動画「【久米島沖きのこ雲】アメリカが「爆弾を投下」した理由」が削除されました。~「過去に蓄積した情報」と「現在の私が行き着いた考え」の乖離をどのように回避したらよいか?という問題。


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上記のように、2014年5月31日にアップロードした、動画「【久米島沖きのこ雲】アメリカが「爆弾を投下」した理由」が2015年8月2日に削除されていたようです。

理由は、「TBSへの著作権侵害」が理由のようです。

「報道」とは、公益を目指しているものであり、その報道を我々大衆が「その報道の意図との著しい乖離や作成者を貶めるなどの目的の使用以外の利用」にも関わらず、ただ単に「作成者の著作権を侵害した。」としてその利用を制限することは、マスコミ報道自体が我々大衆の幸福の為に存在しているメディアではなく、支配者層の手先に成り下がっていることのまさに証拠であるわけです。

そして今回、「削除された動画たち」の中に、今回削除された動画をアップするかどうか、再度動画を視聴しまして検討しましたが。フランステロyoutube削除 1アップロードするのをやめました。なぜなら「アメリカ悪」や「金融ユダヤ」「プーチン救世主説」という概念から物事を見ていた、「有名陰謀論者の敷設する枠内」からの分析だったからです。

よって、この動画は、「事実を残す」と言う点で価値はありますが、事件の分析と言う点ではまだ浅いものになり、ミス誘導してしまう可能性があることから、現在再アップは控えようと思いました。

私は活動を2014年01月から始めて、今一年八ヶ月目、活動をする中でどんどん社会構造が見えてくる過程で、考え方や分析が刻々と変わって来ています。自賛になってしまいますが、成長しているのです。

よって、毎日アップするわけではない「さゆ動画」しか見ていない人は、私の考えと乖離する部分も多く、私的には毎日更新しているブログが一番私の「今」考えていることと近いことから、読むことを薦めています。

毎日当ブログを読んでいる方なら「これら変化」を分かってくれているとは思いますが、毎日ブログを見ている方ばかりでもないですし、今日私のことを知って興味を持ち始めている人もいるでしょう。

ですから、「過去にアップした動画と、今の私が考えていることと違うところがある」、しかし動画は公開されているので、「私が発信した情報」を得て、今の私の考えと、乖離した影響を「私自身の動画から」受けたり、又は私の言論の未熟さを感じる人もいるでしょう。

そのような活動を続けていく中で、「過去に蓄積した情報」と「現在の私が行き着いた考え」の乖離をどのように回避したらよいか?という問題をずっと考えています。

その方法の一つの例として、「プーチン賛美動画は消す」とブログで告知して非公開にしたのですが、不十分でしょう。

プーチン関係の動画3本を非公開にしました。

なぜなら、動画だけでなく、膨大にあるブログ記事(1000以上)が公開された状態になっていますし、それらを私が振り返って読んで、「非公開にする」などの判断することは、私一人の労力では無理ですので、ブログ記事で「今の私と乖離する言論」に関しては放置している状態です。

よって初期の段階で私が言っていたことで、最近になって変化した記事や言動はたくさん有りますので、それを認識せずに、コメントされても承認していません。よくあるのが

「さゆふらは放射能のことを言わない」
「アメリカ黒幕説」
「有名陰謀論者賛美」
「プーチン賛美」
「金融ユダヤ」
「不正選挙が悪の元凶」
「宗教・聖書・悪魔・霊・宇宙人」

これらについて私がどうゆう理解をしているか分かっていないでコメントをする人は私の記事を読んでいないと判断しています。

ですので、今回の動画はそれに付随してる動画でしたので、結果的には「どうぞ消してください」というスタンスです

私の動画や記事を消す為に、通報したり、著作権者に問い合わせたり、奔走している輩がいることは、噂で聞いていますが、「どうぞ。」と思っています。

つまり、この「過去に蓄積した情報」と「現在の私が行き着いた考え」の乖離をどのように回避したらよいか?という問題も、向こう側が勝手にジタバタすることにとって、結果的には、「こちらにとって都合が良いようにしてくれるのではないか」と期待していますw

動画も生もの、そして私さゆふらっとまうんど自身も生ものです。

なにが言いたいのかといいますと、「形あるものは、いずれ朽ちる」
私の人生も自然界の時の流れからしたら一瞬です。

私が製作した媒体を消されても私は痛くもかゆくもありません。

私の動画、ブログ記事が全部消えたとしても私は何にも思わないでしょう。

私の手から離れたものは、私だけのものではありませんし、もうすでに皆さんの中にあるのです。

「私は命ある限り、生き続ける。」 それがすべてです。

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動画「【久米島沖きのこ雲】アメリカが「爆弾を投下」した理由」が削除されました。~「過去に蓄積した情報」と「現在の私が行き着いた考え」の乖離をどのように回避したらよいか?という問題。」への5件のフィードバック

  1. バール

    「私の手から離れたものは、私だけのものではありませんし、もうすでに皆さんの中にあるのです」

    この考え方は素晴らしいですね、無執着の境地は尊いものです。

  2. dokuraku

    違和、興味、好奇、詮索、探究、考察、分析、
    自己選択、判断、
    そして公言(正直)
    さゆふらさんは、至極真っ当なのだと感じます。
    以前の私なら、(正直)のところに、(勇気)と入れたでしょう。
    今はできうる限り、自分が纏う虚飾を脱ぎ捨てることに没頭しています。
    命とはとてもシンプルなもの、裸の心、裸の己なるもののようです。
    私はさゆふらさんより年が上です。
    負けるか、と思う今日この頃です。
    さて、私にできることを、することに致しましょう。

  3. 五輪の書

    更新お疲れ様です。
    人間、日々アップロードするのは当たり前です。自分が成長しようという努力の表れであり、ここを見ていて考えられる頭を持っている人間であれば根幹がぶれていないのは一目瞭然分かるはず。自分の頭で考えずいちいち人の言説に振り回される様であるなら今までと何ら変わらないです。

    応援しますね。

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