
大阪・高槻市中学生遺体 商店街から酒主アナが報告します。
商店街に買い物に向かう人、はたまた駅の方に歩いていく人、それぞれが行き交うあたりで、2人は最後に目撃をされました。
その2人を最後にとらえたのが、防犯カメラになります。
その防犯カメラの視界から出ていくように、2人は駅の方に向かって歩いていきました。
現在は昼間ということもあり、人通りも多く、また目の前の道を進んでいくような車もあります。
しかし、2人が最後に目撃をされたのが午前5時すぎ、人通りも車もほとんどないということでした。
先ほど、寝屋川市民の方にお話を伺いました。
市民は、「今までみたいに、やっぱりこうね、自由に(子どもを)遊ばせると、何かあったらなという心配もやっぱり出てくるので」、「夜遅く、例えば歩いている子を見つけたりすると、やっぱり声をかけてあげたりしたいなとは思いました」などと話していました。
よりいっそう注意をしなければいけない、そのような声とともに、やはり、「容疑者が捕まって、安堵(あんど)した」といった声も多く聞かれました。
<高槻市中学生遺体遺棄>やはりマスコミは防犯カメラの必要性を訴え、「(他人に対して)より気をつけろ」と他者へ疑心暗鬼になる風潮を植えつけたいようです。
この報道の動画構成を見れば一目瞭然です。(下に動画添付)
防犯カメラの必要性を訴え、セキュリティー強化の名の下に、我々が監視社会に置かれるならば、逆にこのような事件を今以上に簡単に起せるようになるのです。それはマイナンバー制度と合わさることでより強固になります。
その警告は下記記事で言ってきましたし、このセキュリティー強化の流れは先月の「新幹線焼身自殺」とリンクしているのです。
・マイナンバー制度は、容易に淡路島・平野容疑者のような人物を見つけ出し、犯人にでっち上げることができます
・ドイツ機墜落テロ 病歴があるパイロットを選んで、でっち上げ事件を起こすことは容易です。
・NWOへの法整備が進むと、「新幹線焼身自殺」のシナリオを不可抗力で起せるようになります。
・「マイナンバー通知カード受け取り特例」でDV、ストーカー、児童虐待の被害者、長期入院患者、東日本大震災避難者の情報を今後起すでっち上げ事件の為に知りたいようです。
そして、他者に対して懐疑的になり子供から大人までもが他者へ疑いの目を向けて生きるのならば、我々大衆の最大の武器である「団結力」を失い、大衆の集約された力が支配者層へ一点に注がれることが排除されますからNWOを目論む支配者層にとっては我々が疑心暗鬼な精神状態で他者との繋がりを拒む社会であるほうが都合がいいのです。
戦前のようにコミュニティーを破壊するような、弾圧は古く、「奴隷と気付いていない奴隷」を作り上げるには、常識を書き換えるのが一番良いのです。
それがこのような事件の目的なのです。
上記目的の為に、核家族化、個人主義を推進してきたのだと、今回気付きました。
前回の記事で、私は
我々は全く事件の信憑性がわからないまま、この事件を通して社会や他者への不信感のみが、皆の心に残されるのです。
つまり、「子供達に大人への懐疑心を抱かせる」、「子供と他者との接点を失わせる心理に保護者を誘導する」などこの事件には、さまざまな社会に与える影響があるのです。つまり利害関係人がいるのです。
この事件は、防犯カメラの映像から犯人を割り出せたことに対する、防犯カメラの必要性の肯定、それはセキュリティーの強化への流れを生みます。
と言ったわけですが、まさにそれを具現化したような報道が、記事を上げた直後にされたことに自分自身もびっくりしましたし、この事件の目的が私のよみ通りであると確信に変わり、今回の高槻市中学生遺体事件が「でっち上げ事件」である信憑性が高まりました。
ここまで私の前回の記事で言った目的を具現化したような動画構成で報道されると、私を向こう側の傀儡であると言う人が出てきてもしょうがないと思いますが、しかし私の言動は誰得で、どちらの方向を向いているのかしっかり考えてみてくださいね。
大衆の心には、漏れなく「良心」が敷設されていることを私は知っています。
・<高槻市中学生遺体>山田浩二容疑者「単独の犯行」で幕を下ろしたいようです。 ~本事件の信憑性がわからないまま、社会や他者への不信感のみが、皆の心に残されるのです。
・監視社会を敷設しようとしている支配者層の手先と、皆様へ ~我々の幸福と関係のない「常識の書き換え」を認識しなければいけない
・為政者・大企業それらを牛耳る支配者層は、未来の世界をどうしたいのか?
In matters of conscience, the law of the majority has no place.
良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。(ガンジー)
彼らは、多数決で大衆の良心を踏みにじろうとしています。
選挙は操作でき、両親を持つものがマイノリティであるように見せかけることができます。
でも、良心は挙手とその数で決まるものではありません。
いじめっ子がどんなにたくさんいて、それを止めようとする人がどんなに少なくても、良心は常にいじめを止める側にあります。
良心に則った法律、行政、警察、報道。
今の時代は、完全にその反対の事が行われています。
長続きはしません。