

「わかったなババア」拘置所出てすぐ脅迫
毎日放送 4/13(木) 19:16配信
近所の女性に暴言を繰り返した罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた男。拘置所を出て、また同じ女性を脅迫したとして逮捕されました。
「おどれら、絶対に許さんからな。覚えとけ、わかったなババア」(落盛男容疑者・64歳)
近隣住民に対して暴言を吐く男。脅迫の疑いで先月逮捕された、京都市山科区の無職・落盛男容疑者(64)です。警察によりますと落容疑者は近所に住む69歳の女性に対し、「お前を絶対許すかコラ。刑務所に入ってもかまわへんのや」などと脅迫した疑いが持たれています。
落容疑者は去年11月にもこの女性に対し「絶対許さへん。一生恨む」などと、乱暴な言葉を繰り返し浴びせたとして逮捕されていました。そして今年2月、京都地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けますが、拘置所を出た直後から再び同じ女性に暴言を吐くなどの行為を行うようになったのです。
「絶対に許さんからな。みんなに言うとけコラ」(落盛男容疑者)
これも拘置所を出たあと、先月の映像です。女性だけでなく、複数の近隣住民にも暴言を吐いていたといいます。
「帰って来てまたやったんや」(近所の人)
「帰って来て3日目」
「『執行猶予とかどうでもええわ。俺は刑務所でもどこでも行ったるわ』と。それでまたわめきだした」
「大きな声で『てめえ、なめてんのか。130回も通報しやがって』とか。『ババア』とか、この辺を歩きながら。帰って来たら同じことの繰り返し。もう慣れましたけど」
取り調べに対し落容疑者は「女性に対し危害を加えるつもりはありませんでした。脅迫したこともありません」と容疑を否認しています。
<筆者>
こうゆう観点からも、性の喜びおじさんは邪魔だったのでしょう。
なぜなら暴言を吐く人に対して、それを「笑い」に変えてしまったり、下の近隣住民のように「慣れ」てしまったら、「ヘイトスピーチ」なる概念を「悪」として敷設できなくなるからです。支配者層はある言葉を発したら、虐待、いじめ、暴言、として逮捕とする社会を構築したいのです。
そしてそれだけなく、今回のこの件を報道した目的は、大衆分断です。
「ご近所付き合いなんてしちゃだめだよ」ということがメディアは言いたいのです。
その証拠に「ご近所付き合いをもっと親密にしていくことこそが、トラブルを避けることになる」という、正論は絶対に言いません。
FNNの動画でも彼の良い面を二面性として(我孫子の渋谷と同じ)良い人でも接しないように促す内容なのです。
そして「迷惑防止条例違反」などとしてこの人を逮捕するなど、行政が入り込んでも、なんに解決になりません。
実際に「拘置所からでて2日経ってまた・・」と、そうだったではないですか。
解決になるのは当事者同士の冷静かつ建設的な対話の積み重ねしかないのです。
行政介入ではなく、対話を通した「心の納得」に解決の糸口があるのです。
これをさせない為にも、不審者、ストーカーなどの概念の構築、懐疑的な心の構築が大きく寄与しています。
つまり、落さんを「敵」として見るのではなく、「仲間」としてみたのなら、トラブルは起きたでしょうか?
起きなかったと思います。
私が我孫子動画vol.12の最後で言ったように、「魚心あれば水心」です。この落さんと近隣住民が有効な関係を築くためには、110番ではなく、先ほど言ったような「冷静かつ建設的な対話の積み重ね」をサポートする人間が必要だったのです。
「行政が介入することが、一番悪い方法だった好例が本件である。」と言えるのです。
実際に「警察の関与がより落さんを暴走するきっかけになった」と、FNNも隠さず報道しています。
落さんも「なんで警察を呼ぶんだ」というのは、近隣住民のその行為は自分が悪い人であると言われていることと同等であると感じているからでしょう。
警察を呼ぶこと、ICレコーダーを見せることは、落さんの感情を逆なでし、暴走すると明らかに逆効果であること近隣住民に促す必要があったのです。
必要だったのは落さんへの一方通行のアプローチではなく、当事者への対話のアプローチができる人なのです。
行政はなんの解決へと導く介入はできないのです。
行政は大衆内に多くのルールを新設し乱立したい利害関係を持つ支配者層の都合でしか動くことができないように操作されているのです。
そして、ここで私はある提案をしたいと思います。
この落さんは、第二の「性の喜びおじさん」になれる資質を感じます。youtuberの皆さんぜひ、この落さんに取材して動画を撮り、「実は面白くて、良いおじさんがちょっとこじれちゃっただけなんだよね~」と、動画を上げてください!
実際に何があったのか、彼の言い分をFNNなどという向こう側のフィルターではなく、我々大衆の良心のフィルターを通して我々に届けてください。
それは公益になります。
そしてyoutuberなど若者との交流は彼の心をなごやかにするでしょう。
落さんのような人に必要なのは、「人」なのです。
現在彼へ取材しているyoutuberはいないようですよ!
<以下関連記事動画>
・顔写真付きで性の喜びおじさんの急死を日テレNEWS 24が報道していた。米CNNは「殺された」と報道。~意図的に殺されたのか、偶発的トラブルなのか考察
・ヘイトスピーチ対策法は現代版の「不敬罪」である。 ~神奈川・川崎市、「ヘイトスピーチ」で公園使用認めず
・ストーカー規制法の「執拗な投稿」とは5回のメッセージのようです。~元交際相手にLINEでメッセージ5回と音声データ送信して逮捕
児童虐待、高齢者虐待、近所のトラブル、行政がどんどん介入してきているが、何一つ根本的な解決なっていない。すべては、家族や近所などの人間関係の希薄さが原因なのに、早期に行政が介入することでさらに自分たちで解決する能力(人間関係の大切さを知り、絆を取り戻す)を阻害している。特に最近の幼児に対する行政の介入はひどい状態だ。発達が平均より低い子供やワクチンを打たない子供に対してすぐに保健所が介入する、母親は、保健所の介入に戦々恐々としている。そりゃあ、子育てに悩む母親が増えるはずだ。国はそれを望んでいる。
落さんの気持ちが痛いほどわかります。
私も以前、家族や親戚の中で理解されずに孤立しかけた時がありました。
警察を呼ばれると「何で」という気持ちになりますよね。
逃げれば追いかけたくもなるもので、親切な人ほどむしろ「何で」という気持ちが増幅して怒りに繋がるように思います。
そして、そもそも容疑者、被害者、という概念そのものが我々を不幸にしているという事なんだと思います。
私が感じたのは、相手がまず自分が被害者だと思い込むことから始まり、自分が容疑者(悪者)にされるんだということでした。
被害者なんていないのです、ただの人である自分を被害者という器に入れる自分がいるだけです。
昔近所に、野良犬がいましたが、当時小学生の私は怖くていつも走って逃げては犬に追いかけられました。
そしてある時に気付きました、「怖がらなければ追いかけてこないのではないか?」と。
そして少し勇気を出してその野良犬の前を落ち着いて歩いてみると、通り過ぎても犬は追いかけてきませんでした。
人間同士、動物同士、自分を相手が写しているということなのかなと、今は考えています。