私は「不正選挙」について、選挙システム自体が「不正」であるのに、不正選挙を無くせば、健全な選挙が行わて、政治に民意が取り戻せる。とするのは、選挙システムの肯定であり、選挙システムで我々を掌握してきた支配者層の罠であると言ってきました。
つまり、「選挙システム肯定のため」、「選挙システム自体の矛盾を気付かせないため」に、「不正選挙」という概念を作り上げ、「不正選挙さえなくなれば、健全な選挙になる」という、絶対に有り得ない「健全な選挙」を目指させられているのです。
それと同じ構図が「辺野古移設騒動」にも行われていることに気付きました。
そもそも、辺野古に移設しようが、容認撤回しようが米軍基地は沖縄に存在し続けるのです。
我々は本来、移設反対ではなく、米軍のみならず、軍事基地自体を地球上から無くすべきなのです。
移設を焦点にしている時点で、根本的な問題として議論されるべき、「地球上から基地自体を無くせないか?」という議論、が雲隠れしているのです。つまり、議論が後退しているわけです。
そうすると必ず「中国が攻めてくる」という人がいますが、彼らが皆そのような軍事的な強硬手段を取ってくる人達ばかりではありませんし、そもそも戦争と言うのは、NWOの為に計画されて、しっかりと密約を交わして行われるわけで、「殺されるから、戦うしかない」と言う状態ではありません。一か八か、捨て身で戦う状態で紛争状態になるわけではないのです。そうしたら共倒れし、お互いに取り返しのつかないダメージを得てしまいかねません。
しかし、「やらなければ、やられる。」という思考状態に固執させることは、戦争で利益を得る為に誘導したい支配者側のプロパガンダであり、そいつらがそのような状況や思考状況を作り上げているのです。
よって戦争を回避する為に必要なのは「軍備の強化」ではなく、NWOへ邁進する黒幕へのアプローチなのです。しかも現代、強制されている資本システムは、軍事行動だけが生業ではありませんし、もっと建設的な対話を我々大衆間でする必要があります。
つまり、その建設的な対話を両国間のTOP同士、またはTOPを傀儡に挿げ替えるなどして、戦後の状態まで見据えた上で、目的を持って行ったのが過去に起きた事象の数々なわけです。
そして下記記事にあるように
この沖縄切り捨て、対米従属の日米軍事同盟の“陰の主役”が、天皇裕仁にほかなりません。
つまり、沖縄に基地を置いたのは天皇です。
下記記事では、「天皇制の維持の為に」という、一般的なアメリカ従属日本の思考がベースになっていますが、私は戦前からアメリカの背後に天皇がいると思っていますので、アメリカの為の米軍基地ではなく、天皇の為の沖縄米軍基地であると思っています。
よって天皇派の安倍政権と翁長雄志が仲間であり、グルである証拠は、下記記事のように私が数多く露呈させましたので、辺野古移設騒動で天皇派の仲間同士がプロレスごっこをすることは、天皇にとっての利益があることは明白なわけです。
そしてついでに言えば、偽移設反対者の翁長と接点があった渡米での米・為政者も天皇派と見て取れるわけです
よって彼らジャパンハンドラーと呼ばれている人達のことを攻撃している有名陰謀論者の人達の背後にも天皇・ロスチャイルドがいますので、有名陰謀論者の人達のアメリカ批判も、ジャパンハンドラーが彼らの都合で日本に敷設しているとする政策も、仲間同志のプロレスであると見れるわけです。
天皇は用意周到に、左右どちらの勢力も作り上げて、目的を達成しようとしているのです。
・TPP締結は、天皇がアメリカを牛耳っている証拠になります。
・常識・金・法・戦争・宗教・選挙などはすべて「地球を未来永劫統治するシステム」の為の「支配者層」にとっての道具にすぎません
・<安全保障関連法案可決>お仲間同士が、白組と赤組に分かれてプロレスしているだけです。
こうゆう関係を見ていくと、益々何の後ろ建てもなく活動している捨て身の私は、つくづくただの「馬鹿者」なのだと思います。
まとめますと、辺野古移設の役割の一つは「不正選挙」と同じ役割で、それは「移設」に着眼させておいて、基地自体を無くすという議論を闇雲にさせる効果があるわけです。もちろんそれ他にも有名陰謀論者を使ってアメリカ悪、ロック悪を日本に敷設して、本当の黒幕の隠れ蓑にさせる目的があることは、いままでも散々いってきた通りです。
下に添付した「アリの一言」さんの記事には、一切これらのことが書いてあるわけでもなく、前述した私の「アメリカの背後に天皇論」と乖離している部分もありますが、記事を読んでいて「ハッ」と、気付いたわけです。
というわけで、真夏のさゆふらっとまうんどでした。
(以下、普天間 関連記事)
・【米軍普天間基地・辺野古移設問題】翁長・菅会談 ~翁長沖縄県知事は反対派勢力のガス抜き役であり、政府傀儡である
・政府の沖縄対応、与党内から慎重さ求める声 〜お仲間だとバレてしまった0405菅・翁長会談を受け
・移設賛成派・翁長「これからしっかり話し合いができるようにするために、まずは普段のような会話をしながら一回はやりましょうよ」翁長知事あす菅長官と2回目の会談
・【バカンス】移設賛成派の傀儡翁長が、予定通り平行線で終わる「移設反対パフォーマンス」は5月27日から6月5日まで続きます
・【予定通り平行線】賛成派翁長沖縄知事、訪米バカンスを終え笑顔で帰国。辺野古反対「伝わった」
(以下、天皇 関連記事)
・常識・金・法・戦争・宗教・選挙などはすべて「地球を未来永劫統治するシステム」の為の「支配者層」にとっての道具にすぎません
・TPA法案、米上院で審議打ち切りを可決 7月中に閣僚会合 ~米を牛耳っているのが、ロック教皇派ではなく、ロス天なら話しは別です。
・「今井雅之・特攻隊放送タブー」と「NHKが報じない」というトラップは、NWOの為の天皇の人間宣言に繋がっている。
・『TBS 日曜劇場 天皇の料理番』を放送した目的
・天皇を知るための資料1
・TPP日米閣僚協議再開の「甘利TPP担当相」「フロマン米通商代表」は天皇の傀儡である。
・「天皇・ロスチャイルド・ロックフェラーについて、今考えること」2015年4月19日 さゆふらっとまうんど
・天皇皇后両陛下 パラオ訪問
・<皇室>2015 年1月21日に続き、天皇陛下が風邪の症状 宮中祭祀取りやめ
きょう「4・28」は、サンフランシスコ「講和」条約と日米安保条約発効の日(1952年)です。
安倍政権はこの日を「主権回復の日」と称し、2年前、天皇・皇后出席の下で「記念式典」を強行しました(写真中)。
しかし沖縄にとってこの日は「屈辱の日」。今日も、午前中の辺野古での集会(写真左)に続き、各地で抗議集会が計画されています。
そんな「4・28」に、安倍首相とオバマ米大統領の「首脳会談」がおこなわれ、日米軍事同盟のいっそうの拡大・強化が確認されるのは、偶然とは思えないほど象徴的なことです。
ところで、「4・28」の翌日、あす「4・29」は何の日でしょう?カレンダーでは「昭和の日」ですが、なぜこの日が「昭和の日」なのか。それが昭和天皇(天皇裕仁)の誕生日だったからだからだと知る人は多くないかもしれません。
「4・28」(「講和」条約・日米安保)と「4・29」(昭和天皇)。実はこの2つには深い関係があります。とりわけ沖縄にとって重大な意味があることを見逃すことはできません。
サンフランシスコ「講和」条約は、第3条で「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」を「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置く」として、沖縄を切り捨て、アメリカの統治下に置きました。それが沖縄の苦難の根源であり、条約発効のこの日は沖縄にとってはまさに「屈辱の日」なのです。
同時に日米安保条約によって、対米従属の軍事同盟体制が確立しました。本土もけっして「主権を回復」したわけではありません。沖縄はその中でもさらに差別され、もっとも軍事同盟の危険にさらされることになりました。
この沖縄切り捨て、対米従属の日米軍事同盟の“陰の主役”が、天皇裕仁にほかなりません。
それを示す1つの証拠は、「天皇メッセージ」(1947年9月20日)です。天皇裕仁は宮内庁御用掛の寺崎英成を通じ、GHQの政治顧問シーボルトに、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」と伝えたのです。「天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立」つ、と。
「天皇メッセージ」は進藤栄一氏(筑波大名誉教授)によって存在が初めて明らかになりました(「世界」1979年4月号)。進藤氏は28日付の琉球新報で、あらためてこう指摘しています。
「天皇は・・・基本的に戦前体制を維持しながら米国にすり寄って日米同盟の中で新日本を築き上げようとした。日米同盟基軸路線だ。天皇メッセージは、そのための道具として沖縄を差し出しますよ、と提案したもので、天皇制を守るために沖縄を『捨て石』にする考え方だ」
「(天皇メッセージの狙いは天皇制の存続か、との質問に)もっと直接的だ。戦争責任から逃れることだ」
天皇裕仁のこの狙いが表面化したのは、天皇メッセージだけではありません。天皇メッセージの4カ月前、マッカーサーとの第4回会談(1947年5月6日)で、天皇裕仁はこう述べました。
「日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待して居ります」(『日本占領(3)』)。
この考えに基づき、天皇裕仁は当時の吉田茂内閣の公式な外交とは別に、天皇による「二重外交」を執拗に繰り広げ(もちろん「象徴天皇」を逸脱した明白な憲法違反)、ついに対米従属の「講和」条約と日米安保条約の締結を実現したのです(豊下楢彦氏『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』参照)。
天皇裕仁の狙いは敗戦直後のマッカーサーとの第1回会談(1945年9月27日、写真右)から一貫していました。天皇とマッカーサーの会談の意味を豊下楢彦氏はこう指摘します。
「占領の円滑な遂行のための『政治的道具』としての天皇の『権威』を利用しようとするマッカーサーの意図と、戦争責任を回避して天皇制の存続をはかるためにマッカーサーの『権力』への全面協力に活路を求めようとする天皇の意図との“相互確認”がおこなわれた」(前書)
天皇裕仁こそ、沖縄切り捨て、従属的日米軍事同盟体制確立の張本人だったのです。
2年前の「主権回復の日式典」で、安倍首相が、天皇裕仁が1946年に詠んだ歌をあえて紹介し、「多くの国民と心は同じだった」と賛美し、「天皇陛下万歳」で締めくくったのは、けっして偶然ではありません。
「4・28」といえば「沖縄屈辱の日」。そして、「対米従属の日米軍事同盟体制確立の日」。そのいずれも、戦争責任を回避して天皇制維持を図った天皇裕仁の意図が貫かれていたことを忘れてはなりません。
ところで、偶然といえば、「4・28」と「4・29」が1日違いなのは、はたして偶然でしょうか。日本国憲法の公布(1946年11月3日)を明治天皇の誕生日(明治節)と同じ日にしたことを思えば、偶然とは言えないような気がします。
さらに、今日「4・28」に「春の褒章」が発表されたのは、偶然でしょうか。「褒章」は明治天皇の詔勅(1875年)に端を発する勲章制度の一環。天皇制維持の手段にほかならないのです。
これに限らず、彼等が作った受け皿に民衆の耳目を惹き付け、
第三の選択肢(根本的解決案・最善策)の提示をせず、
ひた隠しにしたうえで、巧みに大衆誘導をして、
「二者択一」で決めさせるのが、支配者の常套手段。
思考停止の人々は、物事を「自らの意思」で選んだと錯覚し、
そして満足感を得ると、誰が自分たちの飼い主か。。。
などと云う事柄には、全く関心を示さなくなる。
こうして、何世紀もの間、これらのシステムは絶大な効力を
発揮し、特権階級の人間は、安穏と生き延びてこられた訳である。
たが、それも、今世紀で終焉を迎えることが、確実と思える
変化が世界中で、勃発している。
今頃、支配者たちは、いつ自分の命が尽きるやも知れぬ
不安と恐怖に苛まれ、眠れぬ日々を送っていることだろう...