<筆者・さゆ>
子供たちが書いた文字一つ一つをお読みください。
皆さんどう思いましたか?
このような教育を義務教育ですることをあなたは望みますか?
多くの子が口々に「(人が少なくて)見られていないから危ない。」と言っています。
これではこの子供達が大人になったら、「監視されてないと怖い」という精神状態で生きることになるでしょう。
彼らが監視カメラに映ることを自ら求めるでしょう。
つまり今、監視社会は人の心に作られているのです。
また、多くの子が口々に「誰か(不審者)が隠れているかもしれない。」と言っています。
「知らない人が襲ってくるのかもしれない」という恐怖が埋め込まれているのです。
このような心の状態で他者(知らない人)と仲良くなっていけるでしょうか?
何度も言いますが、元は自分以外知らない人なのです。
両親とも家族とも自分の誕生日に初めて会ったのです。
今一番仲がいいお友達とも、入学式や生活の中で初めて会った瞬間があったのです。
それまでは「みんな知らない人」なのです。
子供たちは授業で、対人関係を全否定する事を教え込まれているのです。
つまり、これら防犯教育(こどもあんぜんマップ、セーフティ教室)は、身を守る為の教育ではなく大衆を分断するための教育なのです。(分断教育)
それはシンギュラリティに繋がっています。
これを、総じて奴隷教育と言わずしてなんと言うでしょうか?
しかもこの現実にほぼすべての教師も親も気づいていないのではないでしょうか?
気づいたなら戦うはずでしょう。
子の未来、未来の子孫を思うなら。
このように子供に他者への懐疑心が埋め込まれ、ネット社会により対人関係が希薄な社会環境は作られ、自分以外信じられないという心が作られ、大人になる過程で増々、自分さえよければいいという「個人主義」が加速することでしょう。
皆さん。
このままでよいとお思いですか?
・<大衆分断教育>「いかのおすし」と「セーフティ教室(防犯教育)」の本当の目的。
自分たちは愚か、子供たちに首輪がかけられようとしています。
この記事の子供たちの文章を見て哀しい奴隷の現実が見えないでしょうか?
お子様をお持ちの方・・・このままでいいのでしょうか、我々にまだ見えない鎖が我々にもきちんとあるけれど、今の子供たちは我々とは格段に違うレベルの首輪がかかり始めています。
今少しでもこの記事の意味が分かる方は、
じいじ、ばあばになって孫を見たときに胸が痛くなるような生き方が待っていると思うのです。
「今」しかないです。
いつ来るか分かららない未来に次やまた、はない、今しか生きれないのが人間です。
こんな事(知らない人は不審者だ)を我が子に教える親は、自分がよその子供からそう思われるということに考えが及ばない。
こんな事を子供達に教える大人達は、自分達がそう思われることを想定できない愚か者。