公益をもたらす人材を育成する「平塚塾」を創設します。


平塚塾公益をもたらす人材を育成する「平塚塾」を創設します。

2014年1月からこれまで、三年間、私は社会活動家として、HP制作、動画制作、執筆、講演会、イベント、署名活動、チラシ配りなど、毎日欠かさず「専業の社会活動家」として業務を行ってきました。

そしてたった一人、個人で行っている私の社会活動は、活動初期から皆さんのおかげで生計を立てるまでに至り、プロの社会活動家として続けてくることができました。

大衆の公益だけを追い求め活動する私の社会活動は、「大衆の支援に支えられて、成り立っている。」という、とても良い循環が生み出す事ができています。

そのような皆さんのご厚意で培うことができた、私の社会活動家としての経験や学んだことは、後世の為、そして同じ志を持つ者へ伝えていかなければいけません。

それも支援と同時にみなさんが与えてくれた使命であると思っています。

ですから、私は2017年度より人材の育成をいたします。

現代の「義務教育」は、大衆の知的能力向上の為に行われているわけではありません。

義務教育で学べることは、

・無意味な時間を過ごすことに慣れること
・システマチックに行動ができるようになること
・思考せずに誰かが決めた正解を覚えること
・与えられた選択肢の中から選ぶこと
・じっとしていること(考える時は卓上など)

つまり「一人の人間の計り知れない潜在能力、多様な可能性に蓋をしてしまうこと」です。

それらは雇用主からすれば、奴隷にとって必要な資質なのです。

ですから私は現代の義務教育を「奴隷教育」と呼んでいます。

つまり大衆統治システムを構築することがお仕事である「支配者層にとって」、教育を義務化する必要があったのです。

大衆統治社会システムに大衆を従わせる為には、その社会ルールを認識させなければいけません。

ですからそのルールを理解し、従う能力を養う為に義務教育が存在しているのです。

それを教育を受けられない発展途上国の人たちの異文化を引き合いに「学校に行けないのは、かわいそう」などと思わされ、我々は恵まれてると刷り込み、義務教育を正当化しているのです。

私は幼少期からそのような、人を良からぬ方向へコントロールしようとする教育システムと社会風潮には嫌悪感を抱いてきました。(例えば、授業が早く終わって欲しいと願う本当の理由はそれです。)

ですから私の発する言動には、それらの奴隷教育足る要素はありません。

私はそれら社会に当たり前にある風潮や常識を排除して人を見ています。そのせいか、他者に対して本人が気づいていない長所が見えることが多々あります。

つまり、奴隷教育下で必要とされず見えてこない才能と価値が、それらを排除して他者を見るならば、隠れた才能、価値として見えてくるのです。しかしそれはいわば当然なのです。

なぜなら「誰にとっての優等生か?」という評価基準は、現代社会教育では支配者層にとって優秀な人材(奴隷)が優等生であり、その観点で義務教育の価値基準を排除すれば、支配者層にとって価値がない能力が、立派な能力として我々に見えてくるのは当たり前です。

前者は奴隷教育上の優等生で、後者はその逆になるわけですから、無から有を想像して作り上げていく資質があるということです。

そしてなにより「皆が等しく、限りなく豊かな才能を持っている」ことが人の普遍性だからです。

その皆が漏れなく、ものすごい才能を持っているという事実から、私は皆さん一人一人を感化させ、公益をもたらす行動を取っていただきたいと思い、「社会問題について言及する」という方法をとってきました。

それらの私の言論を受けて各々が何ができるかを考え、行動して欲しいと持っていたわけですが、今回、私の思いをさらに「塾」という学びと向上を目的とした過程を取り入れることによって、個々人の才能をより特化させ、公益をもたらす方向へと定めるお手伝いをしたい。

それが平塚塾を創設する動機です。

平塚塾が、社会に対して、未来に対して、より強い公益へと結びつけることになると確信しています。


<平塚塾は、公益をもたらす人材を育成することをその目的とします。>

公益とは、「人類全体の幸福に寄与するということ」です。

少し具体的に言えば、

・社会を良い環境に変えるということ
・後世、そして未来に、生物としての普遍性である「心」を伝えていくということです。

公益があるかどうかの判断基準は、大衆統治の目的で敷設された「社会常識、社会通念、法律、資本・金」などの概念のさらに上にあるものです。

そして人間が脈々と受け継いできた、一生物として育んできた「心」が根底になければ「公益」とは何であるか自体がわからないでしょう。

例えば私がマイナンバーを公開した時に、「バカだ」と言った人は、その言葉の意味に、「マイナンバー制度が始まるのだからその社会の流れに対して金になる方法を考える方が利口だ」という意味が隠されていのでしょう。

しかし「金よりも、良い社会を構築する」ということに価値を置く視点で見るならば、その行動は、営利をもたらすこと以上の価値、つまり公益があるのです。

つまり、「何が公益になるのか」という判断は、知性が必要であることは言うまでもありませんが、それだけでは不十分です。

「何が公益になるのか」を見定める為には「心」が必要なのです。

「自分さえよければ良い」、「他人は他人」、という個人主義的思考の持ち主には、公益をもたらすことはできないのです。

つまり、個人主義的思考の人間を増やせば公益をもたらさない社会設計が加速します。

ですから現代社会ではそのような人が得をするような社会設計になっているのです。

人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう人がいたら、その人は公益をもたらす資質があります。

それは知性を持っている以上に尊い才能なのです。

なぜなら知性は努力で伸ばすことがきますが、その心を生み出すことは、それ以上に難しいからです。

それら人に当たり前にある「心」から成り立っていた社会が今、歪められ、奪われているにもかかわらず、それらを指摘し、社会を健全化させる為の行動をとる者が全くいない。

それどころかその変化に気づかない人が大多数というのが現実です。

奴隷教育を施し、思考しない癖を付け、同時に全く無意味なことに誘導することで、社会の変化に気づかれないように社会が一体となって動いているのです。

それらに気づいていても、私の言論を見聞きして何かしなければいけないと思っていても、さらにそこから先に進むためにはどうしたらいいのかわからない人がとても多いのです。

そこで、公益という視点を共有し、建設的に時間と労力を使う為には、あなたが何ができるのか個別に話し合いながら、公益をもたらして人生を歩んでいくお手伝いをする。

それが私が塾で行う骨子になります。


<平塚塾には「型」というもはありません>

一対一の話し合いの中から目標や今行動すべきことを見つけ出し、そこに向かってサポートをしていきたいと思っています。

公益をもたらす為に各々でやること、やれることはそれぞれ違って良いのです。

ですから私はそれぞれの人が抱く目的に対して、それを加速できるようなアプローチを取っていき、その方向性を公益ある方向へと定める提案を致します。

こちらが作ったカリキュラムに合わせて一律に何かを教えるという、現代教育のような型に当てはめる方法はいたしません。

ですから、平塚塾には劣等生は存在しません。

やりたいことをやるお手伝いをするスタンスであり、それを公益ある方に導いていけたらと思っています。つまり塾生の意思を一番に尊重して行動していきます。

仮に、「社会問題に言及するブログを書きたい」、「動画を作りたい」という意思があればそれをやるサポートはいたしますが、私がやっていることと同じことをすることだけが、公益ある活動ではありません。

各々の得意なことがあるはずです。

それを公益に結びつけた方が良いでしょう。

皆さんが今まで培ってきたことがあるはずです。

既にやれること、自分自身がやりたいことの中から、公益となる方向性を見つけ出し、形にしていくお手伝いができたらと思っています。

自身のやりたいこと、すでに培ってきたことを公益に結びつけることができるのです。それが一番効率的且つ、本人がやりがいを感じられるでしょう。

得意なことをして、公益を生み出して欲しいのです。

その既にできること、得意なことからどう公益に結びつけていくのかというお手伝い、提案、方向性を定めることを話し合いの中から定め、行動を明白化させていきます。

もちろん初めてやること、新たな挑戦をしたい、というのも立派な行動です。

挑戦を繰り返していくことで、成長した自分が、より意義な挑戦をすることへと行動がブラッシュアップされていくのです。

それら行動の過程でより大きなことができるように成長するお手伝いをできたらと思っています。


<平塚塾は、「専業や、プロの社会活動家を目指す人」だけが入塾するわけありません>

誤解を恐れず言えば、公益をもたらす為の社会活動とは本来、皆が行うべき生活要素です。

専業・プロの社会活動家を目指す人が入塾しても良いでしょう。

しかし「専業の社会活動家になって食べる。」ということだけが公益を生み出す方法ではありません。

「社会活動家的要素を生活の中に組み込んで生きる。」というライフスタイルを皆さんの人生の中に組み込んでもらいたいのです。

人は成長し、大人になれば、子供、そして未来の為に、より良い社会形成を建設するためのアプローチを社会全体に対して取ることに時間と労力を使うべきでしょう。

それが大人になった人間の姿です。

ただお金を稼いで、衣食住を営む。またはそれを家族に与えることだけが成熟した人間の姿ではありません。

社会環境という全体に対して、そして未来に対して積極的にアプローチを取らなければいけないのです。

しかも現代の社会環境を見渡してみれば、おかしいことばかりで、変えなくて良いところが見当たらないぐらい大衆の幸福に反した社会構築がされているのです。

そこに大衆は切り込んで、社会を変えていかなければ、より良い社会生成をして生涯を終えるどころか、社会環境を悪化させて生涯を終えることになります。

それでは、我々は生まれてきた価値があるでしょうか?

我々は生まれてくるべきだったでしょうか?

我々は、生を受け、今、社会環境にアプローチを取れる時間と労力があるのに、その生涯を経て、もしも社会環境が悪化するならば「生まれて来た意味はない」どころか「生まれてこない方がよかった」ことになります。

我々は、そのくらい強い責任を持って社会に対して、訴えかけ、良い方向へと変化させなければいけません。

・社会を健全化させる。
・もっと良い社会に変える。

つまり「公益」をもたらすことは、我々大衆が洩れなく持つ、生まれてきた目的なのです。


<生まれてきた目的は人それぞれ別々ではありません>

全員が同じ目的を持って生まれてきたのだと私は断言します。

その皆が持つ同じ目的とは、自分が生まれてこなかった社会環境より、自分が生まれてきたから良い社会環境に変化したという「公益」をもたらすことです。

なぜなら、未来そして後世と我々は、一体だからです。

悪い社会を残すことは、自分の首を締めることです。

良い社会を残すことは、自分を幸福に導くことなのです。

なぜなら、未来、そして社会には未来永劫、我々と一体である「家族・子孫」が生活を営んでいるからです。


<あなたは今、命を失ってでも成し得たいことをしていますか?>

あなたが今していることは、自分自身の命と引き換えにしてもいいくらい大切なことでしょうか?

命より大切な仕事はあります。

それは、自分の生活を金銭的に支える仕事であろうが、なかろうが、命より大切であると断言できる行いを生活を営む上でするべきです。

その仕事とは、公益を未来に、後世に残す行動です。

その仕事が、あなたにあります。

それを達成する方法、行動を共に考え、共に成長し、実際に社会に公益をもたらす為のお手伝いがしたい。

それが、「平塚塾」を開校する動機です。

以下の記事も合わせてお読み下さい。

平塚塾 入塾希望者へ 〜公益について


・平塚塾への応募は画像をクリック ↓

平塚塾


立ち止まっている人がいかに稚拙であるかを動物が教えてくれている。

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公益をもたらす人材を育成する「平塚塾」を創設します。」への2件のフィードバック

  1. チライ

    素晴らしいです。常々思っていました。でも言っても上の人間は自分の立場が危うくなるので聞く耳もちません。年下には絶対にそう教えてます。支配者層を崩すには才能のパンデミックが一番効果的で現実的な方法だと思います。支配者層どうのこうのはいきなり導入するとあれなので伏せていますがそんなこと知らなくても(知っているのが一番いいですが)才能を乱立させることは支配者層への攻撃になり確実ににそいつのためにもなります。さゆさんの意識の言語化にはいつも勉強させられます。今後ともご活躍を期待、なおかつ同じベクトルで動かさせていただきます。

  2. 米澤 敦晴

    感じる心を大切にして、皆で声をあげていこう。我々日本人はおとなしく従順すぎる。日本の国民一人当たりのGDPはOECD加盟国35カ国中20位だ。日本の国全体のGDPは世界3位で豊かな国に思えるが、国民一人ひとりにすると、かなり貧しい国なのだ。これは内閣府の職員が認めている事実だ。20位と言うのは、OECD加盟国35カ国だけの話で、その他の国を加えればさらに順位が下がるらしい。実際は、日本人はこんなに貧しく虐げられているのに、おとなしく全く声をあげようとしない。今、我々一人ひとりが声をあげなければ、子供たちの未来はないだろう。

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