・【性犯罪の非親告化1】性犯罪の非親告化は、誰でも逮捕、拘束できる法整備 ~性犯罪の親告罪削除を 刑法改正の要綱を答申
・【性犯罪の非親告化4】同性愛者も強姦罪で逮捕できるようにする社会へ ~今後同性愛の若年層を絡めたわいせつ行為が盛んに報道されます。
性犯罪の非親告罪について上記の4本の記事を書いてきました。
今回は、前々回の記事の続き、【性犯罪の非親告化5】になります。
性行為の同意など、人の「気持ち」、「過去の記憶」、「イメージ」とは、後に変わる可能性があり、それが他者によって書き換えらることがあります。
例えば、13歳の時に性行為をした60歳の女性は、それが同意の上であったとしても、現代社会では、それは「いけないこと」という常識が敷設されていますから、47年前では例え珍しいことではなくても、「いけないことをした。」と今になって苦しみ、人によっては相手に憎悪を産み、怒り出すということです。
それが先ほど言った「変わりゆく常識によって過去のイメージが書き換えられる」ということです。
また、10代の時に性行為をしたが、それが現代社会では、あらゆる方法(ドラマ・アニメ・漫画・小説・マスコミ・音楽)を使い、盛んに広められている「恋愛の末の行為」ではなかったなら、「あれはレイプだったのか?」と、その時は何にも思いも止めずに今まで過ごしてきたにも関わらず、「傷つけられた。」、「汚された。」と日がたった今になって思い煩うということです。
「今」、与えられた情報で過去の事象に苦しむわけです。
これは、その10代の時に性行為をした相手がいけないのでしょうか?
誰かの都合で変化している常識、現代社会にまん延している情報がいけないのでしょうか?
それは個別に詳細な情報を見る必要がありますが、当時に気に留めなかったことが今になって憎悪に変わるということは、過去の出来事がなぜか、今与えられた情報によって突如、「今」、損をするということに違いはありません。
今、何か起きたわけではなく、情報が入り込んだだけなのです。
これが他者によってイメージを書き換えられているということです。
意図的に大衆統治を目的として「常識が書き換えられている」ということを認識していない人が、常識が変わることに対してこのような反応を示すことは十分に考えられます。
「常識が書き換えられる」とは、悪常識を元の常識(普遍性)に戻したり、大衆が幸福に向かう過程で自然にそして、おおらかなに行われることならば良いのですが、現実はそうではありません。
大衆統治システム構築の為に、メディアそして権力を行使して意図的に作られているのです。
さらに事例を続けます。
私はある女性に10代の時に家族に強姦されたことを打ち明けられたことがありますが、その人は明らかに、その時のショックよりも、その後の周りの反応、社会環境によって「今を」苦しめられていました。
私はそれを聞いても、「そうなんだ。」とその過去の事象のイメージを良くも悪くも共有しません。社会常識にも乗っかりませんし、自分の考えや意見も言いません。
もし何か言うなら、ただ「これから何をして生きるのか?」と今、そして先を問うくらいです。
「過去の事象のイメージを良くも悪くも共有しません。」というのは、強姦された人に対して、「なんてひどい奴なんだ!」と、加害者を攻撃することも、「つらかっただろうに。」と被害者に同情することも、どちらもその人をより傷つけることになるのです。
なぜなら「あなたは悪いことをされた、」「あなたは傷ついた。」と、繰り返し認識させることになるからです。これが、他者が他者の過去の出来事のイメージを「悪いイメージへと」作り上げているということです。
強姦されたのは何年も前の話なのに、今ここでその記憶を悪いものへとすり替えたり、より悪イメージを増幅させ、フィードバックさせているのは他者であり、環境なのです。
もちろん本人が、その選択肢を取ることもありますが、サポートする立場である周りの人間は、フィードバックはおろか、悪イメージを増幅させてはいけません。
その悪感情を増幅させ、且つフィードバックを繰り返すことは、過ぎたことなのに、何度も何度も悪イメージを伴って疑似体験するわけです。
生き殺し、又は自傷行為です。
そしてたちの悪いことに、人の記憶(イメージ)とは現実を超越することができます。
つまり、今、過去のイメージを実際の体験より、より大きなダメージを与えることができるのです。しかもコンスタントにです。
「人の記憶(イメージ)とは現実を超越する」という、一般認識できる例は、勇気を出してやれば、なんともないことなのに、なぜか躊躇しているときの悪感情がわかりやすいでしょう。
跳び箱やアスレチックなどを怖がる子供がこのような状態です。
思いっきり手足を伸ばし飛べば、なんてことはないのに、失敗を過度に怖がり、己にブレーキをかけている状態です。
未経験の事にひどく躊躇して「何もしない」という選択肢を常に取り続ける人などの精神状態です。
これは、失敗経験をさせないことで挑戦することを躊躇させる、奴隷教育(義務教育)が寄与している面が大いにあります。
やってみればなんてことないのです。むしろなぜもっと早くやらなかったんだと思うパターンが多いでしょう。
人の記憶(イメージ)は、現実より悪い方向に超越することができるのです。
そしてさきほど言った「他者が他者の過去の出来事のイメージを、悪いイメージへと作り上げている」と言う点について掘り下げますと、これは、子供と親の関係性でよく見ることができます。
子供が転んで、その子供が反応をする前に、「痛かったね?」「大丈夫?」「痛いよね痛いよね」など、子供が「僕、痛かったんだ。」「これは泣かなきゃいけないんだ」という空気を、子供が反応する前に、親が作り出していることがあります。
転んで。痛いとか、痛くないとか、認識する前に、その周りの空気を感じて泣くなどの反応を見せる子供をよく見ます。
仮に周りが「痛くない痛くない」と言ったとしても、痛いと痛くないとか認識する前に先走って言えば、痛みを認識させるきっかけになります。
転んだ結果、自分の意思で泣いたのではなく、自分が転んだことで回りが取る反応を感じ、それを受けて子が泣くなどの反応をしているということです。
何も言わなければ、他のことに夢中になっていて痛くても泣かない可能性があったのに、その子の行動を見て先走った親がこの「泣く」という行動へ「誘導」しているのです。これも悪イメージのフィードバックを煽っているです。
自分で思考する機会を与えずに、他者が「反射」を作り出しているとも言えます。
又、前にも記事で言いましたが、虫を見て奇声を上げる親の子は、間違いなく虫嫌いになります。「虫は怖いもの、虫を見たら怖がらなくてはいけない」と思っていなくても、感情は伝染します。環境がこの反応を作っているのです。
つまり、反射は作られるのです。これも悪イメージのフィードバックを煽っているのです。
・ジャポニカ学習帳から昆虫を殺した製薬会社 ~虫という、自然宇宙を子供達へ
・子供が怖がるジャポニカ学習帳 アマゾンで人気投票
・ジャポニカ学習帳、人気投票したら昆虫写真が断トツの1位だった
虫を見て、「可愛いね。」「何を考えてる生きてるのかな?」と言う親の子が虫を見て逃げるはずがないのです。(その後社会洗脳から反応が変わる可能性あり)
つまり、悪イメージのフィードバックを煽るとは、洗脳行為に他なりません。
これらを有識者とやらは知っているはずです。なのに、苦しんでいる人を良い方向に導く為の社会環境作りやら適切なケアを取らず、薬を処方したりや無駄なカウンセリングばかりしているのです。
話を戻します。
強姦されたら一生十字架を背負って生きていかなければいけないというような社会風潮や、「可愛そう」、「犯罪の撒き沿えになった」などという偽善の目が、今を苦しめているのです。
そこに、非親告罪化して犯人を権力の都合で逮捕しても、なんら被害者とされる人は救われないということです。
そして先ほども言った、「これから何をして生きるのか?」と今、そしてこれから先を問うしかないのは、今、そして未来を良いものに形作れれば過去のどんな暗部も肥やしにできるからです。
東日本大震災は起きなければよかった。しかし、それがあったからこそ、人は「強くなる」という行動もできるのです。震災がなかった我々より、強くなった我々が今、いるのです。
つまり、良いことは良いことに、悪いことも良いことに変える力を人は持っています。
「生き続けなければいけない。」
今を生きる人間はその選択肢しかないのです。
強姦されようが、どんなにつらいことがあろうが、生き続けるしか我々に選択肢はないのです。
ならば、まずは一刻も早く悪イメージのフィードバックから逃れ、前を向いて今を生きることです。
苦しまない方法は、「何でも良いことであった」と自己洗脳する。これは悪いことではないと思います。
そして誤解を恐れずに言うのなら、生きるしか選択肢がない我々は、「悪いことをされた!」と過去の出来事を憎悪化するよりも、むしろ「良いことをされたんだよ」と思った方がよほど救われるのです。
先ほど、「悪イメージのフィードバックを煽るとは、洗脳行為に他なりません。」と言いましたが、相手が苦しまないように、前を向いて歩けるように、良いイメージにすり替えることは、「洗脳」という言葉は当てはまらないと思います。
洗脳とは、他者の都合で、他者をコントロールするために施すものであるはずだからです。
それを、現代社会は性犯罪をより凶悪犯罪化しているのですから、被害者をより苦しめているのです。
ここで、「性行為とは双方の同意があってするものである。」という私の考えを付け加えておきます。
(しかしそれは私が住む日本に限った範囲のことを言っているに過ぎず、様々な文化背景を持った他の国の人々にその価値観を押し付けるべきではないと私は思います。)
話を戻します。
今を、未来を良いものへと作っていくことで、過去の悪イメージも糧に変えていくことが人にはできるのです。
それが有限である人生を生きる上で一番よい事です。(もちろん告訴すると言う選択肢とる自由もありますが、ただそれは自分自身を傷つけることに繋がると私は思います。)
そして先ほど言ったように強姦された人に対して、他者がより巨大な悪イメージを刷り込む必要は一切ないのです。
しかし、その今を苦しめる事に直結した部分(情報)の流布を、一切社会は無視しているのです。無視どころかテレビ番組などで同情を誘うようなものを垂れ流すことで、メディアこそが悪イメージを助長しているのです。
つまり、性犯罪を凶悪犯罪化し被害者意識を煽ることで、それは性犯罪への抑止力になるどころか、被害者意識を高める、つまり、より被害者を苦しめているのだと私は思います。
「ものすごいことされたね」、「私なら・・・(生きていられない)」、「絶対に告訴すべき」と、「貴方はものすごく大変なことをされたんだ」と、「貴方の為に言っているんだよ。という建前」で、刷り込む人こそが、その人を傷つけているのです。
もし強姦されても、なにも思わないように己を律している人がいたなら、立派だと思います。
そのような人の感情を逆なでする。
それが性犯罪の非親告罪化です。
性行為とは、人間の普遍性であり、無くてはならないものです。
もちろん野放しにしてはいけない性犯罪もあります。しかし、それは性犯罪というより、暴行、傷害という罪であり、その中でも、「性的なものに属す類」ということで、新たに性犯罪というものを作った時から、大衆統治システム構築を目論んだものであったと私は見ています。
そして私は、大衆の中で問題が起きた時の対処法としては個人にもっと力を与えることで、「自刑」できればいいと思っています。
つまり、当事者間で解決するべきです。
それができないのは、支配者層は統治システムを構築するためには、個人の力を押し下げ、自刑を「悪」とすることで、自分達の権力だけが人を裁くという状態にしたいからです。(自刑については下の記事参照)
・【盲導犬刺傷事件とまんだらけ万引き犯公開】権力は「自刑」が至極真っ当な行為であるとバレル事を恐れている
性に対して権力が介入してくることは何一つとして大衆メリットはないどころか、大衆統治システム構築に利用されているに過ぎないのです。
【性犯罪の非親告化6】に続く。
>苦しまない方法は、「何でも良いことであった」と自己洗脳する。これは悪いことではないと思います。
いい言葉、いただきました。ありがとうございます。
私も、甘えびさんと同じところ
>苦しまない方法は、「何でも良いことであった」と自己洗脳する。これは悪いことではないと思います。
自分自身が、過去のつらい経験に苦しめられ抜け出せなくて
無意識のうちに悪循環を繰り返していたので
はっと気づかされました。
支配者層は、ここをちゃんと心得ていて心に負った傷をあえてほじくり返し
引きずって、立ち直れないようにマスコミ、権力を使って誘導していること。
そして、大衆は性犯罪の非親告罪化の偽善に気付かない。
誰も触れない観点で、解き明かして暴露して、大衆の側に立ち
公益のある活動をし続けるさゆさんに
またも救われました。
有限な人生、人は悪いことも良いことに変える力が備わっていることを
意識して生き続けなければいけない、、本当にいいことに気付かせてもらいました。