
母親「命より大切な仕事はない」 電通“過労死”(2016/11/09 18:42)
自殺した電通社員の母親は「命より大切な仕事はない」と訴えました。
大手広告会社「電通」の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)は去年、会社の寮で自殺し、100時間を超える残業をしていたなどとして、過労死と認定されました。母親の幸美さんは、都内で開かれた過労死防止を呼び掛けるシンポジウムで「命より大切な仕事はない」と訴えました。
まつりさんの母・高橋幸美さん:「『人生も仕事もすべてがつらいです。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだから』とメールを残して亡くなりました。命より大切な仕事はありません。娘の死はパフォーマンスではありません」
電通を巡っては、複数の社員に違法な長時間労働をさせていた疑いで厚生労働省が捜査しています。
<筆者>
命より大切な仕事はあります。
それは自分が生まれてきたことによってこの世に残した未来が、自分が生まれてこなかった未来より、良い社会に変えるという仕事です。
つまり、公益を社会に残すということです。
しかもこれは人間が漏れなく持っている生まれてきた目的であり、責務です。
我々が生まれきた目的は、公益を後世に残すことです。
それは人が生まれきた目的ですから、命と同等またはそれ以上に価値があることなのです。
私の言う「仕事」に命を懸けずして、なぜ人は生まれてきたと言えるのでしょうか?
人は、生まれてきた責任を全うしなければ生きている意味はありません。
生まれてきた目的を果たさずして生まれてきた意味はないのですから、命より大切な仕事はあるのです。
逆に、後世に地獄を受け渡す助けをして死んでいくのなら、「貴方は生まれてこなければよかった」ということになってしまいます。
自分可愛さに目先の楽に甘んじ、命を後世の幸福に受け渡せないのなら、存在は公害ですから「貴方は未来の為に生まれてこなかったほうがよかった」、「貴方が生まれてこなかったほうが未来はよいものになっていた」ということになります。
視点を変えれば、大衆・公益(マジョリティー)と支配者層・大衆統治(マイノリティー)とは、相反するものです。
つまり、支配者層方針に準じたり、それらの目指す大衆統治システム(NWO)を強固にするために動くということは、公害であり、後世という長い目で見れば自分の首を絞めることになります。(後述)
「命より大切な仕事はない」という言論は、個人を大切にするという言論から個人主義、自分さえ良ければよいという社会風潮へと誘導されています。
確かに、人の命は尊い。
しかし、それは命を正しい方向に擦り減らし、「公益に寄与しなくては、生まれてきた意味、生きている意味などないんだ」、という強さがあって初めてその尊さが生まれます。
命を尊いものにするのも、軽いものにするにも、すべて当人の行動次第です。
何もしない人または、公益とは逆の方向に動く人を、「貴方の命は尊い。生まれてきた意味があった。」ということはありません。
それらの人達に対して公益有る人間等も含めて一律に等しい価値であるはずがないのです。
人は等しくチャンスと教育を受ける権利、人権を持っていますが、本人の行動次第でその人の価値の重みが変わるのは事実としてみるべきです。
本人の行動次第では生きる価値がない人間になることができるのです。
生物の普遍性に沿った人の公益ある行動の一つは、子孫を残すということでしょう。
しかしながら、その生まれた社会環境が、人の善意に沿って形作られた社会設計でなければ、後世の行動が「公益にならないように誘導される」ということになってします。
そして実際、現代社会は公益にならないことが仕事の主流へと社会設計されている現実があります。
しかも、その子孫を残すという行動自体が人口削減政策でなくされようとしており、それは私が動画・記事で言っている通りです。
我々は、我々の為に生まれてきたのではありません。
後世の為に生まれてきたのです。
後世が、自分自身と同一と捉えられるなら、それは自分の為とも言えるでしょう。
命より大切な仕事はあるのです。
死をもってしてでも公益を生み出し、未来への責任を果たす。その自害、自殺を私は悪いことであるとは思っていません。
自分の命は自分の物であり、それをどうゆう形で終わらせるかも当人の自由であるべきだと私は思っています。死んだらそれで終わりです。目の前に自殺しようとしている人がいたら私は止めるでしょう。しかし、本人の意思を一番に尊重すべきだと思います。人はいつか死ぬのです。人は自由なくこの世に生まれてくるのですから、死ぬ自由があっていいのではないかと思っています。自分の意志で生まれてきたのではないのですから、自分の意志で終わりを選んでもいいのではないかということです。
そしてその「自分の意思をもって死ぬ」という概念を支配者層は恐れています。そのために「自殺自体をいけないこと」として常識の敷設をしようとしています。なぜならマイノリティーである自らの地位を揺るがしかねない概念だからです。死をもってマスが立ち向かってきたら大衆統治はできません。ですから「人の命は尊い」と自分に甘い大衆を量産したいのです。愚民化は大衆統治戦略なのです。
後世、未来より人の命は軽くなければいけない。
自分の命以上に後世、未来のことを大切にしなければいけません。
なぜなら、我々はその為に生まれてきた。
そして後世と同一である我々にとって、それが本当の延命だからです。
ですから、実は公害を生業としている人達こそ、目の前に札束を積まれても、地位を保証され裕福な暮らしをしていても、長い目で見れば自分を殺しているのです。
命より大切な仕事はあります。
—
<以下、記事の解説>
電通の仕事は、公益にはなりませんから、公益有る命より大切な仕事とは言えないでしょう。
電通(時事通信)は、民放マスコミの報道の指揮系統として機能しています。
・ジェンダーレス男子がテレビに多く出演する理由もまた、人口削減計画です。 ~改ざん可能な視聴率で人気を操作することで、支配者層方針の情報を放送
電通社員の死の原因は複合的なもののはずです。その原因を一つに絞るということは、他の複合的原因の隠れ蓑にする行為です。
なぜ死んだのか?
このたった一つの問題を掘り下げれば、電通の闇だけでなく、社会毒や愚民化政策などから世界構造までもが見えてくるのです。
それらまで掘り下げて考え行動することが、死者を重んじ、今を生きるものができるより意味のある行動です。
このお母さんは娘を無くした悲しみから「命より大切な仕事はない」と言っているのは明らかです。お気持ちはお察しいたします。
しかし、その発言が労働基準法をより企業にとって厳しいものに変えることで、内部留保を抱えている大企業しか営めない「企業のNWO化」の流れを推し進める方向への変化の契機に寄与してしまっていることもまた事実でしょう。
もし私が殺されたら、私の死を当たりにした母親は同じことを思うかもしれません。
しかし、それが「僕の生き方なんだよ。悲しまないで。ごめんね。」
としか言いようがありません。
「何をして生きていくか。」それは当人の意思であったはずなのです。
子を産んだ瞬間に、子の死を見る可能性もまた同時に生まれるのです。
そして同時にその本人が自らの意思をもって歩んでいくこともまた受け入れなければいけません。
⬇️ 画像をクリックで動画へ ⬇️
これだけ人ひとりの命が軽んじられている世の中で、何か事件が起こると「人ひとりの命は地球より重い」なんてお決まりのセリフをマスコミが垂れ流す。支配者層からすれば、われわれ庶民の命はごみ同然。そして、今の日本では団塊の世代以上の人間は、自分たちの事しか考えておらず、自分たちの子供や孫がどれだけ苦しい生活をしているかなんて一切興味がない。彼らは、日本の高度成長時代を生き、金銭的には恵まれた生活を送り年金もしっかりもらい余裕を持った生活を送っている人が多い。それ故か、子供や孫たちどれだけ苦しい生活を送ってるのか、さっぱり理解しようとしない。それどころか、自分たちが死ぬまで不自由なく生活していくことしか考えていない。時間的にも金銭的にも余裕のある団塊の世代以上の人間は、残り少ない命を子供や孫たちのためになぜ使わないのだろうか。彼らの命に価値があるとはとても思えない。
ここに、昨日コメント書いたはずだったのですが、、、、
抜けてますね^^;
甘エビさん
以下のコメントのことですね。
—
さゆさん、鼻をすすりあげながら書いてます。
「人は何の為に生まれてきたのか?」「人生の目的は?」
ずっと考えてきて、色んな本も読んできたけど、、、、。
さゆさん、あなたがはっきり明確にここに書いてくれた。
ここ数日、私の頭には「私達は未来に責任がある」という言葉がありました。
ありがとうございます。
あなたの固い決意と、気概を感じました。
—
以下の記事より。
自動運転社会に向け、高齢者運転の危険性を盛んに報道することで手動運転の悪イメージ工作をしている ~高齢者運転でまた悲劇 「生活の足」…進まぬ免許返納
http://sayuflatmound.com/?p=28009