



5歳男児に暴行で母親と内縁の夫逮捕 大阪
テレビ朝日系(ANN) 1月31日(日)5時54分配信
東大阪市で、5歳の男の子の顔を殴ってけがをさせたとして母親と内縁の夫が逮捕されました。
男の子の顔を手で殴って軽傷を負わせたとして逮捕されたのは、内縁の夫で建設作業員の井手稔容疑者(34)です。警察の調べに対し、「しつけのためだった」と容疑を認めているということです。28歳の母親も暴行を止めず、傍観していたとして傷害容疑で逮捕されました。事件は30日午前2時すぎ、上半身裸の男の子が店に入ってきたのを不審に思った店員が保護したところ、体に殴られたような痕があったことから警察に通報し、発覚しました。男の子は手足にも複数のあざがあり、警察は日常的に暴行を受けていた可能性もあるとみて調べています。
最終更新:1月31日(日)5時54分
なにもしないでいることで、傷害容疑で逮捕です。
もし我が子に暴力を振るわれている親が、それを傍観していたとしたら、「なんて冷酷な親なのだろう。」とか、「なにか特別な事情があるのだろうか?」と思いながらも、誰しも「今すぐにその子を解放してあげたい。」という思いにかられるでしょう。当たり前です。
しかし、その「傍観して、なにもしない親も傷害罪として逮捕できる社会」にするのなら、世界で戦争が起こっているのにも関わらず、昨日と変わらぬ日常を送っている我々も「人殺しを傍観していて救う行動をしない。」として、全員漏れなく逮捕できるということになります。
戦争だけではありません。
政治家の予算編成、天下りなど、それら金の使い方も間接的に人殺しをしていることと同等です。
悪法を立法する政治家、殺人事件・事故などの原因、犯人さえもを全く別のものに置き換えて虚偽報道するマスコミ、事実を捻じ曲げ虚偽捜査する警察、権力に追随する司法、我々は「支配者層」がそれらの手先を使って堂々と犯罪行為をしているのを知っています。
そのような社会の不条理を知ってもなお、自分の為にいつもと変わらぬ日常を過ごし、「自分さえ良ければ良い」という個人主義がまかり通っている現代に生きる我々のほぼ全員が、犯罪行為を黙認している犯罪者ということになります。
現代社会では、大衆は漏れなく総犯罪者化する社会整備、ルール、常識が形成されているのです。
我々はそれら、「黙認という行動」に対して「犯罪行為と同等の行動である。」と思い、強い責任感を持ち、自身を戒め、より高みを目指す行動を取っていくことが必要です。私が今行っている活動は、正にその責任感から派生した行動です。
しかしながらその「黙認という行動」に対し、他者が人間関係を形成し、その関係を通して、空気、目、倫理観、そして「教育」で伝え教える方法ではなく、社会が権力を行使して罰則を与えることは、根本原因の解決にはならず、付け焼き刃的対処であり、それどころか他の目的を達成しようとしている思惑が見えます。
このようにある事柄に対して、的外れな方法を取って解決されたかのように偽っている場合、そこには他の目的がはらんでいるのが常です。
もしこの事件が本当に起こり、事件の真実が報道されているとして、ですが、この母親が傍観していて逮捕されたことは、なんの原因の根絶にもならないどころか、より我々大衆の行動が狭められている報道なのです。
例えれば、その逮捕は、世界中にいるホームレスの子供たちに一度、金をあげたことと変わらない。その子たちが貧窮している根本原因である、社会整備、世界の支配構造自体を変えなければ、現状は何も変わらないのです。
しかしそのお金をあげるという行動が、資本主義社会の促進という悪影響を世界全体に与えているという意味もあるのです。
今回の事件で言えば、「誰でも逮捕できる社会整備」ということです。
「何もしてない人に対して傷害罪で逮捕した」わけです。
すべての問題に言えることですが、問題を根本から解決する為には、「世界(社会)で起きていることはすべて自分の行動から派生した自分の責任である」と思い、私欲を排除して捨て身の行動を皆がとることです。
殺される覚悟でなければできませんが。やらなければ、我々の分身(後世)が殺されます。
昨今、シングルマザーなどの未婚の母親と、その恋人の男性の子供への虐待死の報道をこぞってマスコミがピックアップしています。(下に記事添付)
・埼玉県狭山市やけど3歳次女死亡事件 「病院に連れて行かないと犯罪者であるという社会」「各家庭に行政が簡単に入り込める社会」にしようとしています。
これらの目的は、上記記事で上げた
・子供の教育は行政がするものへと変えるために、家庭から子供を取り上げたい
・子供を守るとの名目で、各家庭に行政が簡単に入り込めるようにしたい(指導・取り上げ)
・子供を産むことを大衆自らが放棄する社会環境を敷設したい
・「病院に連れて行かなければ犯罪者」という常識を敷設したい
これらでしょう。
それにプラスしてこれらの事件はシングルマザーなど、未婚の母親とその内縁の夫(恋人)が容疑者であるという共通点から、「シングルマザーなどの未婚の母親」に対しての何らかのイデオロギーの敷設があるとも見ています。
頬と腹に執拗な暴行の痕 3歳男児“虐待”死亡事件(2016/01/30 11:50)
東京・大田区のマンションで3歳の男の子が暴行を受けて死亡した事件で、男の子の頬と腹に執拗(しつよう)に暴行されたあざがあったことが分かりました。
永富直也容疑者(20)は25日夜、大田区のマンションで、同居していた新井礼人ちゃんに正座をさせたうえ、殴るなどの暴行を加えてけがをさせた疑いで逮捕されました。礼人ちゃんはその後、死亡しています。全身にはあざがありましたが、その後の警視庁への取材で、頬と腹に執拗な暴行を受けた痕があったことが分かりました。また、一緒にいた礼人ちゃんの母親の証言から、永富容疑者は暴行の最中に「死んじまえ」と言っていたということです。警視庁は永富容疑者の暴行が原因で礼人ちゃんが死亡したと断定し、容疑を傷害致死に切り替えて捜査しています。
3歳次女の手、体の後ろで縛る 虐待の母親ら再逮捕(2016/01/29 19:30)
埼玉県狭山市で、やけどした3歳の次女を放置したとして逮捕された母親らが、次女の両手をネクタイで縛るなどの暴行を加えた疑いで再逮捕されました。
藤本彩香容疑者(22)と大河原優樹容疑者(24)は、去年9月と11月ごろに狭山市新狭山の自宅で、次女の羽月ちゃんの両手を体の後ろに回し、ネクタイで縛るなどの暴行を加えた疑いが持たれています。羽月ちゃんは9日、自宅から遺体で見つかり、体には複数の傷やあざがありました。2人は容疑を認めていて、大河原容疑者は「自由に動き回れないように縛った」と供述しています。2人は無料通信アプリの「LINE」で、羽月ちゃんに対する暴行の内容についてやり取りをしていたということです。警察は、2人が去年8月ごろから羽月ちゃんを日常的に虐待していたとみて調べています。
『「黙認という行動」に対し、他者が人間関係を形成し、その関係を通して、空気、目、倫理観、そして「教育」で伝え教える方法ではなく。』
というところ、それが個人主義の中で確立されてきたことを感じています。このニュース、子をもつ親ならば無関心ではいられません。本来であれば、「我が子」という概念も、自分の子だけではなく近所の子、友人の子、つまり他者の子を含んで捉える必要があるのではないでしょうか。
なぜなら、我が子の豊かな成長を願うのは、親として当たり前ですが、その我が子も、他者の子と共に社会を形成していくので、そこを念頭に入れて「子供を育てる」ということを、社会全体で考え直す必要があります。つまり、我が子の成長を願うこと、他者の子の成長を願うこと、自分が社会を「今」よりも良くしていくことは、イコールだということです。
いつかさゆさんが、「自分の子だけを守ることはできない。」と記されていたのを記憶しています。その通りです。
シングルマザーについての敷設、私も観ています。いや、そこ重要ですから、多くの女性が着目しています!
さゆさん、「世界(社会)で起きていることはすべて自分の行動から派生した自分の責任である」
と、
本当にそう思います。
自分が無関係なことなど何一つないのでしょう。
それから本当にみんな付け焼刃に逸らされていますね。
まあ、掘り下げないのは楽ですから。
私は東洋西洋問わず薬はNGだと解釈してますので、
人にも自分にもそれらをすすめません。
肉体も社会も縮図であり根本解決が重要でしょう。
自身、今ひどい好転反応中ですが、断食で解決中です。
そして日課の飲尿+で快適に戻りました(^^ゞ
凄まじい回復力です。
世のなかも甘い飴ばかりを求めず、このようにね、断食せねば。