同性同士の結婚を認めないのは人権侵害だとして人権救済申し立て
同性同士の結婚を認めないのは人権侵害だとして、全国の同性愛者ら455人が、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。
牧村朝子さん(28)は「フランス人女性とフランスの法律をもって、結婚しております。フランス側の家族をあとにして、わたしは1人で、日本に帰ることになりました。こんな理不尽なことが正当化される世の中であってほしくないと、わたしは思います」と話した。
日弁連に人権救済を申し立てたのは、全国の10代から60代の同性愛者ら455人で、同性同士の結婚が認められないのは、憲法の「法の下の平等」に反しているとして、政府や国会に勧告するよう求めている。
申立人の1人で、タレント・牧村朝子さんは、同性婚が認められているフランスで、フランス人女性と結婚したが、日本では、同性婚の婚姻届が受理されず、パートナーがビザを取得できないため、日本で一緒に暮らせないとしている。
牧村朝子さんは「わたしのことを家族のもとに、『ようこそ』と言って迎えてくれたのが、わたしの妻の両親でした」と話した。
弁護団によると、同性婚が認められないことについての人権救済申し立ては、全国で初めてで、日弁連は、関係者などから聞き取りなどを進め、人権侵害があったと判断した場合、勧告を出す予定となっている。
「同性婚認めて」 日弁連に人権救済申し立て
同性同士の結婚が認められないのは、法の下の平等を保障した憲法に反する。同性婚を希望する人たち455人が日弁連に人権救済を申し立てた。同性婚の法制化を政府や国会に勧告するよう求めている。
女性のパートナーがいる文筆業・牧村朝子さん(28):「なぜ書類上の性別を理由に、家族が引き離されねばならないのでしょうか。こんな理不尽なとが正当化される世の中であってほしくないと私は思います」
申し立てでは、入院時の面会に制限があったり、パートナーに遺産を相続できなかったりするなどの不利益を受けていると訴えている。
女性のパートナーがいるケイさん(40代):「人生の半分以上、大切な人のことを親にも友達にも言えず生きてきました。せめて、これから恋をする子どもたちには恋愛対象が同性であっても隠すこともなく、異性のカップルと変わらず普通に祝福される人生を生きてもらいたいです」
この方達の性イデオロギーを押し通すことは、まさに貧窮化を推し進める権力者層と利害が一致しているわけです。(詳しくは下記記事参照)
米連邦最高裁、同性愛者の結婚認めないのは憲法違反 ~同性愛者の為の同姓婚の容認ではなく、NWO人民支配の為の「性イデオロギー」の敷設です。
「同性婚認めて」と455人が日弁連に人権救済申請 ~貧窮化を推し進めるためには、日本でも必要なカードの様です。
この方達が確信犯じゃないとすれば、こうゆう事象こそ権力者層にとっては最高の隠れ蓑の形であり、(もちろん手先のマスコミを使って報道させ注目させることで彼らの後ろ盾があるわけで、利害がはっきりしているわけですが)、この申し立てをした人達を、その背後関係と利害を認識せずに利用できる。まさに、わたしがよく言う「不可抗力でのイデオロギーの敷設」です
そして話は権力者層から変わりまして、、、
私がこの方達に気付いて欲しいことは、もし思惑が通ったとしても、なんら自由を謳歌し、今まで以上の幸せを得られる保証はありませんよ。ということです。
同性結婚という権利が行政手続き上認められたとしても、常識なんてものは時間は掛かるにしろ権力者層の都合で簡単に(我々に不都合な方向に)書き換えられますし、結婚というものに金銭的な優遇があったとしても他の財政・財務・経済・法改正などのコントロールで「金」なんてものは有っても無いようなものです。課税比率など法を改正されたら、意味がなく、財とは大衆にとって脆弱なものであり、いたちごっこなのです。「扶養控除の廃止」が検討されているのがいい例です
>これから恋をする子どもたちには恋愛対象が同性であっても隠すこともなく、異性のカップルと変わらず普通に祝福される人生を生きてもらいたい
とありますが、同性カップルを「素直に心から祝福する人」はいっぱいいますし、異性カップルでも「いがみ・妬み・嫉妬・偏見を受けたり、祝福されない人」もたくさんいます
つまり、「同性愛者だから・・・」と本人がただ勝手に萎縮して、不幸せな理由を「同性愛への偏見」という他者のせいにしているだけで、ただの「ないものねだりの子供と同じである」と言うことを気付いたほうが良いです 異性愛者にあこがれている状態です
同性愛者であってもそれを「堂々とする」ことも「萎縮する」ことも、本人が選んでとっている反応であるのはもちろんのことですが、なにより「祝福されるか、されないか」は「同性愛者・異性愛者」ということとは、全く関係が有りません。 本人の人として問題でしょう。
堂々と、同性愛を豪語し、幸せに生きている人がたくさんいるわけですから。
思考の抽象度が低いので、目先の権利を得られれば幸せになれると勘違いしてるんですね
(昔の友達で、「自分は車を持っていないからモテないんだ」と思い込んでいた奴を思い出します。見た目が、どうのこうの言う奴も同じことです)
それを得れば一時的に幸せになれるかもしれませんが、本当の幸せとは、そんな行政から与えられる権利や、物質的な物などの、「ちんけな物」ではありません。
「幸せじゃない何か」は、行政が権利を「与える・与えない」、「他者は持ってるが、自分は持ってない」などと、全く違うところに存在すると気付かなければ不満は、一生なくなることはありません。
つまり、不幸せであることは、「同性愛者である」こととは全く関係がないのです。
この人達は不幸せだからこのように訴えているわけですが、その「不幸せを脱したいから行動する」ことは良いのですが、それを実現するための「方法・矛先」が全く違うのです。
第一もっと広域に物を見れば、現代の金融資本社会は生まれた瞬間から自分の時間・生命・労働力は権力者層に握られているわけですから、同性結婚ができようができまいが奴隷に変わりはないのです。
思考の抽象度が低いと「このようなミスを犯す」いう視点から勉強するには、これは良い題材です。
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痛快。
全くもって仰る通り。
責任の所在が自分にあると腹を括れないと、
自分の○○は□□のせいだ、△△が無いせいだ!
と、他のせいにする。
そこから抜け出すことこそが、自由を手に入れることである、と理解して、ワタシは生きています。
>「同性愛者だから・・・」と本人がただ勝手に萎縮して、不幸せな理由を「同性愛への偏見」という他者のせいにしているだけで、ただの「ないものねだりの子供と同じである」と言うことを気付いたほうが良いです 異性愛者にあこがれている状態です。
同感です。全くだ。
別に行政に認めてもらわなくたっていいじゃないの。
二人でいられれば幸せ
そうならないのかな?
幸せになるためにはお上のお墨付きが要るのかな
目から鱗。
筋道立ってるので納得しました。
なんだか喉の骨が取れた感じ。
ウンそうだったのですね。
彼らの「被害者」のイスに座りたがる性癖。
どこか違和感有りました。
(泣くこたないのにね〜)
タレント?文筆家?
フランス人のパートナー…って実在するんでしょうか?
「お仕事」の臭いプンプンと感じるのは私だけ?
彼女らが非常に被害者意識が強いと感じるのはごもっともかもしれません。
同性同士でも、堂々と幸せに暮らしているカップルもいるというのも事実です。お上のお墨付きをもらえないと幸せになれないわけでもありません。
ただし、異性愛者(男女のカップル)は、婚姻という制度によって税制面や、親族であるといういわば「お上のお墨付き」をもらえるわけです。
でも同性カップルにはそれがない。
それは差別じゃないですか?と言っているだけでしょう。
法律で同性婚が認められるようになったとしても、当然個人個人の考えはそれぞれですから偏見は今まで通り残るでしょう。
それでも、婚姻に相当する何かが無いままだと、同性カップルは親族として扱われません。役所も保険も病院も、どれをとっても最後は「戸籍上の親族」を求めてきます。言い分を聞いてもらえるのも親族だけ、責任を持つのも親族です。
そういった、「伴侶であれば当たり前の権利と義務をください。」と言っているだけではないでしょうか。
KATSUさん
>最後は「戸籍上の親族」を求めてきます。
迅速性を求めるのならその常識を変えるほうがよいでしょう。
そもそも「結婚制度」、「社会通念」、両者とも支配者都合で作られたものです。
つまり結婚制度は正しい。という抽象度ではその枠内で何かが変化しても全体の幸福から見たら付け焼き刃です。
制度を作って、それに漏れる人がいるというのは当たり前のことです。
それが「ルールを作る」という行為だからです。
ですから、そのルール自体を疑わなくていけません、
さゆふらっとまうんどさんがおっしゃるとおり、支配者層が作る法律や常識等により、私達の幸福や自由、人生そのものの領域が狭められていると実感致します。
この「世の中」を「自分自身(あるいは自分の子、孫、子孫等)」と置き換えて見たとします。もし自分の調子が悪いと感じたけれども何が原因なのか分からない時、その原因を見つけてくれる名医がいます。それが「さゆふらっとまうんど」さんだと思います。しかし、医師の力だけでは治せない場合もあると思います。やはり患者である私たち一人一人が治そうと努力することも必要だと思います。
今、それぞれの方々が自分のできることを自ら考え、行動に移すことがどれだけできるかが大切なのだと痛感しております。
オリジンさん
ありがとうございます。
>医師の力だけでは治せない場合もあると思います。
やはり患者である私たち一人一人が治そうと努力することも必要だと思います。
患者の努力が全てです。
私は気づきを与えることしかできません。
知っているだけで行動しなくては何の意味もありません。