<我孫子チラシ> テキストデータ


我孫子NEW表0523知らない人に話しかけられたら逃げなさい

そう教えるのが子供の安全の為と思っていませんか?

子を守る為には「人との交流を避け身近に不審者がいることを教えなければいけない」と我々は事件を受けて思わされてしまいました。

リンちゃんが行方不明になったとされた日は、三学期の終業式。遺体発見は、それから2日後の春休み最初の日曜日です。

春休み中、警察とメディアは、犯人情報には一切触れずに、犯人が誰だかわからない状態を保ちながら「こんな幼くて

可愛い子が殺され、遺棄された」と、リンちゃんの情報だけを扱うことで、盛んに大衆不安を煽りました。

そして犯人が捕まらないまま春休みが明け、「リンちゃんが通う小学校では、始業式と入学式が物々しい雰囲気で

行われた」と、その様子が報じられました。そしてその3日後、犯人が逮捕されたのです。

春休み中、事件解決をしないことで大衆不安を煽り「知らない人に気を付けなさい」(ほとんどが知らない人)と

親が子供の心に他者への懐疑心を植え付ける事を本事件はさせたのです。子供を守る為には、「知らない人との

交流を避け不審者がいることを教えなければいけない」と両親は思わされたのです。それだけではありません。犯人は、

「保護者会 会長」とされました。「身近な人、知っている人、保護者の中に犯人がいた」とすることで、我々は

他者を見る上での懐疑心を、より広い範囲に向けるように促されているのです。

これまでは「知らない人について行ってはいけない」という教えで不審者は避けられる、とされてきました。

しかし犯人は身近な人の中にいた、とされたことで「避けなければいけない人」の範囲が、知らない人ではなく「身内」

の中へと広がったのです。「不審者」という概念が、身内にまで広げられたのです。

「知っている人でも危険。ついて行っちゃダメ。」という「知ってる人」とは、

自分自身(両親)が例外ではありません。つまりその概念は、必ず親子を引き離す為の社会環境へと利用されます。

つまり、子供の心に懐疑心を植え込む教えは自分と子を引き離す行動になるのです。

不審者の矛先を両親へと向け、親子を引き裂く口実にするべく行政は、今後社会整備を行ってくるでしょう。

更に本事件を受けて、防犯教育の強化・集団登下校・部活動の中止・防犯カメラ設置の強化

防犯ボックスの設置などの目的も既に達成されています。

これらのことから、人との出会いや交流を希薄にする為だけでなく、身近な人との関係も「危険」とすることで

「知らない人から知っている人」そして「信頼が置ける人から家庭内」にまで、疑いの目を向けるような常識を

生み出す意図を持って「事件が作られた」と思わざるを得ません。

事件で起きた全ての事象のタイミング、そして人選などがまるで、このような大衆誘導、そして社会変革をする為に意図的に作られたかのように綺麗にマッチングしているのが本事件なのです。

詳しくは、前面のQRコード先の動画・記事をご覧ください。

身近な人との関係も「危険」として子供の心に懐疑心を植え込む教えは、親子を引き離すことになります。

「不審者に気を付けて!」と教えることは身を守れないどころか子供を不幸にします。

愛されて育った人は、人を疑わず、他者をまず「良い人」であると思って接します。愛されて育った人は

他者に興味があり、いつも心が喜びで満ちています。その心は、人にも愛され、人と人とを繋ぎ

自分自身の可能性を高め、広げることになるのです。

それこそが、身を守る自衛の心の状態なのです。愛される人は、必ず他者が助けてくれるからです。

人を疑い、人を避けることは、一番間違った自衛方法です。昔の社会では前者が普通のことであり、

それが大衆の大多数の心の状態でした。

これとは逆に「不審者に気を付けろ!」と、教えることは、心に他者への懐疑心を植え付けます。それは「人を疑え」

「他人は犯罪者」と子に教えることと同じです。人を警戒して接する人は、人に警戒され避けられるようになりますから

それは、子が人に愛されず、人との交流を持てない、未来への可能性を閉ざす心を親が作ることになるのです。

人を疑って見ることで人間関係を築けない心を持つことは、みんなにとって損なのです。

それを現代社会では、意図的にメディア、行政、教育現場などが一体となって以下の様に大衆の心に

「不安と懐疑心」を作り出しているのです。

「人のことを疑わずに好意を持って接すると、騙され、詐欺に合い、ひどい目に合う。他人には気を付けろ。」

「良い人でも表裏がある。」「知らない人は怖い。(だから、狭い交友関係で生きろ。)」

「ネット環境の推進(一生会うことのない希薄な人間関係でいろ。)」

このような風潮・環境を大衆の生活の中に作り上げることを社会は行っています。しかし、我々に必要なのは

不審者に気を付けることでも他者を疑うことでも、集団登下校するシステムでも、防犯教育でもなく

「安心して暮らせる社会環境」であるはずです。

他者を疑うこと、集団登下校することなどは、身を守ることにはなりません。

人を良い人だと思って接することが、自分の身を守ることになるのです。

それと逆行する社会の動きは、我々の幸福とは違う方向に向かっていることを示しているのです。

人のことを疑わず、愛を持って接することは、自分も愛され、素晴らしい出会いに恵まれ、力が何倍にもなり

多くの人に助けられる。これが我々人間の普遍性なのです。

しかし、なぜ社会がそれと逆行する方向に進むのかといえば、大衆がそのような心を持つなら、大衆が一丸となって

団結し、一人一人が潜在能力を生かした力を持ってしまいます。それではマイノリティーである支配者層が大衆を

コントロールできなくなるから大衆を分断する為にメディアを使い、大衆の心に疑心暗鬼な感情を作り出している

というわけです。だから向こう側は、不審者、ストーカーという概念を作り、同時に立法することで犯罪を

作り上げて、大衆を分断する流れを作っているのです。

大衆の大多数は良心の元に行動しています。懐疑的に人と接することは人生が暗くつまらないものになり、

出会いが持つ甚大な可能性を妨げることになるのです。それは、不幸を呼び、誰も得をしないいじけた心の状態なのです。

そのような心に学校教育でしてしまおう、というのが、今回の我孫子市女児遺棄を契機に「危険予測能力

危険回避能力の防犯教育を徹底する」という行政の対応であり、それは、他者への懐疑心を生み出す心を

子供達の中に作り出すことを目的として行われているのです。

これら社会のミス誘導をしっかりと見て、正しい方向を読み取り、子を導くことが必要です。

人を疑わず、良い人だと思って接することが、一番の自衛の方法です。


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