師は、わいせつであり、暴力的であり、過酷労働で辞めたいと思っている犯罪者ではなければ、AIにとって変わる口実にすることができないのです。

暴力教師のレッテルを張るためには、「厳しさ」に過剰反応する社会と大衆が必要なのです。

ましてや生徒を泣かすことに対しては特に過剰に反応することで、教師に「悪」のレッテルを張りやすいでしょう。

そして、いじめの認定を増やす為にも、生徒側に精神衰弱者を増やしたい、つまり、もろく弱い、すぐ逃げる、責任転嫁する生徒である必要があるのです。

だから、厳しさを求める向上心ある歌い手と、厳しく愛がある教師の姿が、画面に映っては困るのです。

しかし、この番組では、教師と生徒の正しい在り方が提示されている。

成長を望む両者が「愛ある厳しさ」によって相互利益が生まれている。

つまり、未熟を抜け出し、大人になろうとしている姿がそこにあるのです。

未熟な者を量産することで社会変革しやすくしようとしている社会の流れに逆行しているのです。

暴力も、厳しさも使いようなのです。

劇薬が必要な人もいるのです。

それを、大衆支配の為の社会構築上で一律に淘汰しようとしている。

これが3点目の理由です。

これらのことにより、現代社会では、この番組は、打ち切る以外にないのです。

2018/02/01 さゆふらっとまうんど


<以下関連動画>

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本物の音楽番組「音楽チャンプ」が異例の半年で打ち切られる本当の理由」への2件のフィードバック

  1. tub

    虚構である「民主政府」を利用するのに飽きたらず、さらに、大衆を「AI」の支配下に置き、完全に奴隷化する流れにあるのですね。

  2. @Benigoma46

    大変興味深く記事を読ませて頂きました。昨日STAP細胞についての動画(「あの日」を読んで)をYouTubeで拝見させて頂き、共感を得たばかりでした。
    この番組(辛口審査員)に対するツイッター等の批判的な書き込みを観ていると、敢えて選んだ言葉の裏に込められた深い愛情を感じ取れない無機質な人間が徐々に作られているようである種の恐怖さえ感じます。
    メディアを始め、各業界の利権確保優先の行動に強い違和感を覚えます。

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