作成者別アーカイブ: sayuflatmound

「22日、日曜日20時~生放送します。」~04月24日トークショー。前々夜祭放送。

2018年04月24日(火曜日)トークショー (↓クリックで詳細。)

の前々夜祭として、22日(日曜日)20時から、生放送をいたします。

30分ほどお話し。

15分ほど歌う予定です。たぶん。

youtubeLIVEで放送いたします。

以下のURLになります。

https://www.youtube.com/channel/UCbLAlPK5nmnAq8fwnHhMSIg/live

ご視聴の方よろしくお願いいたします。

また、

2018年04月24日(火曜日)トークショー in 東京

のご参加の方お待ちしています。↓(↓クリックで詳細。)


6/7土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか? 後編

<筆者・さゆ>

1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~差別は、悪いことではない

3土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~女性差別を問題化する目的とはなにか?

4土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~わいせつの概念拡大(支配設計の強化)に相撲は邪魔。

5土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?

本記事は、上記記事の続き

<その6>です。

ーーー

その5で、「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?の例を挙げてきましたが、「貧困だから教育を受けられない」という学校賛美のプロパガンダも同じことです。

学校に行くか、行かないかではなく。

どのような教育を受けるかが重要でしょう。

しかし、学校に行けないのは「かわいそう。子供に教育を!学校に行かせるべき。」と言って、異文化の奴隷教育を強いるわけです。又は学校に行かないことに対して、保護者責任を問うて虐待親かのように扱ったりするわけです。

学校に行かずとも、家の手伝いや、自然に触れていることも勉強です。

学校に行かなければ、読み書きができないわけではありません。学べないわけでません。

勉強を教えられるのは、教員免許を持っている人だけではありません。

文科省下の学校教育だけが、学びではないのです。役所が決めた教育方針が、知能・知性ではないのです。

その土地その土地で長い年月をかけて形成した文化形態に沿って生きている人を、自分たちとの違いから、「かわいそう、救わなきゃ」(服や砂まみれの見た目や住居で判断して。)などと団体に煽られ、自身の行動が人を救うことになるんだと疑わず、結果的には自分の社会で当たり前とされている支配設計による社会通念と価値観の押し付けをしに、発展途上国に行くのです。

それが、国際ボランティアや国際援助、慈善事業などの実情で、その善意は、社会洗脳された者たちの自己肯定と善意を満たす為に、価値観の押し付ける行為であり、NWOを進めているにすぎず、文化を破壊している、はた迷惑なことなのです。

ようは、奴隷と気づいていない奴隷が、自由な人に対して、奴隷の良さを広報して、奴隷を増やしている作業なわけです。

さらに、言い換えれば、「ゾンビが、健常者に噛みついて、ゾンビを増やしている行為」そのものです。そのゾンビは、健常者の為にゾンビにしてあげてる感覚です。

ゾンビは、先進国の稚拙者であり、健常者は、昔からの文化形態に沿う生活をしている人の方なのです。(それがメディアの横行によって前者がマスになって後者が少数でおかしい人かのように、減らされてしまいました。例えば、老人に対するダウンタウンなどの扱いは正に、伝統を過小に扱う排他的態度の一般化に寄与しているのです。)

(もし、原住民の役に立ちたいなら、原住民になり、その者たちと家族とならなければいけない。そこまでできても、うまくいっていた循環を壊す可能性が十分にある。例えれば、ウニの捕獲量を上げようとウニの天敵のラッコを殺したら、ウニはおろか海洋物全体の取れ高が減ったような現象が、生活形態にも起こる可能性がある。)

さらに他の例を挙げれば、日本でキリスト教を普及し、西洋の常識をここ日本で植え付けてきたクリスチャン、と同じです。男性のふんどし姿、女性の半裸は「野蛮」など。(これは江戸時代中期くらいまではなんら普通の光景であった。記事その4参照。)

それを西洋人は世界各国で行ってきました、アメリカの先住民、インディアンに対しても、どこでも同じです。

他文化の人達に対して学校にいくべきと、奴隷教育だとも知らずに、家庭から子供奪うことを説得し、子供を行政に預けさせることによって、支配設計に順応する奴隷を作ることに貢献しているわけです。

(この場合、親子分断、そして生業の破壊で、街に働かせる流れを作り出すことで、貨幣の価値の増大、地域文化形態の破壊をすることになります。「都市の形成」)

その最たるや、現代日本で今、実際に行われている、学校になじめない類の生徒の精神病レッテルと、精神薬の強制投与でしょう。(これが小中学校などで実際に行われている)

日本などの先進国は、それほど奴隷製造のシステム(義務教育)が進み、確立しているのですが、そこまで支配設計が進んでない国(発展途上国・誰にとっての途上か?つまり支配設計)は、「かわいそう」として、学校を作り、教育を受けさそうなどと言って、じゃあ、何を教えるのかと言えば、結局は支配設計を理解し、支配規範(社会通念)を理解する為の知能を持たせるために機能し、支配設計に外れない人間作りの為に行われているのです。

その土地、その土地の独自の文化を考慮し、その土地に合った教育などしません。一律です。

結局、学校教育は、支配設計を理解させる為の人作りに機能していることになっているのです。

支配設計(社会通念、社会常識)が理解できければ、統制が取れないから、大衆にある程度の理解力は必要というわけです。

つまり、人と社会の均一化は、奴隷社会、奴隷文化、奴隷を作ることと同一であり、それこそが、支配設計の為の手段なのです。均一化する方向性は、常に権力者の都合なのです。

グローバルスタンダードを謳い、差別撤廃!という社会風潮は、支配設計の為の起こされているのです。

例を挙げて何度も述べてきたように、善意から派生した価値観の共有という、異文化への強制が、他文化を破壊する社会設計が成されているのです。

次の<その7>では、本題の相撲の話に戻し、「まとめ」です。


5土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?

ーーー

<善意を支配設計に利用される例>

男と女は、体の構造が違うことは当たり前です。

それどころか、同じ人間は、一人としてい・な・い・ように、人は全員、「差」があるのです。

その差を埋めることは、性差を均一化した人間(同性愛推進)を作り、均一化した社会(NWO・支配設計)を形作ることに他なりません。

それを肯定する手段が「差別問題」と「グローバルスタンダード」の本性であり、「NWO(支配設計)」への手段なのです。

その支配設計(大衆を支配する為の社会設計)の為に利用されているのが、「差別撤廃」というプロパガンダなのです。

「差別は根絶しなければいけない」とする為に、極端に迫害されている一部の女性の例を挙げて、それが社会全体で行われているのように解釈して、全体に影響を及ぼす変革材料にしているのです。(現法で取り締まれるのにもかかわらず新設)

また、発展途上国を、先進国のような奴隷社会(支配設計が進んだ国)に変えるために、異文化から見たら、かわいそうなことと思えても、当事者にとっては普通の生活の一部であるのにもかかわらず、「守れ!救え!迫害されている!」として「差別を止めさせるべき」という大衆洗脳が行われて、発展途上国は先進国の手によって支配設計へと誘導されているのです。

例えば、アイヌ人には「ポン・ション」という名がいるらしいのですが、その意味は、アイヌ語で「小さなウンコ」という意味です。

我が子になぜ、ウンコと名前を付けるかと言えば、「いい名で呼ぶと悪霊に取りつかれるとの迷信から」だそうです。

そんな{しきたり}を、「児童虐待だ!」などと言っていることと、今回の「土俵女人禁制反対」は、同じようなレベルでしょう。

そして、これは、たまたまウンコを否定的に見てる現代人とアイヌ文化は一致していたようですが、そもそも、昔の文献(50年以上前のもの)を見るときには、今回で言えば、その時代のウンコの概念(アイヌ人のウンコへの捉え方と現代人のウンコの捉え方)が同じかどうか、それを見定めたうえで、判断しなければ正しい解釈はできません。

「小さなウンコ」という名前の子がいたとして、もしかしたら、ウンコをとても大切に奉る民族がいて、ウンコという名前はいい名前である可能性も十分にあるからです。

今回は、「子供の成長の為にあえて、悪い名前を付ける風習」という点で、アイヌ人のウンコへの解釈はよくないものだったということです。

そのように多角的にものを見なければなにも見えてきません。

又、例えば「善意を支配設計に利用される例」としてよく利用されている例が、以下でしょう。

「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」

だからなんでしょうか?

その土地での、長年培われてきた独自の文化形成に対して、その内容と歴史を見ずに、ただ、これを自分の文化形態との「違い」から「かわいそうなこと」とするのは稚拙すぎます。

その人が稚拙であるだけならまだいいにしろ、その稚拙から派生した行動は、善意だったとしても、その土地と人と文化を破壊します。

「13歳で結婚してはいけない。14歳で出産してはいけない。13歳は恋を知らない。」これらはかわいそうなこと。

このように言っていると、見受けられますが、その根拠は何でしょうか?

支配設計の下に生きている我々日本人が生きる近代国家では、それがおかしいと思うような社会設計と常識の書き換えがが行われたけで、10代での結婚、出産は生物の普遍として、なんら大きくそれている、おかしいことではないのです。

その証拠に、日本に西洋的支配設計が入り込んでくる明治以前は、なんらそれらと同じ生活がそこにありました。

我々の先祖も、現代人がおかしいと思う常識の下に生きていたのです。

おかしいのはどちらでしょうか?

先進国の常識を、発展途上国に強いろうとしいる「国際NGOプラン・インターナショナル」に質問ですが、

では、「晩婚化が進められ、不妊が作られている日本と同じように、この子たちも22歳までは勉強で子供が作れなく、その先も共働きしなければ食べられないから、男女共に就職し、食べ物も、企業が作った添加物まみれの食を食べ、電波で情報交流し、30代で結婚したら、6組のカップルに1組が不妊治療を受ける、」という現代の日本の社会設計のように彼らの社会を変えることが正しいことでしょうか?

ここ日本に元々あった文化が破壊され、今普通になってしまった西洋的文化(現代の日本)を、普通の事とはせずに、広い視野を持った上で、他文化を見なければ、善意の行動であろうが、「支配設計を強固にし、歴史、文化、人を破壊し、奴隷をつくことに貢献する」ということになってしまうのです。

恋愛をすることが良いことで、恋愛結婚だけが正しいという風潮が作られていますが、それが、確実に晩婚化と、少子化を招いている事実があります。

つまり、恋愛結婚の推奨が子供を持てない人を増やしていることは事実です。

もし、浮気不倫というが概念がこれほど重罪化する社会でなければ、恋も。家庭も。両立できる生活が我々にあるということを付け加えておきます。

又、経済、ルックス、共に排他を生むように設計されている社会だから、持てるものと持てないものが生まれているのです。

他民族の風習へのグローバル化という点で、キルギス族やモン族の誘拐結婚も同じことです。

略奪婚が現実に!?~道端で拉致って結婚OKの、ベトナム・モン族の実態に迫る!~

次は、「学校教育を与えよとう善意を支配設計に利用される例」と、まとめです。
<その6>に続く
以下、私の考える現代における「差別」という言葉の定義。

<「差別」の定義を明白化する>

さ‐べつ【差別】

[名](スル)
 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

 

差別を辞書で引くと上記のように出てきますが、

差別が成立するには3点の要素が必要と私は考えています。

1、社会にその違いによる悪いイメージがある

2、その違いは、本人の努力によって変えることが出来ない

3、その違いによって社会的不利益がある

このような3点によって、差別の定義づけを限定する必要があるのは、「区別」「悪口」「いじめ」「差別でっち上げ、不当であることを主張し利益を得ようとする稚拙者(差別の利用)」などと分けて考える必要があるからです。

ですから、これらを混合して、なんでも「差別」と主張することは間違っているのです。


4土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~わいせつの概念拡大(支配設計の強化)に相撲は邪魔。

1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~差別は、悪いことではない

3土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~女性差別を問題化する目的とはなにか?

本記事は、上記記事の続き

<その4>です。


この騒動の目的は2点あります。と言いました。

前回の<その3>で1つ目の理由を解説しました。

そして今回は、2つ目の「2・相撲の淘汰、又は相撲ルール変更」を解説します。

今社会は、わいせつの概念を広げる方向に進んでいます。


強制わいせつ「性的意図」不要 最高裁 47年ぶり判例変更

強制わいせつに、「性的意図を不要」とする判決が出たのです。

そして同年。「強姦罪」を「強制性交罪」と罪名を改正しました。

「強制とはどこまでが強制か?」ということが注目されている正にその時に、です。

強制わいせつに性的意図を不要とすることは、他者の体に触れること自体の犯罪化そのものです。

さらに以下のように、他者の体に触れる仕事である、マッサージ師や鍼灸師などのわいせつによる逮捕でも見られるように、「社会はわいせつの概念を他者に触れること」という定義づけにしたがっていることが見て取れるのです。

支配者層はダブルスタンダードを生み出して片方のスタンダードに一本化にし、またダブルスタンダードを生み出し・・・と繰り返すことで社会を変えていく ~マッサージ店で客の体触って逮捕

今後も他者に触れることを悪とする常識の書き換えが行われる。~銀座の整体院でわいせつ 有名整体師&施術中「恥ずかしいポーズ」鍼灸師の男逮捕

これを支配設計の観点から見れば、支配設計が格段に強化され、さらにシンギュラリティ(他者に会わずネット空間だけで交流)にも近づくことから、「他者の体に触れる行為の犯罪化」をやりたがっていることは明白なのです。

つまり、強制わいせつに「性的意図を不要(接触の禁止)」としたい社会の流れに、ふんどし姿でぶつかり合う(触れ合う)、相撲が当たり前にあると、支配設計が進まない段階にあるから、淘汰したい、またはその興行の形を変えさせたいというわけです。

このように、わいせつの概念が拡大されている現状があるわけですが、これは彼らが今、集中的に社会敷設しようと事件化しているから私は、この件を熱心に分析しているのですが、「わいせつ」について過去の歴史を遡って見た時、その概念拡大は現代特有の事例ではありません。

明治から、2018年現在までじわじわと、メディアと行政一体となった、「社会設計と大衆洗脳」を伴って、わいせつの概念が広げられているのです。

その証拠に、明治までは、女性でも、上半身裸という場はよくあった光景なのです。現在はあり得ない事であるのは皆さんご存知の通りです。

例えば、「女相撲」。そして、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で注目を浴びた「海女さん」など、また田園風景の中の「農婦さん」など、女性は半裸(上半身裸)で行っていました。

他にもまだまだそのような光景はあるはずです。

今はタブーとなっている女性の裸体ですが、当時のそれらは上半身裸が普通でした。当時の写真など、ネットで見れます。勇ましく、かっこいいです。

昔の海女さんは殆ど素っ裸だった

いやらしさなどありません。

つまり、女性の上半身(おっぱいや肌)に、性行為を連想させる概念自体が当時の人には、ないのです。(上半身裸が普通であるジャングルなどに住む部族なども同じ。)

それらは景色の一部です。

現代で言う、我々の「顔」と一緒です。(だから「顔も隠す常識を作ろうとしている」という私の考察はなんら突拍子もないことを言っているわけではないのです。バーチャルユーチューバー動画参照

しかし、当時のそれらも明治政府が1871年に「裸体禁止令」を出し淘汰されだしたのです。

又翌年「違式詿違条例」が施行。

ーーー

裸体や混浴を禁止する「違式詿違条例」が明治5年(1872年)に東京

・禁止内容
外国人の批判―野外での大小便、裸体、人糞肥料、混浴、肩肌脱ぎでの農作業
(日本人の自己規制―男装、女装、入墨など)
ーーー
 もちろん当時も、「羞恥」という感情はあったでしょう。

つまり、何に羞恥を感じるかという、人の「反応」が社会環境によって全く違うということです。

「社会環境が人を作る」ということは、そうゆうことなのです。

これについては「家庭は、社会の中にある」という動画で解説しました。

たった100年前では、わいせつの概念は、今と全く違かったわけです。

というより、わいせつなんて概念無かった。

今から30年前には「ストーカー」なんて概念がなかった事と同じです。

もちろん社会設計の目的は、わいせつという概念を作って、大衆内ルールを強化する為です。
普遍性の中に、希少性を作り、枯渇させ、ルールを作り、大衆支配の道具にする。
その為に社会設計と大衆洗脳をしているのです。

江戸時代。混浴に代表されるような、日本女性と日本男性の肌の距離感に西洋人はびっくりしたようで、日本でも、西洋と同じように「わいせつ」という概念を作り、大衆ルールを作るために、上記のような支配ルールを敷いたわけです。

一方、当時の日本人の感覚としては、男女ともに裸体は日常にあるので、特に欲情したり、興味を駆られたりしていなかったようです。

>「彼らは自分の隣で入浴する者の裸を《見る》ことはなかった」「《見れ》ども心に留めずなのである」と解説した。

つまり、秘匿とすることで、秘匿化したからこそ、それはどんどんと重要性、希少性が増していくのです。

しかもその秘匿にしていることは、生物の普遍上必要なものであり、ないと生活、身体、精神共に、軋轢が生まれ、そのルール化した者、つまり法の外にいる者の言いなりになる。

これが私が以前よく言っていた、「生物の普遍にルールを作り出す(常識の書き換えと立法)ことが支配設計を作るうえで重要なポイントである」と言っていたことです。

何にルールを作れば、大衆に対して一番大きな影響力を持てるか?

それは大衆にとって絶対にそれが必要なもの、変えられないもの。

それは「生物の普遍」を握るということです。

それを考える上で、土地や水、食物を奪うことはわかりやすいが、「常識、他者との関係性、性、思想、志向、思考、心、趣味」を奪われているとうことを、私は皆さんに知って欲しいのです。

これが世界大戦後の世界で起きていることの「主」の中でも、社会に一切顕在化されていない超重要なことなのです。

それを実現する為の支配者層のツールは、「メディアと行政」なのです。それを動かす燃料は「金」と「不法行為の許容」です。

「裸体禁止令」などで、裸体を見る機会が減った大衆は、それらが貴重なものになり、印刷技術の向上でいわゆる「ヌード雑誌」「エロ本」などへと、その当たり前にあったものへの寂しさを紛らわす媒体が商業化したということです。

つまり、わいせつとは、社会設計によって権力者によって作られているのです。

文明開化(西欧化)で、わいせつの概念を作り、それをどんどん拡大させて支配設計を強固にしているのです。

現代社会では、女性が上半身裸で歩いていることは、もはや「ありえない。おかしい。」という人作りは完成しました。

それがさらに発展して、男性でも上半身裸で歩いていることは、海などの限定されてた場所以外、おかしいとされる常識へと広がりを見せた社会環境が作られています。

それら限定された場所以外で半裸でいることは(駅などの公共の場)、「ぎょっとする」大衆反応が作られたのです。

正に以下の、「刺青を見せびらかせた疑いで逮捕」なるものも、この社会環境が、この罪を肯定しているのです。

浅草の三社祭を妨害「全身入れ墨見えるふんどし姿」暴力団員逮捕の目的と「やくざ」について

そして、祭りであっても、つまり場所を限定していても、そして男性であっても上半身裸はダメであると、次の段階にさしかかっていると、みえます。

ですから、相撲の「半裸+触れる」という行動、これは常に前進する支配設計(ここでは、わいせつ概念拡大)にとって、邪魔な段階に差し掛かったのです。

現代の相撲問題に戻ります。

このように明治に「違式詿違条例」によって「わいせつ」という概念を作り、2017年11月29日「強制わいせつに性的意図を不要とした」わけですから、どんどんわいせつの概念を広げている。

その概念の拡大に対して今、裸でぶつかり合う、触れ合っている姿を見る機会(大相撲)を無くしたい利害が支配者層側にあるのです。

また、同時にメディアが連日、わいせつ関連のニュースを扱い、問題化しているのです。

全くの同時期に、レスリングのパワハラを扱っているのも、同じ理由です。こっちは服を着ていますから、重要度は相撲より低いが、これも淘汰したいでしょう。(シンギュラリティの為のスポーツの淘汰も内包)

先ほど挙げたH雑誌なども書店から無くす動き、「AV強要問題」これらなど、今後さらにわいせつの概念拡大と性犯罪の概念拡大、共に重罪化が成されるでしょう。(エロはネットの中だけの社会環境へ。シンギュラリティ)

性行為の淘汰の為です。

又これは性犯罪者を熱心に取り締まるというよりも、「あれもこれも性犯罪とする為に、性犯罪の概念と定義を広げて、結果的に性犯罪者を増やす方向に社会が動く」ということが問題なのですから、誤解しないでください。

虐待親が増えていることと全く同じことです。

前編「愛の鞭ゼロ作戦」とは、子供を産み育てることを困難にする社会設計の為に行われているより

これも具体的に言えば、「虐待する親が増えているのではなく、虐待の定義を拡大し、虐待に当たる事例を増やしているから、結果的に虐待親に当たる人を増やしている」というのが正しいのです。

それはわいせつの概念拡大の最終目的、「性交自体の淘汰」の為です。

そして「性交自体が淘汰」されると、「妊娠が、完全に医療になる」のです。

「セックスはしてはいけない、子供が欲しい夫婦は病院に精子を持っていく。」これが未来では主流になる。

社会活動を再開します。

「わいせつ」の概念を、次の段階(性的意図を不要)へと進めるには、相撲を無くしたいのです。

だから、相撲に力を無くすために、八百長問題もそう、行事のわいせつ事件もそう、今回の土俵の女人禁制もそう、相撲業界への悪イメージを振りまくことで、相撲淘汰へ向けて弱体化させようと社会がしているのです。

支配設計に邪魔である。ということです。

前回作った動画「フリーおっぱい」は正に、支配設計の観点からすると、ユニークで、支配設計へのダメージを与える行動だったのです。

最後に。

私はハッキリと、相撲の存続を望むことを宣言します。

なぜなら、相撲は、我々現代日本人を、明治維新、そして世界大戦で区切ることなく、1350年前の土俵ができる前からの日本の姿と現代を繋いでくれる、日本の伝統、日本文化だからです。

我々と先人を繋いでくれるものだからです。

我々の心に、先人の息吹を感じさせてくれるものだからです。

西洋に乗っ取られた日本に残る、数少ない遺産「相撲」を残すべきです。

それはもちろん、現在の形でです。

髷も、まわしも、土俵も、様式も、女人禁制もです

それは我々日本人の心に、先祖を残すことになるのです。

次の記事は、「差別撤廃の声と、グローバルスタンダード」の利用がいかに支配設計に機能するのか?
ということを掘り下げて解説していきたいと思います。

<その5につづく>


新品 電磁波測定器 CORNET ED-88 T plus

ED88T plus

⬇️ 画像をクリックで電磁波測定の動画へ(前型の機種ED78S) ⬇️

電磁波測定全編

超広帯域電磁波メーター ED-88 T plus

高圧送電線、電子レンジ、携帯電話基地局 測定可能

電磁波・電界・磁界・3つ測れて、測定可能周波数帯域が広いです。

電磁波は3単位が表示可能(ユニットボタン)。2周波数帯域計測(1画面2表示)
磁界は2周波数帯域計測

電磁波の感度も高く、精度も良いので、私も愛用しています。
(上記 さゆふらっとまうんど動画でご確認ください ↑)

測定方法も簡単なので、電磁波測定器ご購入予定の方に
初めての一台としてもおすすめの測定器です!

本当にこれ・・・

間違いないです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ .。.:*

電池付

送料無料

在庫在り。

・以前販売していた ED78Sはメーカの製造が終了したため、ED78+を販売いたします。近日、使用動画を公開します。

注文後(土日を除く)5日以内のお振込みをお願いいたします。

注意 : 「sayuflatmound@gmail.com」 からのメールを受信できるように設定の上、ご注文ください。

領収書の発行ご希望の方は、備考欄に「領収書の発行希望」と記入してください。

入金確認後、領収書データをメールに添付してお送りしますので、お持ちのプリンターなどでご印刷ください。


【ご購入方法】
下記「カートへ入れる」にお進みいただき
住所・氏名・等記入し

注文確定後、こちらから在庫状況のメールを送りますので
メールに記入されている「ゆうちょ銀行口座」の方に
ご入金ください

入金確認後、発送いたします

商品へのご質問、在庫状況を知りたい方は下記アドレスまで
sayuflatmound@gmail.com

~ご購入者様へ
磁場の計測モードの場合・ED-78S 本体へのタップや振動で一瞬、磁場が上がって表示されます
これは、磁場センサーの特性上の現象であり、何十万する高価な測定器でも同じ現象が起きます
商品の不具合ではないのでご了承ください

電磁波測定器をご購入いただいた方へ


【仕様】

  • 4 MODE
    RF(高周波電磁波
    Gauss LF600(低周波交流磁界
    Gauss LF30(低周波交流磁界
    ELF(E field)(低周波交流電界強度)
  • 測定可能周波数帯域RF・高周波電磁波:100MHz~8000MHz(8GHz)
    (-60dBm〜+ 5dBm)、(0.5uw / m2〜1.8w / m2)、(14mv / m〜26.2v / m)RF mode上部に表示:100MHzから2.7GHz(下の写真参照)
    高周波周波数帯表示範囲:出力が-35dBm以上ある時LF・低周波交流磁界
    Gauss LF600:50Hz~10KHz(0.1μT~60μT)/(1mG~600mG)
    Gauss LF30:50Hz~1KHz(0.01μT~1μT)/(0.1mG~10mG)E-field ・低周波交流電界強度:(50Hz〜50KHz)(10v / m〜1000v / m)
  • 測定単位 & 感度
    高周波電磁波密度単位:mW/㎡(ミリワット/㎡)、V/m、 または dBm
    高周波測定感度:0.5 μW/㎡ to 1.8W/m²(注意:1000μW/㎡=1mW/㎡)低周波磁束密度単位:mG (ミリガウス)またはμT(マイクロテスラ)
    低周波測定感度:0.1mG~600mG または 0.01μT~60μT低周波交流電界単位:v / m(ボルトメートル)
    低周波交流電界感度:(10v / m〜1000v / m)
  • 感度:高感度、 保持機能:数値保持機能あり(ホールドボタンにて可能) 、 記録機能:測定中、測定数値を過去の連続30データ、ヒストグラムで表示、バックライト:有、ON またはOFF で消灯可能
  • サンプリングレート:10,000 /秒。表示更新レート:2 /秒
    エラーレート:+/- 3.5dBm、LF:20%、Eフィールド:25%。
  • 寸法:約135mm x 69mm x 24mm
    電池:9V角形アルカリ電池 1個、連続使用で15-20時間持続
    重量:159g (電池含む)
  • 寸法:約110mm x 69mm x 24mm 電池:9V角形アルカリ電池 1個、連続使用で15時間持続 重量:140g (電池含む)
  • 保証 期間:購入日から半年(通常使用のみ、電池などの消耗品は除く)

  • 8レベルLED表示低周波磁束密度範囲⇒ 2mG以下~5mG以下場合:緑色2段階LEDランプ点灯(安全) 5mG~100mG以下の場合:黄色3段階LEDランプ点灯 (少々危険、注意必要) 100mG~300mG以上の場合:赤色3段階LEDランプ点灯(危険)、 8レベルLED表示マイクロ波電力密度範囲⇒ 0.06mW/㎡以下~0.58mW/㎡の場合:緑色2段階LEDランプ点灯(安全) 0.58mW/㎡~18mW/㎡の場合:黄色3段階LEDランプ点灯 (少々危険、注意必要) 18mW/㎡~580mW/㎡:赤色3段階LEDランプ点灯(危険)
  • 本装置Micro USB ポート経由で外部電源供給可能ですが、USBケーブルは付属しません。
    ーーー
  • 電場測定モード 単位(mW/m2)
  • 電場測定モード 単位(V/M)unitボタン
  • 電場測定モード 単位(dBm)unitボタン
  • 磁場測定モード 600mGまで(LF600マクロモード)
  •  磁場測定モード 10mGまで(LF30ミクロ)
  • 電界測定モード 1000v / mまで<ED78Sとの違い一覧>
    ・本体デザイン
    ・ボタン
    ・電池残量表示
    ・RF mode 100Mhz〜2.7Ghzの高周波の電磁波密度を同時に表示(画面上部)
    ・RF 2単位(V/M・dBm) 追加
     RFモードにおいて表示する測定単位を3へ切り替え
    UNITボタンにて、マイクロワット/平方メートル・ボルト/メートル・dBm)
    ・LEF mode 追加
    ・USB ポート経由で外部電源供給可能
    ・イヤフォンジャック
    ・音量調節

 

「本日17日20時~生放送します。」~04月24日トークショー。一週間前記念放送。

2018年04月24日(火曜日)トークショー (↓クリックで詳細。)

の一週間前記念として、本日17日20時から、生放送をいたします。

15分ほどお話し。

15分ほど歌う予定です。たぶん。

youtubeLIVEで放送いたします。

以下のURLになります。

https://www.youtube.com/channel/UCbLAlPK5nmnAq8fwnHhMSIg/live

ご視聴の方よろしくお願いいたします。

また、

2018年04月24日(火曜日)トークショー in 東京

のご参加の方お待ちしています。↓(↓クリックで詳細。)


3土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~女性差別を問題化する目的とはなにか?

1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~差別は、悪いことではない

本記事は、上記記事の続き

<その3>です。


この騒動の目的は2点あります。

それは、

1・女性差別を訴えること
2・相撲の淘汰、又は相撲ルール変更

です。

まずは一番から解説します。

女性差別を社会で問題化することによって、男女間の垣根をとろうと、今社会は動いています。

それは、結果的に、女性と対である「男性」の社会的権力を弱体化する為に機能しています。これが、女性差別を問題化する目的です。

今社会では、女性専用車両やレディースデーや女性割引「東京大学が、女子学生へ月三万円の家賃補助」などなど女性優遇を迎合する風潮があります。

一方、それに対して、女性優遇への圧力、つまり「男性差別だ!」という声が一切、行われないのです。

男性軽視や、蔑視は一切問題化せずに、女性蔑視に見えるものには敏感に反応し、一方だけが問題化されている。

男性が乗っちゃいけない電車の車両を作る一方で(女性専用車両)、女性が乗っちゃいけない土俵が差別であるとする。前者はメディアは一切触れないが、後者は一斉に報じる。

しかも、前者は公共交通機関で、後者は相撲取りしか使用しない場です。

全体から見れば前者のほうが、社会への影響が大きいことは明らかであるのに、社会(メディア)が問題視するのは女性蔑視一方だけです。

また常識の書き換えからの視点でみれば、女性の子供好きは「普通」。男性の子供好きは「犯罪者(ロリコン)」のように、これも男性差別的常識です。これも男性差別であり、男性蔑視の当たり前化と言っていいでしょう。

「なにが女性差別に当たるのか?という大衆認識」同様、社会常識も、完全にメディア行政一体となりコントロールされているのです。

そしてこの「女性差別反対!」という声は、「女性が生きやすい社会へ」と変える為に問題化されているわけではありません。

それを建前にして、実際には真逆のことが行われているのです。

男女共同参画」などと言って、男女に平等な機会と権利が与えられるべきだと国が謳っていますが、そもそも、国がとやかく言わなくても、男女はお互いに補い合い、助け合って生きてきたのです。

「そうじゃない!女性が迫害されている」と主張する人がいそうですが、それは全体から見れば、超マイノリティーであって、彼女らは、それぞれ個別に守ればいいだけで、社会設計自体を変える必要はないのです。

しかし、そのマイノリティーがいかにも全体であるかのように装い、その全体と装われた少数を救済する目的で、大衆全体に影響する社会設計を支配設計へと強化しているのです。

いつでも変革への骨子は同じです。

そしてそれは同時に、対である男女の、片方、男性権利が押し下げられれば、そのしわ寄せは、結局、女性に来るのです。

女性差別の問題化を契機して起こされる社会変革は、男性権力の弱体に利用されるのです。

例えばそれは、「女性が労働者化する」ことになるわけです。

男性の力を失えば、それを女性が補わざるを終えないのです。

なぜなら男女は家族だからです。

その証拠に、派遣労働解禁などによって男性の賃金を押し下げ、同時に女性の社会的地位を押し上げる国の政策が進められています。(男性権力弱体)

結果、女性の労働力化と、出産できない社会というしわ寄せが、女性側に強いられているわけです。

これは、以下の事実と全く同じ骨子です。

「子供を守るために、すべての親から子供を奪いやすくし(一時保護)、虐待の概念を広げて、親を犯罪者にしやすくすることが、子供の為になるどころか、子供の幸福を奪っていること」これと同じです。

女性の権利平等を訴えることで、それは男性の権利と平等は保ちながら、一方の女性達が生活しやす環境になっているわけではないのです。

強引に数字で表せば、
(経済的収入、幸福度だけではなく、権利、地位などを含めた、それら全体。)

男性は100のまま。女性が20から70になって家庭が120から170になったわけではないのです。

男性が50、女性35、計85になったのです。

しかも、男性の仕事を女性が担うようになっている。

男性と女性、共にそれぞれの能力が押し下げられているのです。

まとめると、女子差別を訴えることは、同時に男性差別を作り出すことを肯定し、結果的に、男性の力と権限を弱体化させる。

それを大衆規模でみれば、女性に対して男性的役割を強いる機会が増えるわけですから(共働きど)結果的に女性特有の機能(出産・育児・母乳・家事。主婦業全般)が軽視され、淘汰されようとしているのです。

男性から移行した、男性の役割は結局、女性が肩代わりすることになるわけです。

イクメンを推奨すれば、女性と子供との時間は労働力にすり替えられ、出産・育児・母乳・スキンシップの機会が奪われます。それは肉体的な軋轢も生むでしょう。(ホルモンバランス、幸福の制限、老後の不幸化)

そしてこの、男性の力を女性へ、と移行させる流れはもちろん同時に全体を押し下げることにもなります。男性の力が、そのまま女性に移行し、プラマイゼロではないのです。合わせても下げられている。(先ほどの多少強引な数字の例)

又、大衆それぞれの力を、「均一化」させているのですから、個人の影響力を奪っていることとも同じです。

つまり、この女性差別を訴える主張は、現代社会では、女性自身の首を絞める主張に取って代わる社会システムなのです。

又この、社会変革は、性差を無すことから、同性愛も推進される。

つまり、これらを総合的に見れば、女性差別の問題化とは、大衆の為に機能している者ではなく、支配設計の為に機能しているわけです。

男女共同参画による、女性差別の問題化の、目的の最たるや、これもまた「支配設計の強化」なのです。

具体的に、言えば「男性の影響力の排除」「少子化」「人口削減」「同性愛推進」「男女分断」などが目的なのです。それらが密接に絡んでいます。

その為に、女性と男性の違いを一方だけの「女性差別」として問題化して、女性の地位と権力を向上させているのです。(これも実際には全体としては男性が押し下げられた分、女性側が上がってはいません。女性の地位向上は偽装。女性も結局は派遣労働が多数。役職など一部。男性が5割下がって、女性が2割上がった構図。)

「子供を守れ」という建前で、子供を産む子が困難な社会設計にしているように、「女性差別反対!」と言って、男社会の弱体へと社会設計しているのです。


次の記事で、2点目の理由、「相撲の淘汰、又は相撲ルール変更」を解説します。

その4へ続く

2土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない ~本来「差別」という言葉は、「悪」という意味は内包していないであろう

・土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

本記事は上記の続きです。

ーーー

<土俵は一時的なもの>

ちなみに、土俵というのは毎場所ごとに作られます。

両国国技館でも地方巡業などでも、毎場所、土を盛って作られるのです。

相撲の巡業期間外は、両国国技館であっても、女性ミュージシャンがコンサートしたりします。

国技館の中心、土俵がある上で、です。

さらに、女性が土俵に上がれないのは、土俵を作り、「神迎え、神送りの神事」を行った間のみです。

つまり、その土地自体を「女性が上がってはいけないもの」としているわけではなく、女人禁制なのは土俵に神を下ろした間だけ、ということです。

そうしたのは、実際のところは、興行として、「ここは男が勝負を争う場所、女性は入っていけない」とすることで、特別な場所として、差別化することで価値を上げたかったのではないでしょうか?

「相撲は男と男の勝負の世界。女人禁制!」とすることで、魅力を増そうと思ったのでしょう。

男性にとっても、女性にとっても、魅力的な場とする為に、同表を女人禁制にすつことで、差別化したのです。

ーーー

<差別は、悪いことではない。>

差別とは、「良い・悪い」と単純に100か0かではありません。

差別は、ただ「違い(差)」であり、それは当たり前にあるものなのです。

差別でいけないのは、違いによる「迫害」、違いによる「生活への圧迫」であって、差別そのものが悪いことではありません。

つまり、差別を根拠にした「迫害、生活への圧力」が悪いことであって、差別自体が全部悪いことではありません。

差別という言葉は、その迫害・生活への圧迫を含めた「悪いイメージ」が付随してその概念が成り立つようですが、それは現代社会が作り出したイメージ、悪用であって、本来「差別」とは「違いを見つけて区別すること」でしょう。

そこに本来「悪いイメージ」が付随していなかったはずです。

その証拠に「差別化」と「化」を付けると、「悪い」という意味合いが薄れ、「違い」という意味になるように、本来「差別」とは「区別」と一緒で悪イメージは無く、「違い」という意味であっていいのです。(例:「ライバル校との差別化を図り、当野球部ではウエイトトレーニングを取り入れている」)

しかし現代では「差別=悪」とイメージ付けが行われているというわけです。

前述したように、土俵を魅力的な場とする為に、女人禁制という差別化を図ったという私の考察のように、差別化、つまり「違い」は、魅力になるのです。

魅力を生み出すために差別化を図ることは「成長」とも言えます。

相手の価値を下げる為ではなく、魅力を狙って価値を上げる為に、差別することがあるのです。

そしてそれは、トレードオフの相関関係ではなく、相互共に成長する差別化もあるのです。

つまり、差別とは悪いものだけでなく、良いものもあるのです。

そのような、差別(違い)が悪いことである、というイメージ工作に我々は騙されていけません。

それは、差別を使って世界を、そして人も均一化しようとしているものの巧みなトリックなのです。(NWO・支配設計)

そしてその「差別を根拠にした、迫害、生活への圧力」を作り出しているのは、メディア、行政、企業、カルト、特務機関などです。

つまり、支配設計に機能する出先機関がそれらを作り出しているのです。

その3に続く

ーーー

1土俵の女人禁制は、女性を貶めるものではない。 ~相撲のルールは、権力者ではなく運営者側が作るべき

宝塚市長、土俵下で「悔しい。変えていくべき」

  • 土俵下であいさつする中川智子市長(6日、兵庫県宝塚市で)

 兵庫県宝塚市で6日に開かれた大相撲春巡業で、中川智子市長が「女人禁制」とされている土俵でのあいさつを認められず、土俵下から「女性だからという理由で認められないのは悔しい。伝統を守りながらも、変えるべきものは変えていくべきではないか」と訴える一幕があった。

 中川市長は昨年4月に同市で行われた春巡業でも土俵下からあいさつ。その際は疑問を持たずに受け入れたが、今月4日、京都府舞鶴市の巡業で多々見良三市長が土俵でのあいさつ中に倒れたことが報道され、「男性市長は土俵に上がっている」として、日本相撲協会側に5日、土俵上でのあいさつを要望。しかし、「伝統に配慮してほしい」として土俵下でのあいさつを求められたという。


“角界の常識”に薬なし! 人命よりも女人禁制を優先 市長倒れ…救命女性に「土俵から下りて」

4/6(金) 16:56配信

夕刊フジ

 女人禁制のしきたりも、人命には代えられないだろう。大相撲春巡業が4日、京都府舞鶴市の舞鶴文化公園体育館で行われ、土俵上であいさつをしていた多々見良三市長(67)が突然倒れた。不測の事態を受けて、女性たちが土俵に上がり必死に救護活動を行ったが、2度驚かされたのが、場内に流れた「女性は土俵から下りて」という仰天アナウンス。状況を把握し適切な対応を取れない角界の体質に、もはや付ける薬はない。

 「女性の方は土俵から下りてください!」

観客席から複数の女性を含む警察官、スタッフらが土俵上に駆け寄り、女性らが心臓マッサージなどを行うその最中、行司らがマイクで複数回、注意した。このアナウンスに場内は騒然となって批判の声が上がり、その後、ネットでも大炎上した。

土俵上は古くから女人禁制が慣例で、大阪府の太田房江知事は2000年、春場所の土俵上で優勝力士に自ら「大阪府知事賞」を授与することを希望したが、日本相撲協会側から女性であることを理由に断られた例がある。だが、今回は1分1秒が人命に関わる事態だった。

猛烈な批判がわき起こるなか、八角理事長(54)=元横綱北勝海=は深夜11時過ぎになってコメントを発表。「とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます」とした上で、「応急処置の最中、場内アナウンスを担当していた行司が『女性は土俵から下りてください』と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くおわび申し上げます」と、陳謝したが時すでに遅し。

相撲協会の暴力体質が問題視されるなか、改めて“角界の常識は世間の非常識”を印象づけた格好だ。

かつて横綱審議委員を務めていた脚本家の内館牧子氏が「男だけ、女だけの文化があっていい。何でもかんでも男女共同参画にする必要はない」と擁護したのとは次元が違う話。病院に搬送された市長はクモ膜下出血で命に別条はないが、1カ月の入院・加療が必要だという。(久保武司)


土俵脇で…中川智子宝塚市長「悔しい」 協会へ申し入れ書送る意向も巡業部長は困惑

4/7(土) 6:02配信

デイリースポーツ

 大相撲春巡業は6日、兵庫県宝塚市で行われ、主催者側に土俵に上がってあいさつすることを拒否された中川智子市長(70)が土俵脇であいさつし、ファンや日本相撲協会に「差別」を訴えた。相撲界では土俵上は古くから女人禁制とされ、女性が上がれないしきたりがある。

 土俵脇に用意された台上から「女性ということで土俵の上であいさつできないのは悔しいです、つらいです」と声を上げた。会場は拍手と大きな声援の一方、「上がるな」など否定的な声もあった。

市長はその後、市役所で会見。近日中に日本相撲協会側に申し入れ書を送る意向を明かし「(土俵の)上でも下でもいいので(男女とも)同じ場所で平等に扱ってほしいと、議論してほしいと申し入れる。返事を文書で頂きたいと思う」と要求した。

4日の京都・舞鶴巡業では男性市長があいさつ中に土俵上で倒れ、救命女性に対し、行司が場内放送で土俵から下りるよう指示する問題があった。とはいえ、人命救助とは全くの別問題。春日野巡業部長(元関脇栃乃和歌)は「今まで通りやっている。女性蔑視ではない。なぜ去年は言わなかったのか」と困惑しかなかった。


<筆者・さゆ>

2018年4月4日、大相撲舞鶴場所で挨拶に立った「多々見良三市長」が、くも膜下出血により
土俵上で倒れた。

市長を救命する目的で、女性が土俵に上がった際「降りてください」とアナウンスしたことや、その2日後の6日、宝塚市の女性市長が土俵の上でスピーチできないということを、メディアは熱心に「差別だ!」と、報道した。

この「女子が土俵に上がれないことを、差別とする問題化」は、1978年「わんぱく相撲東京場所」の荒川予選地区の5年生の部で準優勝をとげ、蔵前国技館での決勝戦に出場するはずが、相撲教会に女人禁制を理由に断られたことから、当時労働省婦人少年局長の「森田眞弓」が「なぜ、女は土俵に上がれらないのか。不浄だからか」と相撲協会に詰め寄ったことから始まったようです。(全国大会に女子が出られないことは最初から協会側は謳っている。)

その後、何度もこの種の「なぜ土俵は女人禁制なのか?差別だ!」と主張する問題化が社会で起きているようです。

このように社会が起こしている「土俵に女性を上がらせろ!」という声に対して、そもそもの疑問は、「なぜ、土俵に女性は上がっていはいけないという、{しきたり}に対して、上がれないのがおかしい、女性差別だ!」と言う必要があるのか?ということです。

・女性は、土俵に上がらないと、生活に支障があるというのでしょうか?
・女性は土俵に上がらないと、スピーチできないのでしょうか?
・公務上、話しの内容よりも、土俵に上がることが重要なのでしょうか?

結果的には、女性が土俵に上がる「必要性」の議論よりも、「差別だ!」と主張をする事のほうが重要になっているようです。

「差別を問題化するための市長の公務」に結果的になっています。

「土俵」という超限定的な相撲取りが取り組む場に、女性が上がれない{しきたり}に対して、そこに上がれないことで、どうゆう不利益が「女性側に」あるというのでしょうか?

もしもその不利益が、日常生活に悪影響を及ぼすのなら、「女性が土俵に上がれるようにするべきだ」と私は思います。

しかし、その「女性が土俵に上がれない」との主張の目的が、「女性差別」を無くすということなら、上がれないままでよいと思います。

なぜなら、女性が土俵に上がれなくても、何ら生活を営む上での不利益はない。且つ、土俵に上らなくても公務は行えるからです。

そしてシンプルに、「興行である相撲を運営する側(相撲協会)が、土俵を女人禁制に決めた」それだけで、女性が上がれないとするには、十分だからです。

その女性が土俵に上がれないことは、一興行団体の相撲協会側が過去にした決め事であり、その内容は女性の尊厳を貶める事では決してありません。

そんなことで、女性の尊厳が貶められたと感じる人がいるのなら、女性を過小評価し過ぎです。

相撲という見世物に対して、魅力や価値を見出す為に、差別化して、ルールを作り出す。

見世物である相撲を他の興行と差別化し、特別な存在にする為に、その見世物を運営する当事者が、決めたルールがあってもいいのです。

相撲は過去からずっとそのような{しきたり}で行われてきた。
土俵はそうゆうしきたりと、昔決めた。

冒頭で紹介した1978年のわんぱく相撲の女子での問題化の際、

>官僚側の「女性不浄視が理由なのか」という問いに対し、当時の伊勢ノ海親方らは「土俵は練磨の場であり、そもそも選ばれた者しか上がることはできず、女性蔑視は無関係である」と答えた。

と、「女性蔑視は無関係」と言っている。

この理由だけで、「女性が上がらないという説明として」十分なのです。

決め事をに対して差別だと主張することは何だってできます。

例えば、サッカーの試合で、選手が子供たちと手を繋いで入場する「エスコートキッズ」を老人への差別として、「老人と入場させろ!」と言っているようなものです。

なんでも差別だと主張出来るのです。

相撲の1350年の歴史の中で、過去に先人が土俵は女性が上がれないものにすると決めた。だから、女性は上がってはいけない。それを我々は受け入れればそれでいいでしょう。

運営する当事者である、協会側が作ったルール。それでいいのです。

これは法律でも、社会設計でも、ないのです。

一つの興行のルールです。

どんなルールであっても、そのルールの影響は運営者に返ってくるのです。

そのリスクにも、メリットにもなる「決まり事」を考えて判断するのは、当事者が決めるべきことです。

その決まりことでのデメリットとしては、女人禁制の土俵で行われる相撲を見たくないという人も出てくるかもしれない。
一方、メリットとしては、男だけの世界だからこそ、魅力が増幅して感じる人も出てくるかもしれない。

そのリスクも、メリットも考えた上での決め事で、得をするのも損をするもの当事者たちなのです。しかも、彼らが作り上げる世界を我々は受け入れるも、拒否するのも自由。

そんな中、なぜ、一興行である、大相撲に「差別撤廃!」と社会的圧力をかける必要があるのでしょうか?

我々は、強制的に相撲を取らされたり、強制的に見させられるわけではないのです。

業界を繁栄させたい者と、ルールを作る者が一致しているのですからそれでいいでしょう。

その利害が一致してない人がとやかく言うことは、歴史背景や現場を知らないことによって、思わぬ大切なものを破壊することになるでしょう。

何度も言いますが、この件は一つの興行の{しきたり}に過ぎないのです。

他の興行と差別化する為に、土俵を作り、神事的行為を織り交ぜて神聖なものにしたり、工夫して、相撲は今の形になり、その一つが女人禁制であるというだけです。

ちなみに「女人禁制は、女性差別、撤廃しろ」、という側は、土俵に上がれない理由が「女性は不浄だから神聖な場所に女性を上げさせないのだろう」とか言っているようです。

他にも、「男の勝負の場に女性が上がると男性の気を紛らす」などの理由が言われていますが、こっちのほうが、実際の勝負事である現場の人間(力士)の精神に関係しそうです。

しかし、前者のように、女性は不浄だから、女人禁制であるなんて、相撲協会は説明していません。先ほども言ったよう関係無いと言っています。

つまり、差別と言いたいものが、「女人禁制」の歴史の一部を切り取って、土俵女人禁制反対の根拠にしているのです。

これは先ほどの「エスコートキッズ」で言えば、「エスコートキッズ」をするなんて、サッカー協会運営は「ロリコンを推進している!」と言っているくらい馬鹿げている反対の根拠なのです。

ちなみに、この例は、「強制わいせつから性的意図を不要とし、育児ルールを強化している現代社会」から未来の社会設計を見れば、未来の人たちがこんなバカげたことを言い出し、「子供の商業利用、手を繋ぐことがわいせつ」などと言い出すことは、未来に行われてもおかしくない話です。

はい。

相撲というたかだか、一興行に、「なぜ、女子も上がらせろ!」という必要があるのでしょうか?

誰も、被害者も、困っている人もいないのに。

つまり、男女差別問題以外の、他の目的があるとしか考えられません。(その目的は後述)

<その2に続く>