現代版・人口削減計画は「性イデオロギーの書き換え」である。〜相思相愛でも「誘拐」


evt15102619000024-p1【衝撃事件の核心】女子高生と“駆け落ち”逃避行…相思相愛でも「誘拐」の罪

 「俺んとこ来るか」。出会い系サイトで知り合った大阪府内の高校1年の女子生徒をそんな言葉で誘って自宅マンションに連れ込んだとして、名古屋市の会社員の男(27)が10月、未成年者誘拐容疑で大阪府警に逮捕された。女子生徒が男の自宅にいるのが見つかったのは7月。両思いの関係だったため府警は逮捕を見送ったが、男は女子生徒と二度と会わないという誓いを破って2カ月後、再び四国へ“駆け落ち”したことで身柄を拘束されたのだ。今回の逮捕が報道されると、インターネット上では「これが誘拐になるのか?」などと異論も噴出する事態に。だが、たとえ相思相愛でも相手が未成年であれば、連れ出した大人側が「誘拐」の罪に問われるのが現実だ。誓いを裏切った男の代償はあまりに大きかった。

■部屋で遊んでいただけ…

 「娘が帰ってこない」。7月22日未明、大阪府警高槻署に高校1年の女子生徒(16)の母親が駆け込んできた。

 府警によると、女子生徒は前日の21日午前10時半ごろ「映画を見に行く」と外出。そのまま行方不明になった。府警は、女子生徒の携帯電話の解析や友人らから情報収集を進めるなどして捜査を開始。女子生徒が名古屋市の繁華街・栄から北東約2・5キロにあるマンションの一室にいることを突き詰めた。

 この部屋こそ、会社員の男の自宅だった。7月29日夜、府警の捜査員は部屋の中にいる女子生徒を見つけ、保護した。

 後に未成年者誘拐という重大犯罪に発展したこの事件。「誘拐」という言葉からは、女子生徒の手足が縛られ、狭い部屋に監禁されているというような情景が浮かぶ。だが、部屋の中にいた女子生徒の様子は、そんな一般的なイメージとはまるで違うものだった。

まずマンションの部屋に施錠はなし。女子生徒は身体を拘束されるようなこともなく、部屋の中で遊んでいた。男も外出しており、逃げようと思えばいつでも逃げ出せる状況だった。

■きっかけは出会い系

 2人は今年6月、出会い系サイトで知り合った。初めて直接会ったのが、女子生徒の行方が分からなくなった7月21日だった。

 午前11時に大阪府内で待ち合わせた2人は、梅田など大阪市内を転々としながら仲良くデート。途中で男が「俺んとこ来るか」と誘うと、その日の夕方に2人で電車に乗って男の自宅がある名古屋に向かった。

 府警が発見した29日までの約1週間、2人がどのように過ごしていたのか詳細は明らかになっていない。男は飲食関係の仕事をしており、勤務時は女子生徒を自宅に1人残していた。

 男は「1人で外に出ないほうがいい」「誰かが家に来ても扉を開けないほうがいい」と指示していたが、女子生徒が体の自由を奪われるような状況ではなかったとみられる。それどころか、2人は互いに好意を寄せ合っていた。

 府警は女子生徒を保護したものの、こうした状況から男をその場で逮捕するのは見送った。任意での捜査は続けたが、想定された容疑は、未成年者誘拐ではなく、愛知県青少年保護育成条例違反(深夜外出の制限)だった。

 府警が二度としないようきつく指導したのに対し、男は「女子生徒ともう会わない」と約束した。

■逃避行、携帯電源でアシ

 しかし、そんな誓いはわずか約2カ月でほごにされた。

 10月3日朝、女子生徒が「病院に行く」と自宅を出て、再び行方が分からなくなったのだ。

「あいつだ」。女子生徒の行方不明者届を受け、捜査員の頭に真っ先に浮かんだのは“前科”がある男の存在だった。2日後の10月5日には、7月に女子生徒を自宅に連れ込んだ件について、男から任意での事情聴取を予定していた。

 捜査員は予定通り5日、名古屋市の男のマンションへ向かったが、中はもぬけの殻。仕事を無断欠勤し、携帯電話も電源が切られていた。衛星利用測位システム(GPS)で居場所を捜すことさえ不可能だった。

 府警は男が約束を破り、再び女子高生と接触して連れ出したと判断。男を発見し次第、すぐに身柄を確保するため、これまで任意で調べてきた7月の事件を強制捜査に切り替えた。2度も保護者に無断で女子生徒を連れ出したことから、悪質性が高いと判断し、未成年者誘拐容疑で逮捕状を取得した。

 防犯カメラの映像などから、2人が大阪市や神戸市を移動したのを確認。その後の足取り捜査は難航したが、男が携帯電話を売却するため、松山市内の携帯ショップに足を運んだことから足が付いた。

 電話の解約手続きのため、店員が携帯の電源を一時入れたことで、GPSから居場所が判明したのだ。10月12日、捜査員は同市内のホテルの駐車場に2人がいるのを見つけ、男を逮捕した。

 結局、男は「駆け落ちしよう」と言って女子生徒を四国まで連れ出していた。もちろん、女子生徒もそのつもりだった。

■前兆に厳しいメス

 《ただの交際じゃん》

 《これが誘拐になるのか?》

 男の逮捕が報じられると、インターネット上には一般的な「誘拐」との違和感を指摘する声が上がった。確かにイメージは異なるが、捜査幹部は「『好きだ』とか甘い言葉を使って、精神的に未熟な高校生を誘い出した。7月の時点での指導も無視しており、悪質性は高い」と語る。

 実際、このようなケースで未成年者誘拐容疑が適用されるのは珍しいことではない。

 警視庁は昨年8月、中学1年の女子生徒を自宅に連れ込んだとして、同容疑で東京都内の20代の男を逮捕した。家出した生徒が出会い系サイトに「誰か泊めて」と書き込み、この書き込みを見た男が、駅で生徒と待ち合わせて自宅へ連れ込むという手口だった。

 神奈川県警が今年9月、小学6年の女児を連れ回したとして20代の男を同容疑で逮捕した事件では、男と女児は以前からチャットで連絡を取り合っていた。女児宅の留守番電話には「家出をしたい」という女児の言葉が録音されていた。

 「子供が殺人や強姦などの重大犯罪に巻き込まれるのを防ぐため、前兆となる事案を厳しく取り締まる傾向にある」。防犯に詳しい立正大の小宮信夫教授(犯罪学)は、警察当局の動向をこう分析する。

 警察庁によると、今年上半期に出会い系サイトや、無料通信アプリ「LINE(ライン)」などの交流サイトで犯罪被害に遭った18歳未満の児童は844人。そのうち12人が強姦事件、6人が強制わいせつ事件の被害に遭った。

 出会い系サイトを利用した被害は減少傾向にあるが、交流サイトを通じた被害は統計を取り始めた平成20年以降、上半期の数字としては過去最多だった。被害拡大を防ぐため、警察は出会い系サイトや交流サイトの危険性を訴えている。

 ただ、小宮教授は最近の傾向として、男側が逮捕を逃れようと巧妙に少女側の心をつかみ、「同意の上での行動」に見せようとしていると指摘し、保護者にこう警鐘を鳴らす。

 「巧妙な手口にだまされないためには、相手の言葉を簡単に信じるのでなく、冷静に相手の言動を分析する必要がある。子供のころから、保護者は相手の言動を見極める意識付けをさせなくてはならない」


逮捕された男性が、「二人の関係の進め方に対してもう少し客観性を持って進めていれば、問題は起きづらかったのではないのか?」とは思います。

しかし果たして恋愛にそのような「賢さ」が必要なのか?と、私は同時に思うわけです。

私はそのような「賢さ」が無くても、普通に生きていける社会が健全であると思います。

ここでいう「賢さ」とは、「社会環境と願望を照らし合わせて、客観性を持った行動の中で社会的リスクを減らして人生を歩んでいく」という事です。

これは一見、どのような世界でも必要にも聞こえますが、この「社会環境」と「人の普遍的自然欲求である願望」のギャップを過剰に開いていくことで、ある目的を果たそうとしているする輩がいるということです。

そもそも皆さん、「この男女」と、「この男女を取り巻く社会環境」のどちらがおかしいと思いますか?

間違いなく、社会環境が異常です。

相思相愛の者同時が、一緒にいて、その片方が18歳未満だからと言って、20歳以上の者が「誘拐」として逮捕されるのは完全に狂った世の中です。

この男女のそれぞれの「気持ち」を完全に無視して、社会がその権力を行使し彼らの自由を犯しているのです。それが良いはずがありません。

その男女が相思相愛で、何も問題を起きていないにもかかわらず、ただ片方の年齢が18歳未満というだけでお互いの気持ちと関係性を無視し、国家権力を振りかざし、我々の交友関係が限定されているのです。

それは他者を好きになる自由はおろか、交際する自由がないということと同等です。

この交際の自由の剥奪は、西洋の「身分制度」から端を発し、日本の現代社会では「結婚」という制度が「愛して良い人」と「愛してはいけない人」を作り出し、交際を断絶する常識の構築がされたのです。しかも日本で結婚という制度が始まったのは、1898年から現在までたった、117年の歴史しかありません。

<浮気編>常識の敷設は、いかに恐ろしいか? ~大阪府警・元巡査長 西川出身女性殺害事件

記事に戻ります。

>捜査幹部は「『好きだ』とか甘い言葉を使って、精神的に未熟な高校生を誘い出した。7月の時点での指導も無視しており、悪質性は高い」

10代だろうが立派な人間はたくさんいます。50歳、60歳を超えてもなんら精神性の成熟が見られない人間は多くいます。その現状を見れば

「意思・考え」は「年齢、つまり生きた時間の長さ」に比例して成熟する、とされるのは、一見正しく見えますが、「嘘」ということがわかります。

「年齢を重ねれば経験も増え、精神年齢も成長するだろう」というのは希望的観測に過ぎません。

期間が経過したことによって精神が成熟するかどうかは個人の向上心や自己懐疑心などの謙虚さ、性格によって全く違います。むしろ時間の経過と共に精神性が後退することも十分にあるのです。

肉体的成熟と、精神的成熟を分けて考えなければいけません。

そしてそもそも、未熟だから起こるであろう失敗を排除する必要があるのでしょうか?

未熟だからこそ、失敗が必要なのです。

未熟な者から、失敗を奪ったらどうなるでしょうか?

未熟なままなのです。

つまり、未熟だからこそ、「挑戦と失敗」などの経験をするべきであり、成熟した人間になるために、それら「経験」が必要であるのにもかかわらず、それを本人の意思に反して社会が剥奪し、排除しているのです。

個人の自由であるはずの「挑戦と失敗を経験」を社会が排除することは、未熟な人を意図的に作り出す作業です。つまりこれらは「未熟な大衆を構築する作業」なのです。

「精神性の向上と、年をとることは一致しない」

これに異論がある人がいるでしょうか?

若年である10代の人の、「決める事」「思い」「行動」は、すべて間違いなのでしょうか?そんな事はあるはずがありません。

それを「間違いだ」としたいのは、他者をコントロールしたい人間であり、そのような人間こそ我々にとっての「害」です。

人とは年齢に関係がなく、生まれてから死ぬまで一つの「個」なのです。

ひとりひとりが唯一無二である人間にとって、そのひとりの人間が持つ意志が、その人にとって一番重要であり、他者が他者と接する時に一番尊重しければいけないことなのです。

人とは、幼稚園生だろうが高校生だろうが、それぞれ「好き・嫌い」の意思ははっきりしています。

そう見えない子がいたとしても、気持ちを「他者に伝える術」が上手ではないというだけで、人には漏れなく明白な意思があります。

若年だからと言って、己の意思と反した行動を進んで取っていくということはありえません。

その意思を、18歳未満ということだけで「未熟、間違え」とすること自体が異常なことであり、それ自体が犯罪者的思考なのです。

つまり、この警察の行動自体が犯罪者的行動であると私は思います。

記事内の捜査幹部の発言は、年齢で未熟と決め付け、18歳未満という理由だけで当事者の意思を一切無視し、権力を行使する行為は、非人道的行為であると言えます。そして年齢で未熟だと考える事自体が、未熟な事であると、彼らは知るべきです。

「青少年健全育成条例」とやらに言いたいのですが、17歳から18歳になって、なにかが劇的に変わるのでしょうか?

「民法第四条・年齢二十歳をもって、成年とする。」に言いたいのですが、19歳から20歳になって子供というレッテルが、大人というレッテルに変わる根拠は何でしょうか?

人間と年齢との関係とは、なんらその人間の中身を表すものではないのです。

しかし、

・年齢と適合したルールを作り、罰する。

これが支配者層の手口です。

そして今敷設されている支配者総都合の社会常識の中で生活することは、生物としての人間の幸福からあまりにもかけ離れています。

男女が愛し、人生を歩んでいくということに対して、年齢で一律に線引きをし、それに対して国家権力がその権力を行使し、交際を根絶しているのが現代社会なのです。

これは種の起原にも関わる事であり、このように年齢と個としての意志や成熟は関係が無いのにもかかわらず、年齢で一律に取り締まろうとする社会は、支配者都合の社会なのです。

その証拠に、その一律に線引きをした、年齢(数字)に根拠は一切ありません。

そして、我々が気づかなくてはいけないことは、その数字(年齢)を書き換えていくことは数十年単位では、容易であるということです。

つまり、「18歳以下と20歳以上の交際は犯罪」この18の数字をだんだんと上げていくことが可能なのです。

その兆候は既にあります。

19歳の女性のことを「少女」と社会は呼び出しています。
「19歳 少女 逮捕」と検索してください。たくさんその例が出てきます。

つまり社会は、少女という概念を作り上げ、「少女に興味を持つ男=気持ち悪い」というイメージをつけ、同時に、「少女」という概念に該当する年齢の幅を上げているのです。

例えば数十年後には25歳以下の女性を「少女」と呼ぶ時代の到来が十分にありえるのです。
つまり、若年者から端を発し、男女間の交際をどんどん遠ざけている。

この問題はなんら、「若い子が好きな男を取り締まる」という単純な問題ではないのです。

大衆の種の存続を根絶しようとしている支配者層と、我々とのNWOの戦いであり

これが「現代版の人口削減計画」なのです。

現代では、18歳未満の人間と20歳以上の人間の交際で逮捕される時代なわけですが、そもそも、18歳未満の人間と20歳以上の人間のカップルは過去、我々の祖先の人達の中ではなんら普通のことです。

これを「普通のこと」と言わなければいけないこと自体が、異常なことであると気づかなくてはいけません。

つまり現代社会に敷設されているような、「18歳未満の人間と20歳以上の人間の交際を犯罪」としてしまうのならば、私たちはみんな犯罪者の子孫ということになります。

人間の普遍性は変わらないにも関わらず、時代によって常識が変わることは、誰かの明白な意思が働いてコントロールされていると気づかなければいけません。

つまり支配者層都合で、時代によって「犯罪か」「犯罪じゃないか」が変わるのです。

そんなことがあってよいでしょうか?

人類が始まって以来、現代を生きる我々だ・け・が・「18歳未満の人間と20歳以上の人間の交際」で逮捕される社会に生きているわけです。

つい最近まではなんら普通のことだったのに、です。

当たり前のことですが、現代に敷設されたこの常識は、当時の人の「18歳未満の人間と20歳以上の人間の交際を犯罪とするとルールを作らなくてはいけない」という声があって作られたものではありません。もしそうなら人類の長い歴史の中で、「現代で・だ・け・」そのようなルールがテレビや社会を通して敷かれていることはおかしなことです。

大衆からそのような声が上がったわけではなく、支配者層の意向を受けて、彼らの手先である為政者・マスコミ・警察が支持を受けて勝手に動き出したことです。

これら現状を見ると、今我々が生きている社会は、なにやら我々の幸福とは全く関係のない方向に向かっていることが、見えてきます。

18歳未満の人間に興味を持ったら犯罪者であるかのようにマスコミがいっせいに報道しだすことによって、「18歳未満に興味を持つ=気持ち悪い」と、大衆の感情に刷り込むような情報が飛び交わせる。そしてそれを常識としてしまう。

これが「常識の書き換え」です。

そしてその内容が種の根源である「性」についてですので、「性イデオロギーの書き換え」が行われているのです。

その「常識の書き換え」という戦法は大衆を管理し、大衆を誘導したい支配者層からすると大きな鍵になるのです。

なぜなら、「18歳未満と恋人関係になったら最低だよね、気持ち悪い」と大衆の脳内を書き換えてしまえば、それだけで出生率が減るわけです。

同時に現代では「社会毒」が蔓延していますので、歳をとればとるほど「社会毒」の影響を受け不健康になり、「不妊」になる可能性が増す社会システムが構築されているのです。

そして、このような「常識の書き換え」という戦法で人口削減することは支配者層にとって一番良い方法なのです。

このように時間をかけてじわじわと常識を書き換えていくことは、大衆の不満や矛先が向きづらく、しかもその指揮系統が気づかれないのです。

「人口削減」と聞くと、皆さんがイメージするのは戦争などで大量に殺したり、一人っ子政策など国家方針として大ぴろげに押し付けるなどを連想されるかもしれませんが、それでは反発を生み「一揆・謀反」が起きます。

それは、労働者のストライキを招き、労働力をうまく潤滑させることができず、NWOを円滑に進めることができなくなってしまうのです。

ですから、支配者層にとって自然に人口を削減するための一番良い方法は、大衆が自ら進んで、自分らの思惑通りの行動をしていると、思・わ・せ、支配者層都合である行動を大衆が自発的に起こすという社会システムをセッティングすることです。

そうすればそれがたとえそれが「自傷行為だろうが」、「子孫の未来を地獄に変える行為だろうが」、子供を産める時期に勉強や仕事をさせ、それを大衆は、当たり前であるとか、ましてや喜んで自分の意思だと思って、自由だと思い込み行動しているのです。

支配者層はそのような社会システムの構築をしています。

そして、同時に貧窮化を推し進め、同性婚を推奨し、「異性カップルは頭がおかしい」「同性カップルがかっこいい」というところまで社会常識、そして社会環境を整え、自然に出生率の低下を図るでしょう。

これら、性イデオロギーの書き換えが、現代版の人口削減計画なのです。

<常識の敷設>同性愛のファッション化が進められています。

同性同士の結婚を認めないのは人権侵害だとして人権救済申し立て ~この方達に気付いて欲しいこと

「同性婚認めて」と455人が日弁連に人権救済申請 ~貧窮化を推し進めるためには、日本でも必要なカードの様です。

米連邦最高裁、同性愛者の結婚認めないのは憲法違反 ~同性愛者の為の同姓婚の容認ではなく、NWO人民支配の為の「性イデオロギー」の敷設です。

<同性愛推奨社会へ>世田谷区職員の互助会、同性婚に祝い金 来春開始の予定

 

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現代版・人口削減計画は「性イデオロギーの書き換え」である。〜相思相愛でも「誘拐」」への2件のフィードバック

  1. 甘えび

    さすが、さゆさん!鋭いところをついてきます。
    あれっ、結婚って確か女16才男18才からだったよね、、、、と調べてみたら、その前は、15才と17才だったようです。そして、今度は女18才にあげようとしているみたいです。

    なのに、選挙権は18才???????

  2. 向日葵

    「性イデオロギーの書き換え」について、以前、同性愛・同性婚の「ファッション化」について述べられていた記事を読み、その後、意識して生活してみると、様々なところで常識の書き換えがなされていることに気付きます。
    今、書店に並んでいる女性ファッション雑誌に「新しい家族のカタチ」というテーマで同性婚についての特集があります。他にも、「働くママ」や「シングルマザーとして働く生き方の提案」が以前にも増して記事になっており、現実との差に違和感を持っておられる方もいるはずです。それが私たちの「常識」であると敷設されている一端が垣間見られます。
    私たちは、このような記事などから少なからず影響を受けていますが、それは、生物としての普遍性からかけ離れていっていることに気付かなくてはなりませんし、女性が「働く」ことと「育児」の狭間で抱えるもやもや感は現在も絶えません。「働く」ということは、自己成長に繋がる一方で、子どもを育むという大事な時間が奪われていくことにも繋がります。自ら進んで働き、思惑通りの行動をとる必要はないですが、そのようにしなければ生活が成り立たないということがあります。「子どもを産む」ということに関しても、自然な本能で、母乳で子どもを育て、後世へ繋いでいくということが容易にできない社会構築そのものに疑問を感じずにはいられません。
    今、私の周囲では、女性が「働く」ということが美化されている常識のなかで、それは自らの意思で生きているのか、それとも、社会構築のなかで働かなければならない状況にさせられているのかを、よく考え「今」を生きなければならないと感じています。しかし、どれだけ性イデオロギーが書き換えられようとしていても、そこに気付く目をもち、その葛藤のなかでも、私たちの確固たる生物としての普遍性を生きる姿勢を貫くことが出来ると私は思っています。

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