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公益をもたらす人材を育成する「平塚塾」を創設します。

平塚塾公益をもたらす人材を育成する「平塚塾」を創設します。

2014年1月からこれまで、三年間、私は社会活動家として、HP制作、動画制作、執筆、講演会、イベント、署名活動、チラシ配りなど、毎日欠かさず「専業の社会活動家」として業務を行ってきました。

そしてたった一人、個人で行っている私の社会活動は、活動初期から皆さんのおかげで生計を立てるまでに至り、プロの社会活動家として続けてくることができました。

大衆の公益だけを追い求め活動する私の社会活動は、「大衆の支援に支えられて、成り立っている。」という、とても良い循環が生み出す事ができています。

そのような皆さんのご厚意で培うことができた、私の社会活動家としての経験や学んだことは、後世の為、そして同じ志を持つ者へ伝えていかなければいけません。

それも支援と同時にみなさんが与えてくれた使命であると思っています。

ですから、私は2017年度より人材の育成をいたします。

現代の「義務教育」は、大衆の知的能力向上の為に行われているわけではありません。

義務教育で学べることは、

・無意味な時間を過ごすことに慣れること
・システマチックに行動ができるようになること
・思考せずに誰かが決めた正解を覚えること
・与えられた選択肢の中から選ぶこと
・じっとしていること(考える時は卓上など)

つまり「一人の人間の計り知れない潜在能力、多様な可能性に蓋をしてしまうこと」です。

それらは雇用主からすれば、奴隷にとって必要な資質なのです。

ですから私は現代の義務教育を「奴隷教育」と呼んでいます。

つまり大衆統治システムを構築することがお仕事である「支配者層にとって」、教育を義務化する必要があったのです。

大衆統治社会システムに大衆を従わせる為には、その社会ルールを認識させなければいけません。

ですからそのルールを理解し、従う能力を養う為に義務教育が存在しているのです。

それを教育を受けられない発展途上国の人たちの異文化を引き合いに「学校に行けないのは、かわいそう」などと思わされ、我々は恵まれてると刷り込み、義務教育を正当化しているのです。

私は幼少期からそのような、人を良からぬ方向へコントロールしようとする教育システムと社会風潮には嫌悪感を抱いてきました。(例えば、授業が早く終わって欲しいと願う本当の理由はそれです。)

ですから私の発する言動には、それらの奴隷教育足る要素はありません。

私はそれら社会に当たり前にある風潮や常識を排除して人を見ています。そのせいか、他者に対して本人が気づいていない長所が見えることが多々あります。

つまり、奴隷教育下で必要とされず見えてこない才能と価値が、それらを排除して他者を見るならば、隠れた才能、価値として見えてくるのです。しかしそれはいわば当然なのです。

なぜなら「誰にとっての優等生か?」という評価基準は、現代社会教育では支配者層にとって優秀な人材(奴隷)が優等生であり、その観点で義務教育の価値基準を排除すれば、支配者層にとって価値がない能力が、立派な能力として我々に見えてくるのは当たり前です。

前者は奴隷教育上の優等生で、後者はその逆になるわけですから、無から有を想像して作り上げていく資質があるということです。

そしてなにより「皆が等しく、限りなく豊かな才能を持っている」ことが人の普遍性だからです。

その皆が漏れなく、ものすごい才能を持っているという事実から、私は皆さん一人一人を感化させ、公益をもたらす行動を取っていただきたいと思い、「社会問題について言及する」という方法をとってきました。

それらの私の言論を受けて各々が何ができるかを考え、行動して欲しいと持っていたわけですが、今回、私の思いをさらに「塾」という学びと向上を目的とした過程を取り入れることによって、個々人の才能をより特化させ、公益をもたらす方向へと定めるお手伝いをしたい。

それが平塚塾を創設する動機です。

平塚塾が、社会に対して、未来に対して、より強い公益へと結びつけることになると確信しています。


<平塚塾は、公益をもたらす人材を育成することをその目的とします。>

公益とは、「人類全体の幸福に寄与するということ」です。

少し具体的に言えば、

・社会を良い環境に変えるということ
・後世、そして未来に、生物としての普遍性である「心」を伝えていくということです。

公益があるかどうかの判断基準は、大衆統治の目的で敷設された「社会常識、社会通念、法律、資本・金」などの概念のさらに上にあるものです。

そして人間が脈々と受け継いできた、一生物として育んできた「心」が根底になければ「公益」とは何であるか自体がわからないでしょう。

例えば私がマイナンバーを公開した時に、「バカだ」と言った人は、その言葉の意味に、「マイナンバー制度が始まるのだからその社会の流れに対して金になる方法を考える方が利口だ」という意味が隠されていのでしょう。

しかし「金よりも、良い社会を構築する」ということに価値を置く視点で見るならば、その行動は、営利をもたらすこと以上の価値、つまり公益があるのです。

つまり、「何が公益になるのか」という判断は、知性が必要であることは言うまでもありませんが、それだけでは不十分です。

「何が公益になるのか」を見定める為には「心」が必要なのです。

「自分さえよければ良い」、「他人は他人」、という個人主義的思考の持ち主には、公益をもたらすことはできないのです。

つまり、個人主義的思考の人間を増やせば公益をもたらさない社会設計が加速します。

ですから現代社会ではそのような人が得をするような社会設計になっているのです。

人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう人がいたら、その人は公益をもたらす資質があります。

それは知性を持っている以上に尊い才能なのです。

なぜなら知性は努力で伸ばすことがきますが、その心を生み出すことは、それ以上に難しいからです。

それら人に当たり前にある「心」から成り立っていた社会が今、歪められ、奪われているにもかかわらず、それらを指摘し、社会を健全化させる為の行動をとる者が全くいない。

それどころかその変化に気づかない人が大多数というのが現実です。

奴隷教育を施し、思考しない癖を付け、同時に全く無意味なことに誘導することで、社会の変化に気づかれないように社会が一体となって動いているのです。

それらに気づいていても、私の言論を見聞きして何かしなければいけないと思っていても、さらにそこから先に進むためにはどうしたらいいのかわからない人がとても多いのです。

そこで、公益という視点を共有し、建設的に時間と労力を使う為には、あなたが何ができるのか個別に話し合いながら、公益をもたらして人生を歩んでいくお手伝いをする。

それが私が塾で行う骨子になります。


<平塚塾には「型」というもはありません>

一対一の話し合いの中から目標や今行動すべきことを見つけ出し、そこに向かってサポートをしていきたいと思っています。

公益をもたらす為に各々でやること、やれることはそれぞれ違って良いのです。

ですから私はそれぞれの人が抱く目的に対して、それを加速できるようなアプローチを取っていき、その方向性を公益ある方向へと定める提案を致します。

こちらが作ったカリキュラムに合わせて一律に何かを教えるという、現代教育のような型に当てはめる方法はいたしません。

ですから、平塚塾には劣等生は存在しません。

やりたいことをやるお手伝いをするスタンスであり、それを公益ある方に導いていけたらと思っています。つまり塾生の意思を一番に尊重して行動していきます。

仮に、「社会問題に言及するブログを書きたい」、「動画を作りたい」という意思があればそれをやるサポートはいたしますが、私がやっていることと同じことをすることだけが、公益ある活動ではありません。

各々の得意なことがあるはずです。

それを公益に結びつけた方が良いでしょう。

皆さんが今まで培ってきたことがあるはずです。

既にやれること、自分自身がやりたいことの中から、公益となる方向性を見つけ出し、形にしていくお手伝いができたらと思っています。

自身のやりたいこと、すでに培ってきたことを公益に結びつけることができるのです。それが一番効率的且つ、本人がやりがいを感じられるでしょう。

得意なことをして、公益を生み出して欲しいのです。

その既にできること、得意なことからどう公益に結びつけていくのかというお手伝い、提案、方向性を定めることを話し合いの中から定め、行動を明白化させていきます。

もちろん初めてやること、新たな挑戦をしたい、というのも立派な行動です。

挑戦を繰り返していくことで、成長した自分が、より意義な挑戦をすることへと行動がブラッシュアップされていくのです。

それら行動の過程でより大きなことができるように成長するお手伝いをできたらと思っています。


<平塚塾は、「専業や、プロの社会活動家を目指す人」だけが入塾するわけありません>

誤解を恐れず言えば、公益をもたらす為の社会活動とは本来、皆が行うべき生活要素です。

専業・プロの社会活動家を目指す人が入塾しても良いでしょう。

しかし「専業の社会活動家になって食べる。」ということだけが公益を生み出す方法ではありません。

「社会活動家的要素を生活の中に組み込んで生きる。」というライフスタイルを皆さんの人生の中に組み込んでもらいたいのです。

人は成長し、大人になれば、子供、そして未来の為に、より良い社会形成を建設するためのアプローチを社会全体に対して取ることに時間と労力を使うべきでしょう。

それが大人になった人間の姿です。

ただお金を稼いで、衣食住を営む。またはそれを家族に与えることだけが成熟した人間の姿ではありません。

社会環境という全体に対して、そして未来に対して積極的にアプローチを取らなければいけないのです。

しかも現代の社会環境を見渡してみれば、おかしいことばかりで、変えなくて良いところが見当たらないぐらい大衆の幸福に反した社会構築がされているのです。

そこに大衆は切り込んで、社会を変えていかなければ、より良い社会生成をして生涯を終えるどころか、社会環境を悪化させて生涯を終えることになります。

それでは、我々は生まれてきた価値があるでしょうか?

我々は生まれてくるべきだったでしょうか?

我々は、生を受け、今、社会環境にアプローチを取れる時間と労力があるのに、その生涯を経て、もしも社会環境が悪化するならば「生まれて来た意味はない」どころか「生まれてこない方がよかった」ことになります。

我々は、そのくらい強い責任を持って社会に対して、訴えかけ、良い方向へと変化させなければいけません。

・社会を健全化させる。
・もっと良い社会に変える。

つまり「公益」をもたらすことは、我々大衆が洩れなく持つ、生まれてきた目的なのです。


<生まれてきた目的は人それぞれ別々ではありません>

全員が同じ目的を持って生まれてきたのだと私は断言します。

その皆が持つ同じ目的とは、自分が生まれてこなかった社会環境より、自分が生まれてきたから良い社会環境に変化したという「公益」をもたらすことです。

なぜなら、未来そして後世と我々は、一体だからです。

悪い社会を残すことは、自分の首を締めることです。

良い社会を残すことは、自分を幸福に導くことなのです。

なぜなら、未来、そして社会には未来永劫、我々と一体である「家族・子孫」が生活を営んでいるからです。


<あなたは今、命を失ってでも成し得たいことをしていますか?>

あなたが今していることは、自分自身の命と引き換えにしてもいいくらい大切なことでしょうか?

命より大切な仕事はあります。

それは、自分の生活を金銭的に支える仕事であろうが、なかろうが、命より大切であると断言できる行いを生活を営む上でするべきです。

その仕事とは、公益を未来に、後世に残す行動です。

その仕事が、あなたにあります。

それを達成する方法、行動を共に考え、共に成長し、実際に社会に公益をもたらす為のお手伝いがしたい。

それが、「平塚塾」を開校する動機です。

以下の記事も合わせてお読み下さい。

平塚塾 入塾希望者へ 〜公益について


・平塚塾への応募は画像をクリック ↓

平塚塾


立ち止まっている人がいかに稚拙であるかを動物が教えてくれている。

動画からDLするのと、リンクから動画をDLすることの違い。

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夜分に失礼します

今小保方さんの動画をDLしているのですがYouTube瞬速DLのサイトを使ってDLした方が早いので不正選挙動画のように動画URLを用意していただけますでしょうか?

【動画DL】小保方晴子著「あの日」を読んで vol.1 vol.2


さきほど上記のメールが来ました。

動画から「YouTube瞬速DL」など一般的に出回っているDLサイトを使ってDLするのは、早いのですが、画質が720pに落ちてしまいます。(TOP画像の右側参照)

私は1080pで動画を作っているのですが、リンクにアップロードしている動画は.1080pでアップしていて、且つこれでもエンコードしてデータを軽くしています。

確かに後者のほうがDLに時間がかかりますが、せっかくアップロードするのなら高画質でUPして欲しかったので、そうしました。

そのようなの事情があります。

しかし、すでにアップされている動画からDLサイトを使って720pでDLして、アップしてもそれは意味がありますし、良いでしょう。ないよりはあったほうがいいですし、720pでも綺麗と言えば綺麗です。

データを軽くすればフットワークは早くなりますが、画質が荒いのです。

PCモニターで大画面表示すれば違いがわかりますが、スマホで違いが判るかはわかりません。

しかし私の動画は資料や記事など細かい文字が書かれているデータを添付しています、それらの文字が潰れないようにしたい意図があります。

また、一応、動画は残るものとして捉え、時間が経つと720pの画質は古く見える可能性がありますので、できるだけ私が公開するデータは1080pという高画質でアップしたいという事情があるのです。(それでもエンコードしてるので当初より画質は落ちています)

30分の動画、800MBでDLに40~50分くらいかかりますが、トップバッターはこの点ご留意いただけたらと思います。

何か不具合がありましたら、また対処法を考えてきたいと思います。

お手数ですがよろしく御願いいたします。

また今後、新動画などを公開する場合にはアクセスが集中しますから、動画とアップローダーの二種類を時間差を設けて公開しようかと思っています。

時間限定で動画公開 → 皆さんでDL → アップ → 後日、動画リンクを公開という流れです。(模索中)

なお、DLしたデータは削除せず大切に残していただけたら幸いです。

そのアカウントが消される可能性もあるからです。


【訂正】今後さゆふらっとまうんど動画は、youtubeに時間限定で公開し、後日ダウンロード形式で公開します。

ご支援のお願い

ボランティアスタッフを募集いたします。

さゆふらっとまうんどの活動を「応援したい!力になりたい!なにかしたい!」という人はメールをください。

メールタイトルは、「ボランティアスタッフの応募」とご記入ください。

尚、お住まいの地域などは問いません。

本文がまともな内容であれば、100%返信いたします。

もし返信がない場合は、私の意思に反するシステム的なトラブルです。何かしらの方法でご連絡ください。

私は過去にたくさんの励ましの声、何か力になれることがないか、という声をいただいてきました。

しかし、今までの私は、自分自身のスキルアップ(執筆、動画制作、社会分析など)を一番の課題に掲げていたため、「力になりたい」という人に対して、何か頼んだり、提案したりということはしてきませんでした。

ですから好意ある励ましのメールにも返答しないこともありました。(タイミングによっては多すぎて返せないこともありました。)

しかしながら私が念頭に置いていたそれらはもう一定の水準を超えました。これからはその先へと進まなければいけません。

今後は、皆さんの力を集結して活動を進めていきたいと思っています。

私一人の力では、社会を変えることはできません。

皆さんの力なしには、絶対に社会を変えることはできません。

しかしながら、皆さんの力があれば社会を変えることができます。

そのアイデアと知性が我々にはあります。

私の活動の目的は、社会を良い方向に変えることであり、公益を残すこと、未来を今よりも良い世界に変えてこの世を去ることです。

実際に社会を変えることが活動の目的なのです。

結果を残せなければ意味がないのです。

その為には、大衆の一番の強みである大多数の我々が団結し、マスの力を生かすことが必要です。

だからこそ、大衆に団結させない社会設計が行われていることを、私は動画・記事でこれまで解説してきました。

昨今の政府の動きで「テロ等準備罪」と名前を変えてでも制定したい「共謀罪」がありますが、これは、大衆統治システムを強固することに反発する、大衆から発生した勢力に対して、その動きを頓挫させることを目的とした法律に他なりません。

法案とは段階があり、最終形態を見据え、最初は限定的だと謳って立法されます。~菅義偉官房長官「従来の共謀罪とは違う」テロ等準備罪の新設法案

「テロに備えて準備をしなければいけないと言っている者」も、「テロを作り出している者」も、ボス(指揮系統)は同じなのです。

目的は、大衆統治する為の社会システム設計への肯定材料にする為です。

その為に支配者層は、敵(テロリスト)を作り出しているのです。

その敵を排除する為の行動を装い(テロ防止など)、行う変革(法律など)は、大衆を統治する為のシステム構築に他ならないのです。

支配者層にとってのテロリストとは、「大衆を無差別に殺す者」ではありません。「大衆統治システムを強固にする動きを頓挫する方向に導く者」です。

つまり、テロリストという概念を作り出し、そのレッテル貼りをする者達こそが本当のテロリストであり、それらがこの地球を支配している者であるのが現実なのです。

ですから我々大衆を取り締るのが、「共謀罪」の目的なのです。

つまり我々が益々、支配者層の社会設計に対して従う選択肢しかない、何も行動が出来なくなる社会が構築されているのです。

今、さゆふらっとまうんどが台頭してきたのは、大衆最後のチャンスかもしれません。

これは何ら言い過ぎではありません。

これまで活動をしきて、片時もその悪夢を払しょくする場面を感じたことはありません。

これが最後のチャンスだと思って戦わなければ、子を奪われ、それどころか家族も持てず、子も作れず、生物として普遍性に沿った生活すら営めずに、疾患を生み出され、奴隷と気づいていない奴隷として、支配者層に設定された枠内で生きることしかできなくなるでしょう。

これは、「近未来にそうなるだろう。」などという予測ではありません。

今現在の現代社会の姿を言っているに過ぎません。それがどんどん広がり、より悪化していくのです。

皆さんご存知のように、それらを説明、解説していた私がアップロードしていた動画は、すべて消されました。

テレビの見過ぎで、なんでも傍観する癖が付き、自分が参加して、力を発揮し、社会を作り上げていくという概念自体がない人で大衆が形成されつつあります。

しかし、私の言論に何かを見出した皆さんこそ、その閉ざされた潜在能力を開花させるにふさわしい人であると私は確信しています。

今こそ、皆さんの中にある、限りない力を出してください。

あれもできないこれもできないと諦める癖、立ち止まる癖はもうやめてください。

それこそが自虐的な行為です。

なぜなら未来、環境、後世と我々は一体なのです。

あなたの行動は未来永劫残るのです。

「何もしない」という行動も未来永劫残るのです。

それが「今」の社会と環境と人を作り出していくからです。

皆さんが「何かしたい」と心の中でただ思っていても、なんの意味もありません。

しかしもし、その意思を私が知れば、私はあなたの行動を公益ある動きへと結びつけることができるかもしれません。

それが人との繋がりであり、団結することです。

その1+1が、10にも100にもなり、爆発的な力を産みます。

我々は、決して誰かに祈ってはいけません。

自分自身の行動で現実を変えていくのです。

sayuflatmound@gmail.com

2017/01/24 さゆふらっとまうんど


<関連記事>

世界の 「さゆふらっとまうんど」 応援者様、同志様へ

「さゆふらっとまうんど動画をDVDにして販売しないのですか?」「何か手伝えないですか?」とのメール

立ち止まっている人がいかに稚拙であるかを動物が教えてくれている。

ws000442

https://twitter.com/metyakawadoubut/status/796678875715698692

https://twitter.com/oOkirakiraoO/status/796690592277237760

私は上記の犬より稚拙な人間をよく見ます。

「目の前に柵がある。だからこれ以上先にいけない。」と思い込んでいる人間です。

その柵は他者に作られた物のみならず、自分自身で作っている人も良く見ます。

「動画にある柵(物理空間に存在)」は目に見ますが、人は「目に見えない柵(情報空間に存在)」を作ることでそれに準じる社会に生きています。

その「柵」とは、、「社会常識、社会通念、当たり前、(昔であれば)村の掟」などです。

そしてそれらは、物理的には実体のない「情報」です。

人は物理的にない「情報」に準じ、コントロールされる生き物なのです。

「社会常識、社会通念、当たり前、(昔であれば)村の掟」などは、情報によって形成されます。

「何が良いことで、何が悪いことなのか?」これは情報によって形成されるのです。
人にとっての善悪は、情報によって作られます。

善悪の区別とは、行動の基準であり、それは行動の制限を生み出すことでもあります。

つまり、大衆に対して一律に情報発信できる情報媒体(メディア)をコントロールすることができれば、大衆をコントロールすることができるということです。

人類が誕生し今まで人は様々な部族、町、村などのコニュニティーを形成してきました。

そしてその多様なコニュニティーには、それぞれに独自の文化があったのです。

ここ日本でもつい昭和初期までは、村の掟というものが残っている地域が多くありました。

その昔あった数十、多くても千人単位のコニュニティーは、長(村長レベル)が見え、常にマスである大衆の団結は常に長の脅威であることから、相互バランスが取れている時代があり、長く平和が保てていました。(そもそも長に統治欲と私欲がないケースもある)

そのような小さなコニュニティーが乱立して、年貢など、さらにそのお上(長の上、役人単位)に従わざるを得ない状況はあったものの、大まかな決まりで動いてた数百年前では地域どころかその中にある各村々で独自文化の色が濃く、お上がその先端まで細かな情報を伝達することや、ましてや常識を教え込むなど容易ではありませんでした。

何か従わせようとしてもその概念がないので理解できない。理解させようと教えようとしてもそもそも言葉(訛り・方言)が違い過ぎて意思の疎通はとれど、なぜそのお上の決まりに従わなければいけないかなどの理解ができなかったのです。ですから、「宗教をその地域で根付かせることで宣教師に常識の書き換えさせる」ことだったり、場合によっては「武力行使で丸罰を強制する」という強行手段が多くとられていました。

ですから、生物の普遍性に沿ったとてもシンプルな事で、確かな相互地益があるもの(殺人はいけないなど。)しか基本的には敷設できなかったはずです。これはたかだか数百年前のことです。

しかしそれらは、国家という概念が顕在化し治安維持と称した警察の創設で大衆弾圧を行われ(特別高等警察。現在の公安警察の前身)、大衆が厳しく取り締まられるようになった明治以降、それらと同時にメディア網が張り巡らされ、テレビの普及とともに、皆が一律にテレビから情報を得るようになりました。

そしてまた同時に情報を理解して従わせるために、義務教育などである程度情報を理解できる思考力を付けさせることが必要であり、それは大衆統治の為に必要であったということです。

メディアの繁栄と、大衆が最低限の理解力を備えることで、そのメディア方針が大衆の善悪の認識と同一と化した現代。

そのメディア方針の長が誰だからわからない存在(支配者層)になっています。その誰だかわからない長の方針に沿った情報だけが我々に送られ、取り締まられるということが起きているのです。

ポメラニアンの柵は、飼い主が取り付けたのでしょう。

しかし我々に付けられている柵は、自らが付けたことを装われ(民主制)、実際は誰に取り付けられたのかわからない状態になっているのです。

陰謀論者や多くの紐付き活動家、宗教家、オカルト研究家などは、様々な概念を作り上げることで、その柵を取り付けている支配者の隠れ蓑(アメリカ、ロックフェラー、ユダヤ、神、悪魔、宇宙人)を敷設することに貢献しています。つまり、長(支配者層)を雲隠れさせる為の言論を流布しているわけです。

先ほど言ったように、メディア方針が我々に届けてくる情報は大衆に善悪を教えているのです。

これが特定の利害を持った誰かに恣意的にその方向性が決められたら大変です。

しかしそれが実際に起きているのです。

私は、この点の危険性を「常識の書き換えが最高の大衆統治手法である。」と言ってきました。

今まで犯罪ではなかったことが犯罪とされる社会へと現在社会はどんどん設計されているのです。その方法は、ごく少数の人たちをマスコミがクローズアップし問題化する(または工作する)。それを為政者や行政が扱い、省庁方針、条例、立法へと作り上げることで、全体へと適応されるルールが敷設されています。

メディアが情報を流布し、大衆内に問題を押し付け、解決策まで提案し、常識(善悪)が作られ、省庁方針、条例、立法へと形作られていくのです。(不倫などいきなり「悪」と決めつけて報じるなど対象によって戦略は違います。)

これらも「柵」と呼べます。

その発端である常識(善悪)は、メディアを牛耳る支配者層によって作られています。

それらは大衆が幸福になる方向性とは全く違う目的をもって作られています。

しかし社会では、常識や社会変革は、大衆の良心で良い方向に向かっていると思わされているのです。大衆は社会が民主的であり、そして人の善意が社会の変革に反映されていると思い込んでいます。

実際には、それらの変化を見れば、我々の首を絞める変革ばかりなのですから、民意からの変革であるはずがありません。その偽られ、煙に巻かれている点を私は動画、記事で明らかにし、危険性を呼びかけています。

現代社会では、常識、社会通念、法や社会方針も含め、それらは「我々を統治するための社会システムをより強固にするため」に捻じ曲げられ、書き換えられているのです。

現代社会に生きる大衆の多くが、これらの柵が我々を管理するために存在していること、どころかその柵すら認識出来ずに、身動き取れない檻の中にいるのもかかわらず、「自由だ」と思い込んでいるのです。

これこそ、「奴隷と気づいていない奴隷社会」であり、または「大衆総洗脳社会」です。宗教団体だけが洗脳行為を行っているわけではありません。
社会が一体となって全体(大衆に)洗脳行為をしているのが現代社会なのです。

このポメラニアンは物理的な柵が目の前にあるわけですが、大衆にとって本来必要のない情報の柵を目の前に、変えようとも、乗り越えようともせず立ち止まったままです。

しかもその立ち止まっているときには、様々な娯楽が用意されています。大衆を無駄なことに誘導する為、あらゆるものが大衆娯楽として仕事化され、そちらに時間と労力を割けるように準備されているのです。(エンターテイメント、スポーツ洗脳など詳しくはこちら

不要な柵は排除しなくてはいけません。

ただ柵の前に呆然と立ち尽くし、立ち止まっていては、明日はもっと狭められているのです。
その柵が為政者によって広げられることは絶対にないのです。

ですから、我々が立ち止まっていては未来の我々の子供たちはもっと狭い織の中に入れられるのです。

このポメラニアンのように柵を超えてください。

立ち止まっている人がいかに稚拙であるかを、このポメラニアンは柵を楽々と乗り越えることで教えてくれているのです。我々の前には不要な策が多すぎます。

この柵を超えるということは、脱洗脳そのものです。

そして柵を超えるということは、生物としての普遍性に立ち返る作業です。

この柵の先にはなにがあるのか?

そこには何者かの息がかかっていない状態の本当の自分をがいます。

本当の自分と出会えれば、自分すべきことが見えてくるはずです。

命より大切な仕事が見えてくるはずです。

命より大切な仕事はあります。


<動物シリーズ>

動物が人の世界の構図を教えてくれている。

ジャポニカ学習帳から昆虫を殺した製薬会社 ~虫という、自然宇宙を子供達へ

ジャポニカ学習帳、人気投票したら昆虫写真が断トツの1位だった


⬇️ 画像をクリックで動画へ ⬇️

社会活動家として考えること1〜4選挙とは何か?選挙とは何を意味するのか2不正選挙2016全編1

ご支援のお願い

命より大切な仕事はあります。

ws000342ws000343母親「命より大切な仕事はない」 電通“過労死”(2016/11/09 18:42)

 自殺した電通社員の母親は「命より大切な仕事はない」と訴えました。

 大手広告会社「電通」の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)は去年、会社の寮で自殺し、100時間を超える残業をしていたなどとして、過労死と認定されました。母親の幸美さんは、都内で開かれた過労死防止を呼び掛けるシンポジウムで「命より大切な仕事はない」と訴えました。
 まつりさんの母・高橋幸美さん:「『人生も仕事もすべてがつらいです。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだから』とメールを残して亡くなりました。命より大切な仕事はありません。娘の死はパフォーマンスではありません」
 電通を巡っては、複数の社員に違法な長時間労働をさせていた疑いで厚生労働省が捜査しています。


<筆者>

命より大切な仕事はあります。

それは自分が生まれてきたことによってこの世に残した未来が、自分が生まれてこなかった未来より、良い社会に変えるという仕事です。

つまり、公益を社会に残すということです。

しかもこれは人間が漏れなく持っている生まれてきた目的であり、責務です。

我々が生まれきた目的は、公益を後世に残すことです。

それは人が生まれきた目的ですから、命と同等またはそれ以上に価値があることなのです。

私の言う「仕事」に命を懸けずして、なぜ人は生まれてきたと言えるのでしょうか?

人は、生まれてきた責任を全うしなければ生きている意味はありません。

生まれてきた目的を果たさずして生まれてきた意味はないのですから、命より大切な仕事はあるのです。

逆に、後世に地獄を受け渡す助けをして死んでいくのなら、「貴方は生まれてこなければよかった」ということになってしまいます。

自分可愛さに目先の楽に甘んじ、命を後世の幸福に受け渡せないのなら、存在は公害ですから「貴方は未来の為に生まれてこなかったほうがよかった」、「貴方が生まれてこなかったほうが未来はよいものになっていた」ということになります。

視点を変えれば、大衆・公益(マジョリティー)と支配者層・大衆統治(マイノリティー)とは、相反するものです。

つまり、支配者層方針に準じたり、それらの目指す大衆統治システム(NWO)を強固にするために動くということは、公害であり、後世という長い目で見れば自分の首を絞めることになります。(後述)

「命より大切な仕事はない」という言論は、個人を大切にするという言論から個人主義、自分さえ良ければよいという社会風潮へと誘導されています。

確かに、人の命は尊い。

しかし、それは命を正しい方向に擦り減らし、「公益に寄与しなくては、生まれてきた意味、生きている意味などないんだ」、という強さがあって初めてその尊さが生まれます。

命を尊いものにするのも、軽いものにするにも、すべて当人の行動次第です。

何もしない人または、公益とは逆の方向に動く人を、「貴方の命は尊い。生まれてきた意味があった。」ということはありません。

それらの人達に対して公益有る人間等も含めて一律に等しい価値であるはずがないのです。

人は等しくチャンスと教育を受ける権利、人権を持っていますが、本人の行動次第でその人の価値の重みが変わるのは事実としてみるべきです。

本人の行動次第では生きる価値がない人間になることができるのです。

生物の普遍性に沿った人の公益ある行動の一つは、子孫を残すということでしょう。

しかしながら、その生まれた社会環境が、人の善意に沿って形作られた社会設計でなければ、後世の行動が「公益にならないように誘導される」ということになってします。

そして実際、現代社会は公益にならないことが仕事の主流へと社会設計されている現実があります。

しかも、その子孫を残すという行動自体が人口削減政策でなくされようとしており、それは私が動画・記事で言っている通りです。

我々は、我々の為に生まれてきたのではありません。

後世の為に生まれてきたのです。

後世が、自分自身と同一と捉えられるなら、それは自分の為とも言えるでしょう。

命より大切な仕事はあるのです。

死をもってしてでも公益を生み出し、未来への責任を果たす。その自害、自殺を私は悪いことであるとは思っていません。

自分の命は自分の物であり、それをどうゆう形で終わらせるかも当人の自由であるべきだと私は思っています。死んだらそれで終わりです。目の前に自殺しようとしている人がいたら私は止めるでしょう。しかし、本人の意思を一番に尊重すべきだと思います。人はいつか死ぬのです。人は自由なくこの世に生まれてくるのですから、死ぬ自由があっていいのではないかと思っています。自分の意志で生まれてきたのではないのですから、自分の意志で終わりを選んでもいいのではないかということです。

そしてその「自分の意思をもって死ぬ」という概念を支配者層は恐れています。そのために「自殺自体をいけないこと」として常識の敷設をしようとしています。なぜならマイノリティーである自らの地位を揺るがしかねない概念だからです。死をもってマスが立ち向かってきたら大衆統治はできません。ですから「人の命は尊い」と自分に甘い大衆を量産したいのです。愚民化は大衆統治戦略なのです。

後世、未来より人の命は軽くなければいけない。

自分の命以上に後世、未来のことを大切にしなければいけません。

なぜなら、我々はその為に生まれてきた。
そして後世と同一である我々にとって、それが本当の延命だからです。

ですから、実は公害を生業としている人達こそ、目の前に札束を積まれても、地位を保証され裕福な暮らしをしていても、長い目で見れば自分を殺しているのです。

命より大切な仕事はあります。

<以下、記事の解説>

電通の仕事は、公益にはなりませんから、公益有る命より大切な仕事とは言えないでしょう。
電通(時事通信)は、民放マスコミの報道の指揮系統として機能しています。

さゆふらは、何でもかんでも「でっち上げ事件だ」と言う

ジェンダーレス男子がテレビに多く出演する理由もまた、人口削減計画です。 ~改ざん可能な視聴率で人気を操作することで、支配者層方針の情報を放送

電通社員の死の原因は複合的なもののはずです。その原因を一つに絞るということは、他の複合的原因の隠れ蓑にする行為です。

なぜ死んだのか?

このたった一つの問題を掘り下げれば、電通の闇だけでなく、社会毒や愚民化政策などから世界構造までもが見えてくるのです。

それらまで掘り下げて考え行動することが、死者を重んじ、今を生きるものができるより意味のある行動です。

このお母さんは娘を無くした悲しみから「命より大切な仕事はない」と言っているのは明らかです。お気持ちはお察しいたします。

しかし、その発言が労働基準法をより企業にとって厳しいものに変えることで、内部留保を抱えている大企業しか営めない「企業のNWO化」の流れを推し進める方向への変化の契機に寄与してしまっていることもまた事実でしょう。

もし私が殺されたら、私の死を当たりにした母親は同じことを思うかもしれません。

しかし、それが「僕の生き方なんだよ。悲しまないで。ごめんね。」

としか言いようがありません。

「何をして生きていくか。」それは当人の意思であったはずなのです。

子を産んだ瞬間に、子の死を見る可能性もまた同時に生まれるのです。

そして同時にその本人が自らの意思をもって歩んでいくこともまた受け入れなければいけません。


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動物が人の世界の構図を教えてくれている。

猫が猫をコントロールしている。

上記の構図は正に人間社会そのものです。

人をコントロールしているのも、「人」です。

これに加筆するとすれば、人間社会では、超マイノリティーが世界全体を支配しているという広域の構図であることですが、同種が同種をコントロールしているという点で同じです。

その操っている側が、大衆が明白に認識するのならば、社会の不条理の矛先はすぐに支配者層側に向いてしまう。

だから、人が人をコントロールしているにもかかわらず、そのコントロールしているのは、宇宙人だとか、神だとか、アメリカ(国)だとか、ウォール街だとか、黒幕の手先に過ぎない安倍晋三だとか、ロックフェラーだとか、又はユダヤという概念を作り上げたりすることで、支配者層は自分らに行きあたらないように隠れ蓑を様々刺しているのです。そのような役割を様々な言論者に与えているというわけです。

世界中で戦争、虐殺を起こし数百年も前から大陸単位で人が人を支配してきた事実があります。

現代でも、それらから繋がる支配者層たる人たちがいることは事実なのです。それら人々が保身の為に自分らの地位や構造をかく乱させる世界構造を作り上げないはずがないのです。

それら支配者層が急に「民主主義を掲げ、大衆が社会を作っていく。これからは平和な社会が来る!未来は明るい!」と言い出したプロパガンダを素直に信じろと言われても未来に責任がある私には無理なことです。


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社会活動家として考えること1〜4選挙とは何か?選挙とは何を意味するのか2不正選挙2016全編1

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なぜ「さゆふらっとまうんど」は殺されないのか?

33なぜさゆふらっとまうんどは殺されないのか?

それは第一に私の力不足です。

そしてもう一点付け加えなくてはいけないのは、それは支配者層の戦略であると言うことです。

「奴隷と気付かない奴隷戦略」と、相まっています。

つまり、私のような「活動家を殺す」という戦前の戦略は方針が変更され、私のような活動家がネットなどで10万人の目に触れるようなメディア構築ができたとしても、その発信される情報に対して「誰もその重要性に気付かない大衆」を作り出すほうが、NWO完成の為には効率的であるというのが現在の支配者層の戦略なのです。

私が言っていることの重要度を理解できないマスを作る為に、小中高大学までの16年間の奴隷教育で常識を敷設され、各々の潜在能力と可能性に蓋をされます。そして仮にそれを途中で抜け出したとしても、または同時に、「テレビ」と言う、「支配者層傘下の、情報を受動的に受信する媒体」を通して「支配者層都合の常識・情報」が刷り込まれ、しかもそれらの洗脳を受けている環境(周りの人々)の影響を受け続けて、皆が毎日生活しているわけです。

その支配者都合の情報を大衆に対して、秘密裏に敷設した成果が「事の重要性を認識できない大衆を作り出す」ということに現れています。

これらは支配者層がNWO完成の為に敷設した環境なのです

天皇が人間宣言したのは70年前、そしてそれからたった8年目の1953年にテレビが開局され、テレビ=社会常識とされ機能しだしたのは偶然では有りません。戦前から練られていた戦略です。WS005587

 

↑ そして「現代の」一家団欒のイメージには、必ずテレビがあります。

その一家の集まる場所にテレビを進入させた「テレビ=ダイニングに有るもの」という功績を残したは、実は、「サザエさん」ではないかと私は思っています。
(作者の長谷川町子さんは国民栄誉賞が送られています。)maxresdefault

現代では「テレビ=社会常識」であることは皆さんご存知のとおりです。

「戦争」と言う概念はもう古いです。過去に戦争を起してきた支配者層は、現在戦争を起こす必要はありません。~安保法制反対デモの流れは支配者層の目論見に沿っています

常識・金・法・戦争・宗教・選挙などはすべて「地球を未来永劫統治するシステム」の為の「支配者層」にとっての道具にすぎません

<浮気編>常識の敷設は、いかに恐ろしいか? ~大阪府警・元巡査長 西川出身女性殺害事件

どんなに私が音声・画像・文体で危険を訴えても、それを認識できずに、自傷行為を進んでするように洗脳され、資本システムの枠の中で現世利益しか見出せない空気を敷設された現代環境では、わたしの活動はなんら支配者層に的確なダメージを与えることを残念ながら「現在」出来ていません。

私の現在の支配者層へのアプローチという点での成果は、その手先の警察・検察・司法・政治為政者・役人・マスコミ・特務機関・シナリオライターを困惑させている程度でしょう

よって残念ながら大衆の知性が欠如されている現状を、支配者層はしっかりと分析し、認知し、私の行動が支配者層の地位を揺るがす的確な行動まで至らないものであるレベルであると分析しているから、さゆふらっとまうんどを殺す必要は「現在」はないのです。

その大衆の洗脳度の「数と質」を的確に分析していることでしょう。
なぜならその情報は彼らが「NWOをどれほどオープンにして進めていけるか」のさじ加減に関わるからです。

そのような「大衆分析と大衆コントロール」が行われているからこそ、私が、どんなに的確なことを言っていても私を殺す必要は「現在は」ないわけです。

ですから、私の言論に対して深くその意義を理解できると実感している人はそれだけで「すごいこと」だと思います。その「すごいこと」という意味は、「社会の洗脳に対して、よくもまぁ今まで順応せずに、【疑問に思い続ける強さ】を持ち続けたな。」ということです。

そうゆう方は恐れず堂々とピクニックに参加していただき、ひざを突き合わせて話す機会を作ってみてはどうかと思います。むしろそのようなあなたと深く分かち合えるのは「さゆふらっとまうんどピクニック」に集まってくる変な人達しかいないのではないでしょうか。w

16才の少女が「さゆふらっとまうんどピクニック」に一人で参加した感想。

当たり前ですが、私もあなたも命は有限なのです。

知名度などの他力本願よりも、自分の感情・感覚を優先させる、自分を愛せる人がちゃんといることを私は知っています。

そして最後に、私のツイートをリツイートしたり、このHPへコメントを書いたり、ブログで社会批判をしたくらいで裏社会に抹殺されないか、びくびくしている人がいるようですが、上記の理由から大丈夫です。

そしてそう断言できるもう一つの指針として、あなたの前に私が殺されるように、私は皆さんの支援を受けながら毎日先頭を切って行動しているからです。

もし今後私が殺されるようなことがあったら、私のようなたった一人の若造でも支配者層にとって殺さなければいけないほどに、ダメージを与えられることができるのだと、私は自分に誇りを持ちますし、同時に支配者層の基盤は脆弱であること、そして各々一人一人の力は絶大であると、皆が自身の潜在能力への自信を確認し、未来へと希望を持って、私が存在しなくなった後世を進んで行っていける出来事になっていただけたらと思います。