児童虐待、一時保護強化へ 厚労省、裁判所の関与を検討
2016年6月28日19時19分
児童虐待を受けた子どもを親から引き離しやすくするため、厚生労働省は一時保護する仕組みの強化に乗り出す。現行の児童福祉法では児童相談所(児相)が必要と判断すれば強制的に引き離せるが、躊躇(ちゅうちょ)して被害が拡大することもある。厚労省は有識者による検討会を7月に設置し、一時保護の判断を裁判所に委ねる方向で議論を進める。
塩崎恭久厚生労働相が28日の閣議後会見で明らかにした。検討会の座長には駿河台大学の吉田恒雄学長が就く予定。秋ごろに結論をまとめる。
裁判所が一時保護の判断を担えれば、児相は子どもの保護や家庭支援などに専念できる。塩崎氏は「不幸な事件が起きないよう司法の関与が大きな議論の対象となる」と語った。
児童虐待は年々増加し、2014年度に児相が対応したのは約8万9千件に上る。児相は再発防止に向けて親を指導する役割もあり、親との対立を避けるため一時保護を躊躇することもある。今年2月には、両親から虐待を受けて自殺を図った男子中学生が相模原市で死亡。地元の児相は一時保護を検討していたが、両親が引き離しに応じず、対応しきれないでいた。
>児童虐待を受けた子どもを親から引き離しやすくするため、厚生労働省は一時保護する仕組みの強化に乗り出す。
「虐待か、虐待ではないか」の判断は、その時代に敷設された常識によって書き換えられます。
大衆常識を書き換えるために、事件をでっちあげるなどして騒ぎ、マスコミ、メディアが一体となって支配者層方針の情報を大衆の脳内に刷り込みます。
「十年前に普通であったことも、今では犯罪である。」と常識が書き換えられてしまうのです。
例えば
・「ワクチン接種(毒)を拒否したら虐待」
・「風邪の子を病院に連れて行かなかったら虐待」
・「叱りつけたら虐待」
など、海外ではこれがもはや当たり前である国もあるようです。
これらはすべてを子を思うからこその親の愛ある行動であることは言うまでもないでしょう。虐待ではありません。
しかし支配者層は常識が書き換えることで我々の生活の中に堂々と踏み込み、人間関係を引き裂き、自由と権利をはく奪しているのです。
「子供は支配者層の物」ということです。
日本でももう既にこのような傾向があります。
・乳児の接種拒否で親権喪失 家裁決定「子の利益侵害」 ~これを奴隷社会と言わずして、なんと言えばいいのでしょうか?
「虐待としつけ」の区別は以下の北海道男児行方不明事件によって、よりあやふやとされ、しつけをしないほうが安全な社会形成を作り上げています。
「虐待」とは、NWOの社会構築をする上で支配者層にとって都合が良い概念なのです。
記事の中には
>裁判所が一時保護の判断を担えれば、
とありますが、そんな判断はあってないようなものです。
なぜなら裁判官は事件の数を多く裁く事で評価されますから、お上の方針通りにシステマチックに判断していきます。
裁判官も金で雇われている雇用労働者なのです。「金」という生活の糧と引き換えに、誘導されます。
つまり、今の日本では子供を産んでもそれは我々の子ではなく支配者層の子であるという時代に生きているのです。
しかもそれに気づいている人が稀有である世界に生きているのです。
ちなみにTOP画像は、その社会形成のための偽啓蒙活動です。
我々の子は、もはや我々の子ではありません。
我々奴隷の子は支配者層の物です。
現代社会環境を見渡してみると、そのような兆候がどんどん強化され進んでいます。
皆さんはそれでいいのですか?
ただ黙認して、「運」で愛する人を守る程度の責任感で大人と言えますか?
いや、私はそれを大人どころか、「人」とも呼びたくありません。
⬇️ 画像をクリックで動画へ ⬇️
このようなことを望んでいる親はいないと思います。しかし、刻一刻と、子どもを取り巻く環境は変わりつつあり、子どもの身体、精神を不健康にするようなものばかりが好まれています。
北海道男児行方不明事件の主目的「しつけ=悪」、虐待による一時保護強化へ向けて動いていることなど、本ブログで、日頃から、出来事を分析し、文章化、映像化してくださっているので、私は、日本のテレビから流れる情報を客観的に見て、冷静に考えることができるのだと思います。
これらの一時保護強化へ向けての誘導だけでなく、日常の中で、「ん?何か変わったのかな。」「おかしいな。」と感じることが多くなってきているのは、私だけでしょうか。子育てに関わっている方は、きっと色々なことを感じて、生きておられるのだと思います。
ただ、それが言えなかったり、流したりしてしまうのは、今現在、それに気づかないように子育ての常識が書き換えられているのだと解りました。それも、ものすごいスピードで。
本来、人を愛し、人の成長を心から想う言動をすることが、「虐待」と見なされてしまうことほど、悲しく悔やむべきものはありません。「奴隷」という言葉を聞くと、どこか別の世界のことや映画などから得たイメージに留まりますが、現代では、メディア、マスコミなどで誘導され、見えない鎖を付けられていると感じる日々です。
では、どうすればいいのかと考えた時に、私は、1人の人間として、違うことは違うと言いたいし、それは最低限の子どもを守ることに繋がると思うのです。文章にすると、このような一文にしか込めることができない自分が情けないですし、まだまだ未熟者であることを痛感します。
私は私にできることを、全力で考え、
それをただ1人でも、やり抜こうと、
>皆さんはそれでいいのですか?
という問いから考えました。
この世の中は生まれた時から奴隷天国だ!自分たちが奴隷であることに気づいていない人が99%。気づけない理由として大きく分けて2通りあると思う。ひとつは貧困化により、日々の生活に追われ世の中の仕組みについて考える余裕がない人。もうひとつは、ある程度お金を持ち、今の生活に満足し世の中の真実について考えようとしない人。後者の多くが、団塊の世代以上の高齢者で、彼らは生活に困らない程度の年金をもらっている人が多く、自分たちが死ぬまで生活に困らなければそれでいいと思っている。自分たちの子や孫の世代が奴隷化政策により、どれだけ困っていようがほとんど興味がない。時間もお金も余裕のある高齢者が、子や孫の将来のことを真剣に考えればかなりの力になるはずなのに、彼らはそれをしようとしない。完全に洗脳により腐りきっている世代だと言わざるを得ない。