小中学校で「道徳心」「愛国心」に成績を付けると文科省が決定!!内申書に記載して入試の資料にも…
民進党長妻昭氏が活動報告の中で、小中学校において2、3年後に「道徳心」「愛国心」に成績を付ける、と文科省の決定していると報告して大きな話題となっています。「道徳心」「愛国心」について、教育委員会の判断で内申書に記載し、入試の資料とすることも可能になるとしています
長妻氏によると、文部科学省の職員との話の中で、2年から3年後、全国の小中学生に対して、道徳心、愛国心に対して一人ひとり成績をつけていくという方針だと説明を受けたとしています。さらに各都道府県の教育委員会の判断では中学受験、高校受験の内申書にも影響を与えるといいます。
長妻氏は、「道徳心」「愛国心」に成績を付けることは決まっているとしており、文部科学省はデメリットは存在せず全く問題がないとしているといいます。
衆議院でも、「道徳心」「愛国心」の教育について答弁が行われていますが、平成31年から道徳の授業について愛国心などを盛り込んだ内容になることが明らかとなっています。
今回の件について、馳浩文部科学相は17日の閣議後会見で「明らかに事実に反する」と述べ、説明内容を否定しています。「事実に反することを発言していることについて、(長妻氏には)発言への説明責任がある」としています。
ちなみに2014年2月17日、文部科学大臣は、「道徳に係る教育課程の改善等について」を中央教育審議会に諮問して次のことを求めています。
(1)小中学校における「道徳の時間」の位置づけを「特別の教科 道徳」(仮称)に変えるため学校教育法施行規則を改正すること。
(2)現行の「道徳の内容」小学校22項目(第21が愛国心)と中学校24項目(第23が愛国心)を拡充するため学習指導要領を改訂すること。
(3)「特別の教科 道徳」に検定教科書を導入すること。
(4)「特別の教科 道徳」に評価を導入するため小中学校の指導要録を改訂することです。
衆議院議員長妻昭君提出子どもの道徳心や愛国心に成績をつける政策に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
ヘイトスピーチや著作権侵害(非親告罪も)など、「言論次第で誰でも逮捕できる法整備」が進んでいます。
それと並行して、実際に教育の現場では、道徳心、愛国心に成績(点数)を付け、それが進路に影響する基準にしていくようです。
>各都道府県の教育委員会の判断では中学受験、高校受験の内申書にも影響を与える
つまり、「人の考え方、思想を権力が決める」ということです。
進路というのは生涯食えるか食えないかにかかわってくる問題です。
ですから思想次第では生活ができない。思想次第で権力者に拘束される。つまり、思想に自由はない社会が常態化するために義務教育にその概念が持ち込まれるということです。
そもそも義務教育という名の奴隷教育は、その大衆幸福へと向かう思考をすることを排除するための機能を備えています。
つまり我々は言論を弾圧されるどころか、言論弾圧する必要がない人間を作り出すための、教育を受けることが義務であるということです。
言論弾圧とは、公益を追求する大衆を抑え付ける為の手段です。ですから支配層方針に添う言論は弾圧する必要はありません。
つまり言論弾圧される人間になるには、支配層方針と違う価値観を持つ強さと、分析力を備えていなくてはいけません。
支配者層が敷設する奴隷教育(義務教育)や社会常識自体を疑うセンスが必要なのです。
それは自らを脱洗脳していく作業にほかなりません。
ですから、そもそも言論弾圧する必要がない人間を、メディアや義務教育などを使って量産しているのが現代社会なのです。
以下の動画でも言いましたが、常識を疑う核になる、「生物としての普遍性から派生した価値観」と、「支配者が統治システム構築を目的として敷設した社会通念という価値観」のダブルスタンダードを分けて認識していれば犯罪者とされることは極力避けれるのです。
後者から乖離することは危ない認識しているからです。
それでは、公益がある者がうまく社会の波をかいくぐられてしまう。
つまり不可抗力で拘束できないわけです。
彼らは、彼らにとっての危険分子を「自動的に」排除するシステム構築がしたいのです。
まさに後者の価値観を疑い出し、前者に常識を戻そうとする者など、統治システム構築に逆行する危険分子なのです。
だから前者の価値観を持ち合わせている人間をそもそも生み出さないようにしたい。これがこの教育から思想・価値観に評価付ける教育をしていくという支配者層方針に見て取れます。
もちろん教育変革の他にも、「大衆総犯罪者化戦略」、「誰でも逮捕できる法整備」が合わさっているのが、まさに現代奴隷社会です。
<以下関連動画>
われわれ奴隷には、言論の自由も思想の自由もないということだ。日本は、自由で民主主義の国だと思わされているが、われわれ庶民が気づかない程度に徐々に自由は奪われて奴隷社会が完成を迎えようとしている。多少の貧富のにより、金の首輪か革の首輪か程度の差はあるにせよ、同じ奴隷には変わりない。