立ち止まっている人がいかに稚拙であるかを動物が教えてくれている。


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https://twitter.com/metyakawadoubut/status/796678875715698692

https://twitter.com/oOkirakiraoO/status/796690592277237760

私は上記の犬より稚拙な人間をよく見ます。

「目の前に柵がある。だからこれ以上先にいけない。」と思い込んでいる人間です。

その柵は他者に作られた物のみならず、自分自身で作っている人も良く見ます。

「動画にある柵(物理空間に存在)」は目に見ますが、人は「目に見えない柵(情報空間に存在)」を作ることでそれに準じる社会に生きています。

その「柵」とは、、「社会常識、社会通念、当たり前、(昔であれば)村の掟」などです。

そしてそれらは、物理的には実体のない「情報」です。

人は物理的にない「情報」に準じ、コントロールされる生き物なのです。

「社会常識、社会通念、当たり前、(昔であれば)村の掟」などは、情報によって形成されます。

「何が良いことで、何が悪いことなのか?」これは情報によって形成されるのです。
人にとっての善悪は、情報によって作られます。

善悪の区別とは、行動の基準であり、それは行動の制限を生み出すことでもあります。

つまり、大衆に対して一律に情報発信できる情報媒体(メディア)をコントロールすることができれば、大衆をコントロールすることができるということです。

人類が誕生し今まで人は様々な部族、町、村などのコニュニティーを形成してきました。

そしてその多様なコニュニティーには、それぞれに独自の文化があったのです。

ここ日本でもつい昭和初期までは、村の掟というものが残っている地域が多くありました。

その昔あった数十、多くても千人単位のコニュニティーは、長(村長レベル)が見え、常にマスである大衆の団結は常に長の脅威であることから、相互バランスが取れている時代があり、長く平和が保てていました。(そもそも長に統治欲と私欲がないケースもある)

そのような小さなコニュニティーが乱立して、年貢など、さらにそのお上(長の上、役人単位)に従わざるを得ない状況はあったものの、大まかな決まりで動いてた数百年前では地域どころかその中にある各村々で独自文化の色が濃く、お上がその先端まで細かな情報を伝達することや、ましてや常識を教え込むなど容易ではありませんでした。

何か従わせようとしてもその概念がないので理解できない。理解させようと教えようとしてもそもそも言葉(訛り・方言)が違い過ぎて意思の疎通はとれど、なぜそのお上の決まりに従わなければいけないかなどの理解ができなかったのです。ですから、「宗教をその地域で根付かせることで宣教師に常識の書き換えさせる」ことだったり、場合によっては「武力行使で丸罰を強制する」という強行手段が多くとられていました。

ですから、生物の普遍性に沿ったとてもシンプルな事で、確かな相互地益があるもの(殺人はいけないなど。)しか基本的には敷設できなかったはずです。これはたかだか数百年前のことです。

しかしそれらは、国家という概念が顕在化し治安維持と称した警察の創設で大衆弾圧を行われ(特別高等警察。現在の公安警察の前身)、大衆が厳しく取り締まられるようになった明治以降、それらと同時にメディア網が張り巡らされ、テレビの普及とともに、皆が一律にテレビから情報を得るようになりました。

そしてまた同時に情報を理解して従わせるために、義務教育などである程度情報を理解できる思考力を付けさせることが必要であり、それは大衆統治の為に必要であったということです。

メディアの繁栄と、大衆が最低限の理解力を備えることで、そのメディア方針が大衆の善悪の認識と同一と化した現代。

そのメディア方針の長が誰だからわからない存在(支配者層)になっています。その誰だかわからない長の方針に沿った情報だけが我々に送られ、取り締まられるということが起きているのです。

ポメラニアンの柵は、飼い主が取り付けたのでしょう。

しかし我々に付けられている柵は、自らが付けたことを装われ(民主制)、実際は誰に取り付けられたのかわからない状態になっているのです。

陰謀論者や多くの紐付き活動家、宗教家、オカルト研究家などは、様々な概念を作り上げることで、その柵を取り付けている支配者の隠れ蓑(アメリカ、ロックフェラー、ユダヤ、神、悪魔、宇宙人)を敷設することに貢献しています。つまり、長(支配者層)を雲隠れさせる為の言論を流布しているわけです。

先ほど言ったように、メディア方針が我々に届けてくる情報は大衆に善悪を教えているのです。

これが特定の利害を持った誰かに意図的にその方向性が決められたら大変です。

しかしそれが実際に起きているのです。

私は、この点の危険性を「常識の書き換えが最高の大衆統治手法である。」と言ってきました。

今まで犯罪ではなかったことが犯罪とされる社会へと現在社会はどんどん設計されているのです。その方法は、ごく少数の人たちをマスコミがクローズアップし問題化する(または工作する)。それを為政者や行政が扱い、省庁方針、条例、立法へと作り上げることで、全体へと適応されるルールが敷設されています。

メディアが情報を流布し、大衆内に問題を押し付け、解決策まで提案し、常識(善悪)が作られ、省庁方針、条例、立法へと形作られていくのです。(不倫などいきなり「悪」と決めつけて報じるなど対象によって戦略は違います。)

これらも「柵」と呼べます。

その発端である常識(善悪)は、メディアを牛耳る支配者層によって作られています。

それらは大衆が幸福になる方向性とは全く違う目的をもって作られています。

しかし社会では、常識や社会変革は、大衆の良心で良い方向に向かっていると思わされているのです。大衆は社会が民主的であり、そして人の善意が社会の変革に反映されていると思い込んでいます。

実際には、それらの変化を見れば、我々の首を絞める変革ばかりなのですから、民意からの変革であるはずがありません。その偽られ、煙に巻かれている点を私は動画、記事で明らかにし、危険性を呼びかけています。

現代社会では、常識、社会通念、法や社会方針も含め、それらは「我々を統治するための社会システムをより強固にするため」に捻じ曲げられ、書き換えられているのです。

現代社会に生きる大衆の多くが、これらの柵が我々を管理するために存在していること、どころかその柵すら認識出来ずに、身動き取れない檻の中にいるのもかかわらず、「自由だ」と思い込んでいるのです。

これこそ、「奴隷と気づいていない奴隷社会」であり、または「大衆総洗脳社会」です。宗教団体だけが洗脳行為を行っているわけではありません。
社会が一体となって全体(大衆に)洗脳行為をしているのが現代社会なのです。

このポメラニアンは物理的な柵が目の前にあるわけですが、大衆にとって本来必要のない情報の柵を目の前に、変えようとも、乗り越えようともせず立ち止まったままです。

しかもその立ち止まっているときには、様々な娯楽が用意されています。大衆を無駄なことに誘導する為、あらゆるものが大衆娯楽として仕事化され、そちらに時間と労力を割けるように準備されているのです。(エンターテイメント、スポーツ洗脳など詳しくはこちら

不要な柵は排除しなくてはいけません。

ただ柵の前に呆然と立ち尽くし、立ち止まっていては、明日はもっと狭められているのです。
その柵が為政者によって広げられることは絶対にないのです。

ですから、我々が立ち止まっていては未来の我々の子供たちはもっと狭い織の中に入れられるのです。

このポメラニアンのように柵を超えてください。

立ち止まっている人がいかに稚拙であるかを、このポメラニアンは柵を楽々と乗り越えることで教えてくれているのです。我々の前には不要な策が多すぎます。

この柵を超えるということは、脱洗脳そのものです。

そして柵を超えるということは、生物としての普遍性に立ち返る作業です。

この柵の先にはなにがあるのか?

そこには何者かの息がかかっていない状態の本当の自分をがいます。

本当の自分と出会えれば、自分すべきことが見えてくるはずです。

命より大切な仕事が見えてくるはずです。

命より大切な仕事はあります。


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