肉食について- さゆふらっとまうんど


質問に答えますWS000165 WS000163

 

 

 

 

 

 

 


【質問者さんの質問を逸脱して答えています 下記さゆふらっとまうんど動画に寄せられた未承認コメントの肉食悪への返答を念頭に答えています 質問者さんを否定するものではありません】

あなたの動画は食卓に提供される動物達が虐待されながら生涯を終えているのは確認された上での意見でしょうか?

問題は、肉食ですか?

資本システムではないですか?
畜産システムではないですか?
悪徳畜産業者ではないですか?
先物投資家ではないですか?
国の食品輸入出に関する方針と圧力に問題ないですか?
現代特有のペット文化による動物へのイデオロギーの書き換えではないですか?

これらをしっかり分けて考えなくてはいけません 混合しては何も見えてきません 私の動画では近代化以前は元より、人類が始まった数千万年前からの歴史も遡った抽象度、そして国境を越えて話しています

私たちの祖先は肉を食べて生きてきたのです 直近では戦後食糧難の時代に日本人にとって鯨肉のたんぱく質摂取が必要な栄養素でした 祖先を否定するのでしょうか? 祖先を否定することは自己否定そのもの自虐行為です 現代人は野蛮な祖先から進化したとでも言いたいのでしょうか? 完全な思い上がりです
穀物栽培の進歩により食の選択肢が広くなったに過ぎません よって肉食虐待論は現代人特有の概念なのです

まさか人類が最初から穀物を栽培しているのだと思って無いですよね?

エスキモーは野菜が取れない地形に住んでいることから、たんぱく質とビタミンを補う為にアザラシや鯨の肉を食べています 彼らからそれらを奪いますか?

資本にまみれ利潤追求する悪徳畜産システムを見せ、鬼畜畜産業者の動物への無残な扱いを見せて、肉食を否定するなんて本質のすり替えであり それに気づかないのは実に稚拙です

よって肉食を否定する理由は悪徳畜産農家が残虐な飼育形態を持っているからではないですか?

問題は肉食ではなく、その業者です
肉食は悪だ。と言うことにすり替えられている そんなことに気づかないのか
もちろんそんな業者が生まれるのも様々は環境が影響している、それが上記の質問だ

そして権力者は最も簡単に人類を家畜化するために、動物の価値を上げるイデオロギーを作りたいと思っている それはさゆふらっとまうんど動画の通りだ

人間が動物に対する価値基準は時代と共に変わってきている、動物の中でも特に犬猫との距離が縮まってきている、たかだかここ20年を見てもペットが室外から室内へと入ってきている。その動物愛を持つのは悪いことではないし、肉を食べないならそれも否定はしない しかし、悪徳業者の実態を見せて、肉食が悪だの、肉食は虐待だのというのは馬鹿げている 悪徳業者は取り締まらなくてはいけないが 肉食=悪とするのは筋違いもいいところだ もう一度言うが、食べたくない人を否定しないし、動物を殺すことを我が身と考える優しさ(弱さだと思うが)も一切否定する気は無い

愛する家族であるペットが虐待されたら嫌だ!だからペットを虐待するのは反対!それももちろん分かるし当たり前だ わたしもペット虐待は反対である ペットは家族だから家族が虐待されている姿は見たくない でも、私たちは肉を食べてるし 食べてきた それは事実だ 矛盾してるけど事実だ 肉食をやめれば世界は平和になる? それは違う そして、それが他人の家の出来事でも同じべきだとイデオロギーを押し付けるのもまた違うと思う

動画でも言っているが、ペットと言う概念自体が虐待である可能性を内包している事を知らなくてはいけない
何が虐待でなにが虐待じゃないか、それはペットと言語コミュニケーションをとる以外にはっきりさせることは難しい

山の中に住んでたばあちゃんは猫を放し飼いにしていてよく、猫が何日帰ってこないとか心配してた、ねずみを自慢げにくわえて帰ってきたり、人間と一緒に寝てまた山に何日も行ったり玄関に出したえさを食べたり。家に閉じ込めることは無かった猫の気持ちに反することを一切しなかった 俺が千葉に帰る晩は分かるのか一緒に寝たのが不思議だった しかし現代の住宅事情でそれはできない 放し飼いにしたらご近所問題になる だから逃げられたか困るから、家に閉じ込める それは虐待じゃないのか?みんなしていることは虐待じゃない?一軒家の広い家から1kまで住宅事情はさまざまだ、それも、虐待じゃないのか?毎日散歩させる犬と、散歩はしないで家の中のおトイレシートにする犬がいる それは虐待じゃない? わからない

だから虐待とは肉体的外傷を加える云々とかいう屁理屈の前に、すべてが人間本位であり矛盾していることをまずは認めなければいけない

私は害虫と言う言葉が大嫌いだ この世に害虫なんていない 人間が害虫と呼ぶ生物がいなくなったら生態系が変わり困るのは結局人間なのだ 虫に対してそのような扱いをする奴らほど害だ 肉食を否定する人はもちろんゴキブリはおろか害虫と呼ばれる虫を毛嫌いして無いですよね? ペットとの違いはなんですか? かわいいか、気持ち悪いか? それは社会が作ったイデオロギーに洗脳されているだけだ
虫が入ってこないように窓を開けたことが無いという人も聞いたことがある


俺は、腕に虫が付いて「こんにちは」と言った子供を知っている、その母親は腕に虫が付くとひどい顔で奇声を上げて振りほどく、それが正しい反応なのだと子供が思ってそうなっていくのだ だから俺はその子を見習ってそうしている

俺のじいちゃんは牛を育てていた、一頭ずつしか育てないのが俺のじいちゃんのこだわりだった 良い牛を育てました。みたいな賞状がいっぱいあった、牛を売るときは一家総出で牛を見送った 毎回泣いてたよ 送り出す数日前から家族の雰囲気が重くなり誰も何も言わないけどそうゆう事だと理解する 無口なじいちゃんがもっと無口になる 金や商売のことを家族が話しているのを聞いたことは一度も無い 「行っちゃった」と悲しそうな年寄りの背中と、家族を失った重みがその後も何日も続いた

命の重みを感じるからこそ、食べることで正しい道を歩もうと思える 自分の人生を他者の為に、人様の為に、死んだ命の為に力強く使おうと思える そうじいちゃんに言われてる気がしていた それはいけない事だろうか?

いや、むしろそう思わずに、前を向かずに肉食をやめるのは生きることから後ろを向き、死んだものへと向き合うことを止めた、ただの逃げた自尊心が低い人間ではないか 殺めた苦しみを食うんだよ その苦しみを人様に、未来に増幅させて返す努力もせずに、なにが 虐待だ 肉を食う奴は野蛮? ふざけるな 先祖はそんな流暢なことを言って今まで生きのびてきたのではない

私は動物を愛して育て毎回心を引き裂かれながら出荷している畜産農家を知っている

そして肉食に限らず僕らは米だって、野菜だって、空気だって殺している

肉食は虐待で、野菜食は虐待じゃない根拠を示せる人間はいない
哺乳類、鳥類、魚類、植物、昆虫のどれが駄目でどれが良いか根拠は無い

よって虐待を動物に限定していること、それも人間のエゴに過ぎない

人間は殺めて生かされる、その責任を失ってはいけない
その責任から逃れる為に、後ろを向いてはいけない

一番大切なことは命と向き合うことを止めないこと
それを心の景色に描かかなければいけない

 

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肉食について- さゆふらっとまうんど」への5件のフィードバック

  1. 通りがけ

    おっしゃるとおり。
    万物有情。これが先祖代々親から子へ伝えてきた日本常民菩薩大和民族の心であり魂です。

  2. uUDMuRPT2014

    さゆさんの動画への浅はかなコメントに対し、さゆさんが回答していく中で、私達も含めて理解を深めていけるわけですが、そうはあってもそれに掛かるさゆさんの労力や貴重な時間が失われていくのは、ちょっともったいない事かなぁとも思うわけです。

    浅はかなコメントに対しては、回答する価値を見いだせなければ、華麗にスルーした方が効率的・健康的なこともあると思います。
    既に、なされているかと存じますけれども。

  3. hanzawa

    動物と話せるという人がいる。私も動物は大好きだし(子どもの頃猫と一緒に寝てた)、
    私にそんな能力があったら動物たちの代弁者になりたいと思う。
    どんな生き物だって、寿命をまっとうする方が幸せと思うから今はベジタリアンになった。
    しかし玉子は無精卵なら命とはまだ言えないから、なんて食す程度だ。
    だからTV番組でグルメを気取っている場面を見ると、頭に血が上る。
    くだらないお前の為にこの牛は犠牲になったと思う時、命が無駄になったと残念なの。
    牧場で子牛や子羊達が駆け回っている、それらを可愛いなんていいつつ、
    結局は子牛のステーキを食べるのだ。
    その無神経さに気がつかない人々を怒る権利はないかもしれないのが歯がゆい。
    しかし日本人の洋食への転換はGHQの策略なので、正にその策略にどっぷりと
    嵌ってしまったのね。それ以前は日本の食卓に肉料理が登る事はめったになかった。
    最近の肉は薬漬けという。だから米国の女性はホルモン剤の影響で巨乳化しているん
    だってね。脳みそはスカスカのホルスタインみたいでみっともない。ʅ(´◡◝)ʃ
    それと牛乳を飲む人ほど骨粗鬆症が多いらしいから、要注意と医者が言ってた。
    で、毛唐の文化なんてクソみたいなものと気がついた。宗教観が間違っているからだろう。
    捕鯨問題で日本にだけいちゃもんをつけて来るのは、偽○ダヤのやらせみたいだし、
    ほとほと呆れ返るので、もうアングロサクソンとは断交したらいいというのが最近の結論。
    奴らから学ぶものは何もない、我々は白人の価値観と宗教なんていらない。
    鎖国したくなった。日本は日いづる国。日本がソッポを向いたら世界中パニックになるだろう。

  4. TAIZOU

    畑では、鍬を入れ耕します。そのときに、殺そうとしていなくとも沢山の命を潰してしまいます。
    注意深く小さなスコップで耕そうとしても、うっかり殺してしまいます。
    その命は、大変申し訳ないのですが、野菜の肥料になり、わたしたちの口に入ります。
    すでに、野菜には、たくさんの生物の「命の重み」が入っています。
    たぶん、こういうことに気がついていないから、心から感謝して食べる意味を知らないのでしょう。

    ただ動物性の肉を食べたく無い者は、食べなくても良いと思います。
    食べないからといって死ぬことはないからです。自由です。

  5. ちょっと通りますよ

    私は菜食に切り替え、酒類ももともと苦手で飲みません。
    でも、気をつけていても普段の食事に動物性のエキスとか混ざってるかもしれないので、完全な菜食生活にはなってないと思ってます。
    私は肉食は今の技術の進歩した世界にはもう必要ないと思ったからやめました。
    ユダが悪用していた気象兵器を、フリーエネルギーを用いて穀物の栽培の為に利用すれば、世界中で穀物や野菜が大量生産させることが出来て、世界中から食料難の問題ががなくなります。
    例えば、砂漠に雨を降らして緑の豊かな大地にすれば良いのです。
    寒い地域でも気温を調節して熱い地域の野菜の栽培も可能になります。
    世界中で穀物や野菜の大量時給自足が可能になります。
    私はこれからも肉を食べたいとは思いませんが、私がそうだからといって、全ての人に菜食を押し付けようだなんて思いません。
    逆に私が酒を飲まないからといって、飲む人から「酒も飲めないのが」と非難される筋合いもありません。
    全てはお互い様です。
    いくら相手の為を思っての行為でも、他人に自分の価値観を強要させたり、行いを強制させたりする事によって、逆に相手を病気にしてしまう事もあるんだと最近学びました。
    命をいただく、それを作る人々への感謝の気持ちを忘れなければ、肉でも虫でも菓子でも食べていいと思います。

    人間はみんな自分に都合の良い存在なんだと思います。
    私もそうだし、さゆさんもそうだと思います。
    人間は自分に都合の良い存在、だからこそ私達人類の先祖は法律や憲法や掟や約束事といった“ルール”を作ったのですよ。
    本来はルールがあっての自由と贅沢なのです。
    でも今はそのルールが権力者達によって無茶苦茶にされていますよね。
    それらのルールを改めて私達国民が創り出さなければなりません。
    例えば、『電磁塔を病院や福祉施設の周辺にたてない』とかね。
    個人的には肉や乳製品を求める者、風俗を求める者は、得る対価としてそれに見合った労働を行うといった感じのルールを作ればよいと思います。
    欲しい者を物々交換や労働で得るようにすればよいと思います。
    これなら、どんな人も納得すると思います。

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