生まれたばかりの乳児の遺体を遺棄したとして、静岡県警富士署は15日、県東部に住む10代の高校生の男女を死体遺棄容疑で逮捕したと発表した。
容疑は、今年1月下旬ごろ、生まれて間もなく死亡した男児を、少年の自宅の部屋に遺棄したとしている。2人は容疑を認めているという。
県警捜査1課によると、2人は交際中で、少女は1月下旬、自宅の浴室で男児を出産。男児の父親の少年が自宅に男児を持ち帰り、放置していた。県警は男児の死因を調べている。
少女は2月10日、体調不良で同県内の病院を受診。医師が出産に気付き、少年が病院に男児の遺体を持参した。遺体はタオルにくるまれた状態でバッグに入れられ、腐敗が始まっていた。
少女は、少年に妊娠を打ち明けていたが、親などには相談していなかったとみられる。【松岡大地】
出産間もない乳児の遺体を自宅に遺棄したとして、いずれも10代で静岡県東部に住む男子高校生と女子高校生が15日までに富士署と県警捜査1課に死体遺棄の疑いで逮捕された事件で、女子高校生の妊娠に周囲は気付いていなかったとみられることが同日、捜査関係者への取材で分かった。男子高校生は女子高校生の妊娠を知っていたとされるが、「誰にも相談していない」と供述しているという。
同署などによると、女子高校生は今年1月下旬、自宅風呂場で1人で出産したという。出産の連絡を受けた男子高校生が男児を引き取った。女子高校生が今月10日、体調不良を訴え母親と医療機関に行った際、医師が産後に見られる体調不良の兆候と診断。医師が女子高校生に確認したところ、出産を認めたという。
女子高校生の母親が男子高校生に連絡を取り、タオルにくるまれてバッグに入った男児の遺体を医療機関に持参してきたため、医師が同署に通報した。男子高校生を10日に、体調の回復を待って15日に女子高校生をそれぞれ逮捕した。同署などによると、遺体は体長50センチ程度、体重2500グラム以上の成熟児。へその緒や胎盤は確認できていない。目立った外傷はなく、一部腐敗していた。2人は別々の学校に通い、交際していたという。いずれも家族と同居していたが、妊娠に気付いていなかったという。
2人の逮捕容疑は、今年1月下旬に2人の間に生まれ、その後死亡した男児を男子高校生の自宅の自室に放置し、遺棄した疑い。2人は容疑を認めているという。同署などは男児の詳しい死因や死亡した経緯を調べる。
静岡新聞社
世間は、この二人の男女が異常であると言うのでしょうか?
異常であるのは、この二人を取り巻く環境と、この二人を逮捕する社会のほうだと、私は思います。
SEXが犯罪であるかのように社会が一体となって動き、10代で子供を産んだら道から外れるような社会構築がされているのです。
「小中高大の教育レールと雇用システム」、そして10代と20代以上の交際に対して「誘拐」だとか、「みだらな行為」だとかでバッシングする現代社会こそが異常なのです。
もし現代社会が現在のような環境ではなく、この二人に起きた妊娠という出来事を祝福するような社会であったのなら、今回のようなことが起きたでしょうか?
起きなかったはずです。
乳児を殺さずに済んだ唯一の解決策は、そのような社会に変えることだけなのです。
そのような社会環境に変えず、二人を逮捕することは何の解決策にもなりません。
つまり、この二人をこのような状況に追い込み、赤ちゃんを殺したのは社会環境に対してなんらアプローチを取らず立ち上がらない、日常になじんでいる「我々」なのです。
社会環境がおかしいから、彼らは妊娠・出産を隠す必要があったのです。
10代で子供を生むことが異常でしょうか?
それよりも10代で子供を生むと世間から白い目で見られ、定職に就くことも困難ある現代社会のほうが異常であると私は思います。
その社会環境は目的をもって人為的に作られているのです。
確かにこの二人は、現実を直視せず逃げたことで、一人の命を奪ってしまった。
行動への責任感が足りなかったのかもしれません。
しかし、私はこの二人にだ・け・「子供を産むにあたっての責任を負わせるべきではない」と思うのです。
なぜなら両親二人だけで子供を育てるのは無理だからです。
そして今回のような行動に追い込んだのは間違いなく社会常識、社会環境が異常だからです。
そもそも子供を生むことになぜ責任が必要なのでしょうか?
子供は両親二人だけで育てるものではありません。育児とは共同でするものです。
ですから家族を増やす責任はみんなで負うべきです。 我々、社会で負うべきなのです。 両親二人だけで追うことは無理ですし、そもそも両親だけで子の責任を追う必要はないのだと思います。
ですから、なおさらこの二人だけの問題ではないのです。
しかし、子供を産むことへの責任が両親二人だけにある社会認識がされているのが現状なのです。
みんなで育てなければ、一人の子供を育てることができません。しかし共同で子育てする社会が本来、当たり前であったのに、核家族化、個人主義の台頭でなくなってしまいました。
そして現代社会では家族を増やすことへの責任感が強ければ強いほどに、この地獄のような世の中に子供を産むことはできないはずです。
なぜなら我々は家族を作り、増やしても「家族、そして友人を守る」ということが保証できないほどに、権利・自由ははく奪されているからです。
現代社会の闇を知り、地獄のような現代社会を認識するならば、その世界に生命を紡ぎだすことは家族を地獄に導く行為であるのが現状なのです。
自分がいくらひっくり返っても家族が守れるか守れないかは「運」なのです。それが現代社会なのです。
もし死ぬときに生涯、身近で「理不尽や不幸が起きなかった。」と思っていても、それは単に気づいていないか、運が良かっただけでしょう。
全体を変えなければ自分の身だけ守ることはできません。
私は「この二人が妊娠後にどれほどの恐怖の中を生きていただろうか。」と感じずにはいられません。そして同時にこのような疑問が生じます。
「妊娠したらやばい・怖い。」と思っている思考は、生物として不自然ではないのか?と。
「妊娠したら怖い。困る。」というのは、人間の普遍性から逸脱している自虐的思考ではないか?と思うのです。
「そう思わせる社会は健全なのか?」ということです。
皆さんも学生の時に「妊娠したらやばい・怖い。」と、思った経験があるのではないですか?
それは「人間の普遍性から著しく乖離していることである。」と気付くべきです。
その脳内の状態こそが、支配者層が設定した社会「現代版の人口削減計画」であり、彼らがメディアを通して、我々にインプットした思考なのです。
「経済的に安定してから、子供を産む。」というのは常識のように思えるかもしれませんが、それこそが通貨発行権を持つ支配者層都合の思考なのです。
なぜなら経済は人為的にコントロールされ、NWOの為の道具なのですから、そんなもの安定などしないのです。
人類にとって生きるために最も重要な物は「金」ではありません「人」です。
人がいなければ経済も回りません。
そして子供を産み育てる上で最も重要な物も「金」ではありません「人」です。
我々が知的であるのならば、支配者層は支配者層の地位を維持することはできません。
彼らもまた「人」で成り立っているのです。金ではありません。
「経済的に安定してから、子供を産む。」という常識は「奴隷になってから子供を生め」と言っているようなものです。
そして、より安定、高収入を求めて経済奴隷になっても、年齢を重ねれば重ねるほどに不健康になる、つまり不妊になるような社会構築がされているのです。
生物としての繁殖期である若い時期が一番経済的安定が保てない時期として社会整備がされているのです。
これは人工が増えないように、意図的にそうされているのです。
そして、この二人が起こしたことに対して、「その狂わされた性イデオロギーを人間の普遍性に沿うように変える」という根本的な原因にアプローチするどころか、社会は彼らを逮捕し、犯罪者とするのです。
その社会こそが異常であると私は思います。
そして現実を直視せず自分本位の生き方をしている個人主義の人々が、この二人のように直接的に人を殺しているように見えなくても、間接的に人を殺していることに気づくべきです。
「何もしない」、とは許容、同意していることと同じことなのです。
この男女をこのような奴隷社会に居させることを、我々一人一人が自分本位の思考で生きることで許容しているわけですから、もしこの二人が逮捕されるのならば、我々年長者もまた同罪で逮捕されるべきです。
このような社会を作り出しているのは、我々一人一人なのです。
この二人に愛情をもって、「つらかったね。」と接してあげる人はこの世にもういないのでしょうか?
もしいるならば、その者は社会常識、社会通念、と戦うことになります。
それは世間を敵に回すことを意味します。
つまり、「我々を統治する為の常識」を植え付けている支配者層に矛先を向けなければ、このようなことに歯止めをかけることはできません。
年齢に関係なく子供を産むことが非難されない社会構築に変えるべきです。
二人に子供ができたことに、「みんなで育てようよ!」と言ってあげなかった我々が犯罪者です。
彼らに妊娠を打ち明けさせず、出産後乳児を隠させていたのは我々です。
「自分には関係のない」、「最低な子がいるものだ」と思っている人、そして黙認しているあなたが本当の犯人です。
(関連記事・動画)
・現代版・人口削減計画は「性イデオロギーの書き換え」である。〜相思相愛でも「誘拐」
「自分とは関係ない」ものなどないですね。
しかし、現代社会はそれを巧みに忘れさせ、現世利益、個人主義の温床と化している。
目の前で困っている人がいても、「自分も急いでいるから」と、「自分にも家庭があるから」と、助けられない、「それが当たり前だろ」というようになっていく。
今回の若親もそうですが、そりゃあ子供のことを言おうものなら非難轟々と予想できるのですから、言えるわけがないですね。
この地獄を何とかしたいものです。そう思うからには何事にも自身の行動と責任が伴うことを肝に銘じ、この世の現状を自身のできる範囲で「各・々・が」周りにうったえていく他ないですね。
これは、異常事態です。子どもを産むことは年齢問わず自然なことですし、子どもは皆で育てるものです。
私たちは、社会の常識のなかで「子ども」という存在を捉えようとしているので、普遍的な価値をいつも忘れがちです。人が人を育てるのですから、やはり自分がどう生きるかはとても大事です。ロボットでもなく感情のある人が人を育てるのですから。本来、子どもを増やすことは制度の導入だけではなく、私たちの子どもを見る眼差し、人への思いやり、寛容さからくるのだと思います。そして、現実に私に何ができるかを考え行動することでしか、変わらないと思っています。
先日、ここで購入させて頂いた「電磁波測定器」を友人のファミリーにお貸ししたのです。驚きの結果が出たようで、私たちは、もう無知ではいられない。子どもをもつ者ならば、「お金」よりも学ぶべきことが沢山あるのだと気付きます。この出来事から私たちは、学ばねばなりません。そして、二度とこのようなことが起こらない社会にしていくことでしか、生きられないのだと思っています。
小保方さん今度は窃盗の罪で告発されましたね・・・
本を書いた直後に酷い、あんまりです。
いじめ撲滅と言っておいて、何故大人が集団いじめをしてるのですか
さゆさん更新お疲れ様です。
21日のピクニック参加させていただきますね。
初めてですがよろしくお願い致します。
いつもコメントしている方々にもお会いできればと思います(^-^)/
二人がどれ程辛い思いをしたのかを考えると胸が詰まります。
ずっと誰にも言えず悩んでいたはずです。
親は気付かなかったのか?…という人も居るとは思いますが、気付いてあげれなかったのではないでしょうか。
今や家庭のお母さん達も働かないと生活できない世の中。
本当は子供達とも沢山会話もしたいはずです。
しかし、毎日の仕事や家事に追われそんな余裕もないのではないでしょうか。
私自身、今月より1年半ぶりに仕事を始めたのですが
帰って来て食事の用意やらでバタバタ。
寝る前にその日の出来事をネットでチェックしますが、そのまま爆睡。
一億総活躍社会なんて家庭を壊す為の政策。
昔は[母親は家に居て家庭を守るもの]と言われていました。
これが本来の姿なのではないでしょうか。
知らず知らずの内に常識が書き換えられていく事に腹が立ちます。
今回の事はもっと真剣に考えないと取り返しのつかない世の中になるのではないでしょうか。
失われた尊い命…20年後には社会で生き生きと活躍していたかもしれない…。
悲しいですね。
三人は世の中の人達(我々)の被害者!
さゆさんの言う通りです。イジメに加担していなくても、見て見ぬフリをしたり知らん顔しているのは同罪です。
例えば、地域の公民館みたいな所で、暇なある程度元気なじいさんばあさんが、テレビなんか見てる時間があったら、子供達の面倒をボランティアでみる。その間、お母さんはゆっくりトイレ行ったり?家事したりゆっくりお風呂に入ったり、息抜きしたり仕事をしたりする。じいさんかばあさん一人に子供一人みるのが不安だったら、じいさんかばあさん二人に子供一人でもいい。じいさんばあさん、毎日張り合いがでて、イキイキ元気になるよ〜
そうだ!お寺を開放してもいい、、、、、、そんなことを考えます。
私が子供だった頃、近所のお家に、子供がいるいないにかかわらず遊びに行ってたなあ〜
二人とも日に日に大きくなるお腹に不安を抱えながら過ごしていたことでしょう・・
今後の事を考えると、とても怖かったことだろうと思います。
本当に明らかに社会がおかしい。
難しい言葉や思考なんかいらない・・・
産む産まない以前に、生命の誕生、それらが憚られるこの環境・常識が異常でありおかしい。
絶対おかしい、ほんとうにそれだけでしょう。
個人個人どこまでも孤独にさせられていますね。
今更ですがこの子たちの孤独や不安を想うと、状況は違えど社会の中の常識、非常識という枠の中ではこの子たち同様、イデオロギーの前で・・・自身も孤独なのだと痛感します。
これが支配者層がコツコツ積み上げてきた個人間の断絶の形成の一部でしょう。
さゆさんのご指摘のとおり。 我々みんなが犯人だと思います。残念で、悔しくてなりません。
この現状を直視せず、何もしなければ 結局『奴隷』になったことを認めていることになります。
我々が当事者意識を持って、この狂った世の中、一般常識と戦わなければなりません。
でも、逆に言えば、誰だって、いつからだって始められる。
次の世代の子どもたちのために、子どもたちがいつか大人になったとき、その子どもたちのために。
我々が今出来ることは何か。 皆がしっかり考えて行動するときなんだと思います。
我々の祖先は、100代 遡ると、ひとりの人につき、約5万人ものご先祖様がいると聞いたことがあります。
その5万人もの人たちの想いがあって、今、自分がいる。 我々の背中にいるのは東京ドーム満員分の人たち。
5万人の代表として、今我々が100人 立ち上がったら、 それは500万人分です。
我々は ひとり ではない。
だからこそ、ひとりひとりがしっかりと『未来』を作らないといけないと思います。
この狂った世界の犠牲になってしまった子どもたちのためにも。 奴隷になってしまった大人たちの分も。
一昔前は15歳で子供を産み育ててた。そんな時代より栄養も十分で体格も遥かに良い今の人間の社会は15歳以下で子供を産むことは赤ちゃんにも母胎にもリスクが高いとよく耳にします。
これは身体へのリスクではなく、社会の仕組みへのリスクなのかなぁ。と最近感じます
職場の不妊治療中の同僚はホルモン漬けで心身ボロボロです。。40越える妊活は想像を絶するものがあり、
そしてそのホルモン剤はこの先不妊治療の人の身体にどんなリスクを残していくのか?わからないまま推奨し、皆、それにしがみついてる現実があります
もっと早い時期に家族を作っていくことを許せる社会なら、こんな40越えて尚妊活をする世の中にならなかったのに。。と。寂しくなります。
因みに私も三十五越えて出産した二児の母です。毎日主人の稼ぎでは足りなく働いてます。。もう毎日が凄い勢いで過ぎていきます。。
考えないまま毎日過ぎていくのが怖くて、色々社会についてネットで勉強しています。。
これからもさゆさんを応援してます!頑張ってください!