2017/01/12 14:26 Written by Narinari.com編集部
寝ながらパソコンやタブレット端末、スマホを使いたいという人は多く、願いを叶えるようなスタンドなども販売されているが、ある子供が見出した技に注目が集まっている。
米ソーシャルサイト・redditなどで話題になったのは、ガラスのテーブルの下から寝ながらタブレットを見ている子供の写真。
これなら手が疲れることも無く、このやり方に気づいた子供へ「次のアインシュタインは君だ」「子供の頃から怠けていて、はたしてどんな大人になるか」「賢いよ。これも進化なのかな」「大きなガラスのテーブルがあるだけでも恵まれてる」といったコメントが寄せられているようだ。
<筆者>
この行動の何が天才なのでしょうか?
称賛するポイントは見当たりません。
むしろ、「そんな不健康なことはやめなさい」と周りの大人が言うべきでしょう。
昼間、外でへとへとになるまで体を動かして、夜は、ブルーライトを見せず、電磁波被ばくさせず、早く寝させるべきが大人の態度ではないでしょうか?
「テレビを近くで見てはいけない。」
「テレビを見ていると馬鹿になる。」
「TVゲームなんかしていないで外に行きなさい。」
このような20、30年前にあった常識はどこに行ってしまったのでしょうか?
そうです。常識は変わるのです。悪いほうに。
⬇️ 画像をクリックで動画へ ⬇️
支配者層は、自己主張も、社会運動(反対運動)も、仕事も、買い物も、娯楽も、ものつくりも、出会いも、交流、コミュニケーションも、何もかもネット内で完結させる社会設計を目指しています。
そのためには運動能力は一切関係ありません。むしろ邪魔なのです。
そして彼らにとって大衆の運動能力の排除は、実質的な保身にもなるのです。
なぜなら、運動能力の排除は弱い体、そして不明瞭な思考を形成します。ですから大衆が、力強く反対運動、社会運動などできない運動能力、思考能力を目指しているのです。
また、人は人を殺すことができる運動能力を持っています。
我々大衆と同じ人間である支配者層も形ある物体(動物)であり、その形が消滅してしまえば死ぬのです。
ですから、マスである大衆が運動能力を持つこともまた支配者層にとっての脅威なのです。
つまり、銃規制、ドローン規制などと同等の意味として、大衆の運動能力を低下に導く社会構築も行おうとしているのです。
運動能力を奪い、仕事や生活など、人生におけるすべての活動をネットという、支配者層がコントロールしている情報空間の中で完結させてしまえば、身の危険を案ずることはなくなります。
そのために目指している大衆の姿が上記の子供の写真であり、以下です。
現代社会が歩んでいる先を見るのならば、今からたったの100年後、このような姿が大衆の日常である社会構築は、なんら夢ごとではありません。
又は、このような形が未来に近いかもしれません。
つまり、運動能力を失いネットを通して社会活動を、「床の上」で行う人々が大衆の「主」になる社会構築です。
そして、運動能力を向上させることは、疾患を生み出すことからも逆行する動きですから疾患を生み出す支配者層方針と逆です。
そして、「心技一体」と言われているように、運動能力の向上は精神も健全化させます。
精神が病んでいる人を増やすことも、社会誘導するには必要な社会設計ですから、そのために運動能力を低下させたいのです。
某陰謀論者が、運動をすると寿命が短くなるだとか、運動しているイメージをするだけで脳が活性化し、運動したことと同じ効果が体にもたらす。だから酸化と一体の老化現象を導く運動をしないほうがいいと嘘を言っています。
しかし事実、体は動かさなければどんどん弱り、疾患を生み出す弱い体になります。
年齢性別に関係なく、体は使わなくては、どんどんと弱る一方です。
逆に運動能力が向上すれば、体は元気になり、付随して頭も明快になります。
もちろん運動の度合いは適度でなくてはいけません。人は体を壊れるほど動かすこともできるからです。
体力を維持するためには動かし続けなければ維持できないのです。
以下の動画で言った通り、自分ができる最高の行動を定期的にとらなければ、運動能力は劣化します。それが生物の普遍性です。
そしてこのような、運動能力を落とするような社会設計の構築は、前回の記事で言った部活動の委縮の目的でもあります。特に、子供のころの健康の記憶は、疾患に気づくきっかけになるのです。
・一般人の行動が変革に至ったと装うことは支配者層方針です。~「この部活動は長すぎる!」 ブラック練習、変えさせた父親の執念 全権握る指導者、学校との闘いの記録
また「テレワークの推進」と、もちろん繋がっています。
・<テレワーク導入の目的とは何か?>長時間労働、過労死を問題視する目的は、多様な働き方「テレワーク」推進の契機にすることでした。
このような支配者層が目論む社会設計上で、この少年の行動は合致していたから、賞賛されているように情報誘導されているわけです。
もし100年前の人が、この少年の姿を見たらどう思うでしょうか?
おそらく命を投げ出して戦うでしょう。
子孫と我々は一体なのです。
ですから未来と我々も又一体なのです。
それらの為に我々の命はあるのです。
それが自分のために生きるという意味です。
しかし、現代社会では自分さえよければよい価値観の当り前化と、テレビの見すぎで傍観癖が付き、社会に与えられてた「楽しいと思われていること」に没頭する人だらけです。
<以下関連記事・動画>
・プレミアムフライデーが導入される4つの目的。~「プレミアムフライデー」来年2月24日から実施へ
⬇️ 画像をクリックで動画へ ⬇️
「もし100年前の人が、この少年の姿を見たらどう思うでしょうか?たぶん命を投げ出して戦うでしょう。」
最高の言葉、最高の視点です。100年前の人にとっては、当たり前の言葉なのでしょうが・・・
さゆさん、いつも公益配信ありがとうございます。
記事中段の動画「細分化した行動の最高値を出す」「疲労と回復と脳の錯覚」を見ようとしましたが、すでにアカウント停止状態でした。https://www.youtube.com/watch?v=eSJjomuI0yU
私はぎりぎり、この三つの動画を見ることができました。
あらためて、凄いことをいっているなあと思い、その日は呼吸の吐く息と吸う息を最大限にしてやってみていました。又、今度から外出たら、いきなり走ってみようかと思ったり。
さゆさんが「脳と目ばかり使っているので、目を閉じて歩いたりしている」と言ってたのが、すごく印象に残りました。